寺内タケシさんとの事

3月 01日, 2013年
カテゴリー : 過去の公演 

 今回は軽いタッチでエピソードを披露したいと思います。

 まずは、4月にやって来る寺内タケシさんのことから。寺内さんと初めて仕事をしたのは、もう45年も前になります。場所は有楽町にあった日本劇場。「日劇ウエスタン・カーニバル」というグループサウンズが次から次へと登場するロックンロールの祭典でした。「日劇ウエスタン・カーニバル」は現在のAKB48のような社会現象の一つでした。

 ライブハウスで人気の出てきた各グループの競演は、それぞれのファンが熱狂的に応援すると言うことで盛り上がっていました。若い女性ファンが興奮の余り失神したり、楽屋口に集まったファンを整理していたスタッフがお尻を刺されたり、大変な騒ぎの連続でした。その公演に出演する各バンドの取りまとめ役というか、リーダー格が寺内さんでした。

空手の段もちである寺内さんは、喧嘩早っく、その迫力は相当のものでした。

 寺内タケシとブルージーンズには当時ボーカルがいないこともあり、内田裕也、尾藤イサオといった大物歌手のバックも務めていました。いくつものバンドが日劇のセリとスライドを使って休み無く登場するので、各バンドに与えられる持ち時間が決められるのですが、それを管理するのが舞台監督である私の仕事でした。日劇は実演と映画をセットにして興行していたので、時間が延びると大変なことになるのです。
概ね各バンドは時間を厳守してくれるのですが、ある日、乗りに乗った寺内さんは約束の時間を過ぎても一向に演奏を終えないのです。今考えれば、寺内さんの責任と言うよりは歌手が暴走して止まらなくなったのでしょう。私も若かったので、バンドリーダーである寺内さんに文句を言いました。かなり激しいやり取りをしたのですが、寺内さんはもちろん手を挙げませんでした。寺内さんは言いました。「我々はお客さんが乗って来てくれたら止まらない習性があるんだよ。でも、舞台監督の立場でそこまで熱くなれるっていうのはいいね。これからは時間内に終わるようにするよ」といって握手をしてくれたのです。

ちなみに、寺内さんは私より1歳先輩でした。

 ちょっと強面ではありますが、寺内さんの男らしい爽やかさに惚れ、その後、いろいろな仕事を一緒にしてきました。寺内さんの中には、日本人の美徳とされている武士道精神が流れています。ただし、一番に平和を愛するやさしい面も持っています。寺内さんの演奏が何よりもそれを証明しています。他の人とのエピソードもと思いましたが長くなってしまいました。

この続きはまたの機会に。

橘市郎
(舞台芸術研究センター プロデューサー)