鈴木ほのかさんについて

7月 25日, 2012年
カテゴリー : 過去の公演 

皆様こんにちは。
アメリカで活躍している某野球選手が別球団に移籍が決定、というニュースにショックが隠しきれない上田です。
もうあのユニフォーム姿が見られないのか…と寂しく思う半面、別のチームに移っても活躍をして欲しいです。

そんな上田の内情はさておき、
涼しくなり始める10月13日(土)に、春秋座で「ミュージカルに乾杯」 鈴木ほのか&安崎求DUOコンサートを開催します。
今回のブログでは、鈴木ほのかさんをご紹介いたします。


鈴木ほのかさんは、「見上げてごらん夜の星を」など数々の名曲を生み出した作曲家 いずみたく主宰の
「イズミミュージカルアカデミー」を卒業。ミュージカルを専門に上演する劇団フォーリーズ(現・ミュージカルカンパニー イッツフォーリーズ)で「歌麿」、「洪水の前」など主演女優を務めました。

1987年、帝国劇場で初演された東宝ミュージカル「レ・ミゼラブル」のコゼット役に抜擢され脚光を浴びます。その後も「ミス・サイゴン」のエレン役、「回転木馬」など次々に話題のミュージカルに出演。
某アイドル事務所所属の近畿地方出身二人組の一人が主役を務めるミュージカル「SHOCK!」(初演)にも出演されてらっしゃいます!(^▽^)/

鈴木ほのかさんの活躍は、ミュージカル以外に留まらず歌手や声優など実に多方面!
皆様ご存知のあの有名なテレビドラマ「ひとつ屋根の下」や数々のテレビ番組にも出演されています。他にも、映画「ムーラン・ルージュ」では、主役二コール・キッドマンの吹き替えもされています。
実は前から気になっていた映画なので、あえて吹き替え版で見てみたいなとたくらんでおります。(笑)

近年では、昨年の秋から今年の春まで京都で上演されていた「マンマ・ミーア!」主役ドナ役を務められていました。
当劇場のツカモト嬢が観に行ったらしく、「鈴木ほのかさん素敵だった!(^o^)」と絶賛していました。

春秋座HPには、鈴木ほのかさんと安崎求さんのインタビュー記事を掲載しています。
お二人に、ミュージカルに出会ったきっかけや、ミュージカルの魅力など、また「ミュージカルに乾杯」への思いなど、バラエティに富んだ内容です。舞台の裏話なんかもあるかも?
ぜひともご覧下さいませ~♪

上田

舞台裏からコンニチハ!vol.54

7月 24日, 2012年
カテゴリー : 舞台裏レポート 

祇園祭もいよいよ、本日24日の花傘巡行・環幸祭をもって終了。京都の夏も最高潮に向けてじりじりとその暑さを増しております。
皆さま、くれぐれも熱中症にはご注意下さい!
水分補給・休憩をこまめになさって下さいね。

先日は待望の「マラルメ・プロジェクトⅢ『イジチュール』の夜へ」が上演されました。
お越しいただきました皆さま、ご来場有難うございました。

このシリーズが一回目の上演より、春秋座に勤めさせていただいておりますが、難解なマラルメの世界を様々な表現者・研究者が結集し舞台化する。最初は、どのようになるのか想像もつきませんでした。けれど、実際に上演を拝見してみれば、それぞれの世界が侵略することもなく、共存してまさしくマラルメの「詩」が活き活きと私達の眼前に立ち上がっていました!!!

劇場スタッフとして、仕込から終了後の片付けまで、常にその進行を見届けている訳ですが、出来上がりのプロセスの中で魔法のようなものがかかる一瞬があります。その瞬間、舞台が「命」を持って鼓動をし始めるのです。ただ、まだまだその謎は、私の中で解明されずにおり今回の公演でも知ることは出来ませんでした。

マラルメ・プロジェクトⅢ以後、センター主催公演は少しの間お休みとなります。
7月下旬は、劇場のスタッフ一同で日頃手の届かない部分を清掃したり、メンテナンスを行ったり致します。

また、皆さまにお会い出来る日を心待ちにして。隅々までピカピカにしたいと思います!

