日本文化と…

7月 06日, 2011年
カテゴリー : 過去の情報(~2016.3) 

昨日の日本芸能史は待ってました!の『石見神楽』。
「八岐大蛇」は昨年に引き続き大変盛り上がる実演!

劇場の広さによっては八頭の大蛇が登場できないこともあるそう…
やはり八頭いると迫力が違います!
爬虫類の好きな私はテンションが上がります!

そしてスサノオと大蛇の格闘!
大蛇が火を噴いて…スサノオ、気をつけて~

そして無事に首を討ち取り一件落着。

ホワイエには、毎回、石見神楽温泉津舞子連中の皆さんが面や衣装を展示してくださいます。ありがとうございます!!

こうして間近で見れることはなかなかないので皆さんじっくり観察されています。

そしてそして、田口先生の企画繋がりで、皆さんにお知らせです!!
昨年開催しました「京都のくるわと芸能研究会」シンポジウムの第二回となります、

シンポジウム「日本文化と<性>」
を10月2日(日) 14時より春秋座にて開催いたします!

今回は「日本文化と<性>」というなかなかに禁断(?)なテーマを4名の専門家を招いて、学術的(!)にお話しいただきます。

公演詳細ページからもご覧いただけます今回のチラシのデザインは、マラルメⅡに引き続き佐藤一博先生!昨年のさわやかなターコイズブルーの第一回シンポジウムチラシもデザインしてくださいました。今年はなんと大胆なピンク色。

しかし佐藤先生のセンスで大変上品にも感じさせます。さすが!

さてこの研究会、500円という格安!ですので皆さん是非ご参加くださいませ。

劇場でお待ちしています。

ツチヤ

マラルメ・ポスターはってます!

7月 05日, 2011年
カテゴリー : 過去の情報(~2016.3) 

こんにちは、川原です。今日は風が強い一日でした。
本日から、造形大名物の大階段をあがると目に入ってくるのは・・・



!!

はい。マラルメ・プロジェクトⅡポスターです。
チラシ(黒)・ポスター(水色)は、昨年に続き、造形大の情報デザイン学科教授、佐藤博一先生にデザインいただきました。

さて、マラルメ・プロジェクト第二弾<『イジチュール』の夜>は着々と準備が進んでおりまして、打合せ&稽古を重ねております。

今年度の舞台を少しご紹介しますと・・・
・朗読は主に日本語で、少しフランス語が入る予定です。
・昨年は二部制でしたが、今年は一部(パフォーマンス)のみ、休憩ナシの予定です。

日本語朗読とはいえ、マラルメの詩は聞いただけで分かる、というものではありませんが、昨年同様、坂本龍一さんのライブ音楽(音響)と、高谷史郎さんの映像が入りますので、朗読とともに展開される『イジチュール』の世界をお楽しみいただけると思います。
また、昨年度、渡邊守章先生演出、マルグリット・デュラス作『アガタ』―ダンスの臨界/語りの臨界―に出演されたダンサー、白井剛さん、寺田みさこさんも出演します。

(『アガタ』白井剛さんと寺田みさこさん 撮影:清水俊洋)

昨年よりも更に進化した舞台になる予感・・・どうぞご期待ください!

川原

「マラルメ・プロジェクト2――『イジチュール』の夜」のこと

7月 01日, 2011年
カテゴリー : プロデューサー目線 

昨年5月に、筑摩書房から『マラルメ全集1』が刊行されて、約四半世紀かかった5巻本の全集が完結した。『全集1』には、「全詩集」と哲学的未完の小話『イジチュール』、ならびに詩人最晩年の「植字法的詩篇」の冒険『賽の一投げ』が収められているが、編集委員の一人であった私は、『全詩集』中の白眉ともいうべき『半獣神の午後』および『イジチュール』の翻訳・注解を担当した。
 昨年は、この全集の完結を祝うという意味で、私が『エロディアード――舞台』と『半獣神の午後』をフランス語原文で読み、それを坂本龍一氏の音楽と、高谷史郎氏の映像が
マラルメの詩の宇宙的広がりを見事に暗示した。コーディネーターというかモデレーターとして、浅田彰氏が極めて積極的に動いてくださったことも成功の重要な要素であった。
 そもそもフランス語の詩を、日本人がフランス語で読む、などというのは、多くのフランス人にとっては「悪い冗談」程度にしか受け入れられないだろうというのは無理もない考えだろう。しかし、フランス古典主義悲劇の頂点に位置するラシーヌ悲劇を日本語にし、かつそれを演出してきた者としては、フランス語の「詩句の声」は、常に自分の体で聞いてきた。それは翻訳者の実践としては、ラシーヌの天才に及ぶべきもないが、日本語で「ラシーヌ悲劇の詩句」の等価物が、舞台に立ち上がることを目指している。
 その意味では、フランス語原典で読むほうが、逆説的に聞こえるかもしれないが、よほどリスクが少ない。もちろん、「朗誦法」というものが、日本の伝統演劇のようには、パフォーマンス・レベルで伝承されてはいないのだから、こちらの解釈に従って、選択肢は広い。
 ともあれ、そういう訳で、昨年は『半獣神の午後』と「エロディアード――舞台」の二編を読んだのだが、今年はその延長線上で、「未完の哲学的小話」であり、難解をもってなる『イジチュール』に挑むことにした。
 この哲学的小話は、1860年代後半に、当時、南仏の中学校の英語教師であったマラルメが、「半獣神」と「エロディアード」をコメディ=フランセーズで上演してもらおうという計画の挫折後、すでに悪化しつつあった神経症が狂気の境へ隣接し、「詩が書けない」状態が極限的様相を呈し始める。それを脱却するために、デカルトに倣って「虚構」によって思考する実験として――マラルメ自身の言葉によれば、「類似療法(オメオパティー)」の「毒ヲモッテ毒ヲ制ス」という手法にならって――書いたのが、この『イジチュール』である。
 ブランショからデリダに至る20世紀後半の「文学についての根源的問い」が、常に参照してきたテクストであるが、それは1925年に、マラルメの娘婿ボニオ博士が、遺稿から読み起こした版(1925年)が定本となっていたが、その読みに無理があることは人々が気づいていた。マラルメ没後100年を記念して新しくなった『プレイヤード叢書』の校訂者ベルトラン・マルシャルによる新しい「読み」によって、今回の『全集』版は訳されている。  
従来の理解とは大きく変わるところもあり、また言説の不確定性も、このような舞台パフォーマンスを可能にするように思えている。

渡邊守章
(舞台芸術研究センター プロデューサー・演出家)

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