歌舞伎の生んだ“ドラマ”

8月 31日, 2012年
カテゴリー : 過去の公演 

もうすぐ、8月が終わりますね~
子供の頃からスーパーマンやバットマン、スパイダーマンの大好きなツチヤです。
先日、映画を見てきました!ヒーローが沢山出てきて世界を救う映画です。
最新のCGを駆使した迫力のある映像とストーリーはお決まりですが、そんなところに大満足でした。

さて、アメリカン・ヒーローが好きな頃から同じく好きだったのが、江戸時代。
歌舞伎の生まれた時代。武士の世の中です。
刀を差し、封建制度のもとで生きる武士のみなさんの社会。
命を掛けて主を守り、恩義と忠義を重んじる。
そんな時代だからこその儚いドラマもあったのかもしれません。

9月6日(木)に開催いたします「松竹大歌舞伎」。

その演目の中から、今日ご紹介するのは
【熊谷陣屋(くまがいじんや)】の物語。


写真:松竹

みなさんは、学校の古典の授業で「平家物語」を習ったことがあるかと思います。
その中で「敦盛の最期」の巻を覚えておいででしょうか?
“みぎはにうち上がらむとするところに、押し並べてむずと組んでどうど落ち、取つて押さへて~”というアレです。
うろ覚えという方に、ざっくり説明しますと…
源平の戦の最中、源氏方の熊谷次郎直実は、波打ち際で身分の高いであろう平家の武者を見つけ声を掛けます。戻ってきたところ押し倒してみると、我が子の小次郎のように若く、美しい顔立ちをしているのを見て、この子を殺してしまったらこの子の親はどんなに悲しむだろうかと悩みます。しかし、源氏方の軍勢が何人もやって来るためここで自分が助けたとしても他の者の手に掛かるうえ、自分も疑われてしまう…直実は後の供養を約束し、他の者の手に掛かるならばとその武者の首をとります。直実は「武士の家に生まれなければこの様なことをしなくても済んだのに、武士の身ほど情けないものはない…」と涙を流し、さらにその青年武者が夜明けに聞こえた笛の音の主だと知ります。
そしてその青年が平敦盛であったと。

平家物語では、敦盛の最期と直実はこのように描かれていますが、歌舞伎は違います!
そう、武士の世・江戸時代。「武士の身ほど…」などもってのほか!
しかし、歌舞伎はこのストーリーに違うドラマを加え、書き換え、
まったく違う新しい物語を生み出したのです!

それが、【熊谷陣屋】。
その一の谷の戦いで敦盛の首をとった直実は陣屋にもどり、そこにやってきた敦盛の母・藤の方と妻・相模に敦盛の首をとった様子を語ります。そこに、敦盛の首を見せるよう義経がやってきます。そして直実が差し出した首をみて、義経は敦盛といいますが、藤の方と相模は驚きます。それは息子・小次郎の首だったのです。直実は昔、相模とのことで危うく落としかけた命を藤の方に救われました。その旧恩を返すため、義経の意向もうけ、我が子を犠牲にしたのでした。

当時の人が映画のように待ちわび楽しみにしていた歌舞伎が生んだ悲しいドラマ。
人と人のつながりの強さは、義経の恩情とそれに命を掛けて応えるヒーロー・直実の心から熱く伝わってきます。
年表だけではわからない江戸時代の人々の様子がそこに見えてくるのではないでしょうか。

ツチヤ