井川

今日はニャンの日 パート⑮ 今日も暑いにゃん…

7月 22日, 2012年
カテゴリー : 今日はニャンの日 

皆様こんにちは。上田でございます。
梅雨が明けて、遠くからせみの声が聞こえる…今年も夏がきましたね。

人間だけで無く、猫もすっかり暑さにやられています。
上田家にミミがやって来て二度目の夏。姿が見当たらないと思ったらソファの下やクローゼットの奥に潜んでいたり、と猫は涼しい場所を熟知しています。

風がよく通る場所で居眠り。
良かれと思って買った「ひんやりシート」は使ってくれません…
「尻尾くらいは乗せてやってもいいぜ」と言わんばかりの態度です。
飼い主の期待には全く答えない。さすが猫。

暑さのあまり、時にはこんな恥ずかしい格好も。

顔もだらけています。

これからますます暑くなるので、皆様しっかり対策をして熱中症にはお気をつけてください。

上田

本日の京都芸術劇場は…

7月 22日, 2012年
カテゴリー : KPACへようこそ 

春秋座にて

マラルメ・プロジェクトⅢ
『イジチュール』の夜へ
―「エロディアード」/「半獣神」の舞台から―

がございます。

開演は16時、開場は15時30分からとなっております。

上演時間は2時間ほどを予定しております。
当日券は若干枚数をご用意しております。
皆様のご来場をお待ちしております。

舞台芸術研究センター

いよいよ今週末!しかし、マラルメ・プロジェクトのⅠ、Ⅱって、、、?

7月 18日, 2012年
カテゴリー : 過去の情報(~2016.3) 

ツカモトです。
さてさて、京都では祇園祭の山鉾巡行もおわり、
いよいよ夏本番!というかんじですね。
皆さま熱中症などお気をつけくださいね。

マラルメ・プロジェクトⅢまで一週間をきり、
多くの出演者、スタッフが数日前から小屋入りして
本番に向けて着々と進んでおります!
そして、最高の舞台をたちあげるべく
あらゆるジャンルのプロたちが
意見をぶつけあっております。


↑動きながら、衣装あわせ、
舞台の上は大忙しです。(暗くて少しぶれていてすみません!)



映像実験中!

今回はマラルメ・プロジェクトⅠ、Ⅱを合わせて、
発展させた形になっていますが、(詳しくは公演詳細ページの浅田彰大学院長のコメントをご覧ください)そもそも、
Ⅰ、Ⅱってどんなかんじだったの?と思われる方もいらっしゃいますよね?

Ⅰ、Ⅱをご覧になったお客様はどのような感想をお持ちになったか、
今回はアンケートの抜粋をいくつかご紹介したいと思います。

マラルメ・プロジェクトⅠ
・日本語での朗読はあたかもマラルメが読んで聞かせて
 くれているかのような雰囲気でした

・詩というものを「朗読」する事によりそれが
 アートへと変貌する可能性を感じました。

・あまりの美しさに息がとまりそうになりました。
 詩への新しいアプローチと可能性は無限のものだと感じました。

マラルメ・プロジェクトⅡ
・内容を理解する、というより言語の羅列されたものを聞く気持ちよさがありました。
 映像も奥行きがあって粒と音が重なって夢の中にいる感じがありました。

・超かっこよかった。最高級の知的バトルという感じ。スバラシイ。

・マラルメ・プロジェクトⅠ以上に「舞台」として進化していたように思います。
 「イジチュール」の舞台化ではなくて、またひとつのマラルメ演劇が
 生み出されていたようにみえました。

なかには、「難解すぎる」というご意見もいただいておりますが、
今回はそのような声も反映し、プロローグをレクチャー風にすることで
よりわかりやすくまた、マラルメをよくご存知の方にも
さらに楽しんでいただける内容となっています!

さて、ただいまピアノも搬入されました!

今回も公演は京都にて一回のみです。
今週末は春秋座に是非、お運びください!

ツカモト

下調べで楽しみ倍増ですね!?

7月 11日, 2012年
カテゴリー : 過去の情報(~2016.3) 

制作助手のツカモトです。
今回のマラルメ・プロジェクト3ではイレギュラーですが、
演出助手のようなこともさせていただいております、、、!

さて、7/22の公演本番に先立ちまして、百科学という授業で
学生対象のマラルメについての講義を行います。

百科学とは、一年生全員が春秋座で受講する、さまざまな分野の
先生方をお招きして行うオムニバス方式の講義科目です。

それに伴い今まで話でしか聞いたことのなかったマラルメの
映像やマラルメに影響された作品の映像を見る機会がありました。

今まで、美しく製本された現代の本や台本でしか読んでいなかった作品も
当時の手書きの詩や、彼が育った環境、フランスの景色、愛した家族、家の写真を見ると
今まで神経質(神経症をわずらったという事実があるため)すぎると
思っていた彼の人間味が伝わり、親しみがわいてきますねぇ。

ツカモトも近頃観劇前に少し見る作品のことについて
自分なりに調べていくようにしています。
全く何もわからなくて見るより、
いろんな取っ掛かりができて楽しいですよね。

(ちなみにこれは週末に当劇場で公演した
木ノ下歌舞伎の主宰、木ノ下さんから学びました!)

というわけで、マラルメ・プロジェクト3をご覧になる前に
是非いろいろお調べになってはいかがでしょうか?

ツカモト

本日の京都芸術劇場は…

7月 08日, 2012年
カテゴリー : KPACへようこそ 

春秋座にて

木ノ下歌舞伎「義経千本桜」

がございます。

開演は13時、開場は12時30分からとなっております。

終演は17時35分頃を予定しております(途中休憩あり)。

当日券もご用意しております。

皆様のご来場をお待ちしております。

舞台芸術研究センター

「踊りたくなる!」ハンガリーのジプシー音楽と超絶技巧の演奏!!

7月 05日, 2012年
カテゴリー : 過去の公演 

さて、7月に入りましたね。今日も雨模様…
梅雨明けはいつなのか!?夏はやってくるのか!?
と、日々空に疑いの目を向ける今日この頃。ツチヤだけでしょうか??
そんな雨雲を吹き飛ばすかのごとく、現在春秋座では木ノ下歌舞伎が若い感性の新しい舞台を準備中。今週末ご来場予定の方、お楽しみに。
あ、ひとつご注意を。木ノ下歌舞伎「義経千本桜」は、古典作品ではありません。
現代演出家の新しい演出の現代演劇です。きっと新しい視点で“歌舞伎”を観ていただけることでしょう!
観ていただいてそう感じたら、ぜひ9月6日(木)の「松竹大歌舞伎」もご予約くださいませ。

さてさて、本題からそれているように思いますが…
いまやその歌舞伎の世界は襲名ブーム真っ只中。
7月1日(日)シンポジウム「日本文化としての家元」では、諏訪先生も語られていましたように名前を受け継ぐということは、日本では、先祖の“霊威”、家の神をも受け継いでゆくということでした。
「日本では」?
そう、お待たせしました。ここでやっと本題に入ります。

10月13、14日と開催する【春秋座オータムコンサート】!
その2日目・10月14日(日)14時開演、
情熱と哀愁のジプシー音楽「ラースロ・ベルキとジプシー楽団」
私の世代で言うとその体制は「安室奈美恵 with SUPER MONKEY’S」といったところでしょうか…
安室奈美恵もとい、ラースロ・ベルキ氏のその名は、先代である父親からヴァイオリン演奏の技術とともに受け継いだ名前なのだそうです。襲名の文化は日本だけではないのですね!
名門と呼ばれるベルキ家に生まれ、その演奏は随一と呼ばれた先代“ラースロ・ベルキ”。そんな父に幼い頃から正統ジプシー音楽伝承者としてヴァイオリンを習い、いまやそのテクニックは先代を超えるとも言われています!
そして、SUPER MONKEY’Sもとい、ツィンバロム・ターロガトー・コントラバス・ヴィオラを演奏するジプシー楽団は、ハンガリーの国中から優れた奏者を集めた無敵楽団なのです!
名と共に「ハンガリーのジプシー音楽を世界に!」という先代の意志をも継ぎ、楽団のリーダーとなった当代ラースロ・ベルキは、ハングリーに国内外で活動を続けます。会場の雰囲気やお客様の様子で演奏の変わる彼らのジプシー音楽は、さて日本のこの春秋座でどのように響くのでしょうか。
お楽しみに!!

ツチヤ

「マラルメ・プロジェクト3」――《詩句の朗誦》について、基本的な幾つかの事項  

7月 01日, 2012年
カテゴリー : プロデューサー目線 

 二年前に、筑摩書房から『ステファヌ・マラルメ全集1』が刊行され、およそ四半世紀をかけた大部の5冊本として、この19世紀世紀末の夜の中に、燦然とシャンデリアの如き光芒を放っている巨匠の、全体像が、ともあれ、日本語で捉えられるようになった。もちろん、研究の進み具合や、翻訳分担者の適否の問題など、顕在化した問題は少なくないのだが、ともあれ、20世紀の「先駆的な」文学、思想、そして音楽を始めとする芸術の多分野に、世紀を超えた灯台のようにして聳える、ステファヌ・マラルメの「全体像」への接近は、一応果たされた。

 この『全集』の完成を機に、なにかマラルメに相応しい催しをしたらどうかという浅田彰大学院長の発議で、まずはマラルメの「詩篇」を、フランス語において肉声化し、坂本龍一氏がそれを聞いて、気に入られたならば、「音楽」の伴奏を付けて頂き、ダム・タイプの映像作家、高谷史郎氏にしかるべき映像をあしらって貰う、と言う方向で、作業は始まった。
 幸い、この「神をも畏れぬ」企画は、好評であり、もちろんそこには坂本龍一氏のライヴ演奏と言う、魅力的な誘いが大きく働いていたことは言うまでもないが、少なくとも「日本人にマラルメなんぞ読めるはずがない、しかもフランス語で!」という、拒絶反応は克服できたように思う。
 一年目の好評に勇気づけられたチームは、どうせやるなら、『イジチュール』か『賽の一振り』に挑戦しようと言うことになり、上記『全集1』では、わたしが『イジチュール』の翻訳・注解を担当して居るから、『プレイヤード叢書』新版の、ベルトラン・マルシャルの解読に従って、『《イジチュール》の夜』の台本を作った。後で述べる様に、マラルメは、舞台芸術の内でも「バレエ」を殊に愛したから、近年ご一緒することが多い白井剛・寺田みさこ両氏に加わって頂き、『イジチュール』と関係の深い詩篇の、フランス語と日本語の朗読を背景に、ソロやデュエットを踊って頂いた。そして、三年目の今年である。

 『《イジチュール》の夜へ――「エロディアード」「半獣神」から』という標題が意味しているものは、『イジチュール』の危機が読み解かれるべき「文脈」には、「エロディアード――舞台」と「半獣神幕間劇」による、マラルメの劇場進出の挫折が大きく響いていること、そして、更に言えば、『イジチュール』のテクスト空間においてすら、「演劇性」や「舞台」は、執拗に顔を出すのだから、1865年9月における、詩人の劇場進出の試みの挫折は、「エルべーノンの夜」の境界線に、やはり見えていなければならないだろう。これが、「ダブル・プロローグ」として冒頭に付した、今回の新しい「筋立て」である。

 ところで、舞台上演の差し迫ったことばかり書いて来て、一番肝心な、というか、基本的な前提となる作業について述べていなかった。フランス語韻文の「朗誦法」のことである。
 日本と違って、フランス文学の根幹は、17世紀の所謂「古典主義」の作家たち、ピエール・コルネイユ、モリエール、ジャン・ラシーヌに代表される「文学言語の洗練と高度化」であり、しかもそれがすべて、「劇作家」によって担われていたことである。コルネイユ、ラシーヌの「悲劇」は、全て「定型韻文」で書かれていたし、喜劇作家のモリエールは、散文の喜劇も書いたが、その代表作となる本格喜劇は、やはり定型韻文劇であった。

 それらの「韻文劇」の基本となる定型詩句は「アレクサンドラン」と呼ばれる「十二音節詩句」で、そこには「脚韻」の規則や一行の詩句の中央での「切れ目」を始めとする幾つもの規則があった。この詩形をもっとも見事に完成させたのは、悲劇作家ジャン・ラシーヌであり、古代悲劇に匹敵する高貴かつ残酷な詩句から、ほとんど日常散文に微細な変更を加えただけのようにも見える詩句まで、その「韻文戯曲」の台詞は、3世紀以上にわたって、フランス文学の最も揺るぎない規範であり、幾世紀もの詩人が、それに反発しつつも、一度は回帰せざるを得ないような「古典」であり続けた。
 「劇の言語」であるから、当然それらは、「劇場で発せられて」はじめてその効果を現実のものとする、と一応は言っておける。しかし、日本の伝統芸能から類推されるように、それらの詩句の「朗誦法」が、伝承されている訳ではない。「伝統を活かしつつ守る」ことを使命とする国立劇場コメディ=フランセーズにも、「コメディ=フランセーズ式の朗誦法」が「伝承」されている訳ではないのだ。
 わたしが、コメディ=フランセーズの舞台を、パリで最初に見たのは1956年のことだが、その時点から現在に至る56年間に、この「モリエールの家」における「朗誦法」は、何度も大きな変化を体験して居るか分からない程である。しかし、注意しなければいけないのは、それほど「詩句の肉声化」に変遷があっても、詩句そのものに手を付け、書き直したり、削除したりすることは、絶対にあり得ない。これは、ドーヴァー海峡の向こう側のシェークスピア劇等とは決定的な違いである。
 従って、戯曲に用いられる定型韻文の代表的形式、「アレクサンドラン詩句」にしても、その構造の捉え方は、原則として変わらないが、実際にそれを「音声化する」に際しての「偏差」は、時代により、あるいは役者により、最近では演出家によって、極めて肥大することも起きる。例えば、1950年代には、アレクサンドラン詩句を出来るだけ「心理的に」――ということは、「近代劇の心理主義に即して」――言うことが常識となったり、あるいはそれとは正反対に、1960年代末からは、アントワーヌ・ヴィテーズという、極めて「前衛的な」演出家の登場によって、アレクサンドラン詩句を、「心理主義的自然さ」などで言うことは「下の下」とされ、はっきり「距離を置いて聴かす」という方法が、ほとんど絶対的な力を以って、若い役者たちに、熱狂的に受け入れられてきた。
 19世紀には、まだ録音技術も装置もなかったから、たとえば、「黄金の声」とたたえられたサラ・ベルナールの「声」も、ラシーヌの『フェードル』の一節が残されているだけであって、そこから19世紀末の朗誦術を想像するのは難しい。ただ、両大戦間からは、レコード録音が実現され、第二次大戦後から現在に至る複製メディアの隆盛からは想像もつかないが、それでも、「著名な詩人が自作を朗読する録音」といったものは、聴くことが出来るようになってきた。

 個人的な経験で言えば、大きなショックを受けたのは、詩人のポール・ヴァレリーが自作の詩篇を朗読している記録を、初めて聴いたときである。
 あれは1958年のブリュッセル万博の「フランス館」において、フランスの「出版社」が設えた「ブース」で、クローデルやヴァレリーによる自作の朗読を聴いた時だった。通念的に言えば、ヴァレリーのような「知性が肉を背負っているような人」が、自作を読むならば淡々と、あるいは冷たく、それこそ「異化効果的な」朗読をするかと思うだろう。ところが、ガリマール社のブースから聞こえて来たヴァレリーの「海辺の墓地」は、サラ・ベルナールをして眼色ならしめるであろうと思われるような、俗っぽく言えば「かなり大袈裟な朗誦法」であった。

 ここでようやくマラルメに戻るのだが、言うまでもなくマラルメはヴァレリーの師であるし、ヴァレリーより、よほど絢爛豪華、かつ晦渋な詩句を書いた詩人なのだから、さしあたりサラ・ベルナールと同じレベルで想像してもよいのではないかと思う。そのマラルメが、晩年、「未来の群衆的祝祭演劇」のパラダイムを想定するに際して、「ワーグナーの神話的楽劇」、「象形文字としてのバレエ」、「カトリックのミサ聖祭とオルガン演奏会」といった柱と並べて、と言うか、それらに先立って、「優れた詩篇の朗誦パフォーマンス」を挙げていることを書いて置きたかったからである。そこで例として引いているのは、マラルメが尊敬する高踏派の詩人テオドール・ド・バンヴィルの作品であるが、当然、自作もそのような文脈を想定しつつ書いていたに違いない。自作の詩篇は、当然に「声に掛ける」テクストであり、「声に出して読む/それを聴く」といった「パフォーマンス」を前提としていたはずである。
 とすれば、「マラルメの詩篇の朗読パフォーマンス」を芯に据え、そこに「音楽」と「バレエ」と、更には同時代(ここでは21世紀だが)のテクノロジーの粋を集めた「仕掛け」とが加わる「多重的な舞台表象」を、今、ここで、作りだす事は、1世紀余の時空を隔てて、「ローマ街の師」の遺志を活かすに相応しい企てなのではあるまいか。
 少なくとも「マラルメ・プロジェクト」の参加者は、誰しもそのような思いを秘めて、それぞれの「言語」を磨いている。

渡邊守章
(舞台芸術研究センター所長・演出家)

本日の京都芸術劇場は・・・

7月 01日, 2012年
カテゴリー : KPACへようこそ 

春秋座にて

「日本芸能史」関連シンポジウム
日本文化としての家元

がございます。

開演は14時、開場は13時30分からとなっております。

終演は16時頃を予定しております。途中休憩はございません。
当日券もご用意しております。

皆様のご来場をお待ちしております。

舞台芸術研究センター