「春秋座 能と狂言」と観世銕之丞家

1月 01日, 2015年
カテゴリー : プロデューサー目線 

あけましておめでとうございます。
京都芸術劇場は、ことしも「大学の劇場」として、質の高い舞台を提供してゆきます。

ことしは、まず、春秋座恒例となった渡邊守章企画・監修「春秋座 能と狂言が1月31日に催されます。平成21年以来の企画ですから、これで6回目になります。この企画は春秋座というプロセニアム舞台で上演される「劇場能」としても、すっかり定着した感がありますが、演目は能が観世銕之丞氏の『山姥』、狂言は野村万作、萬斎氏の『木六駄』で、これも初回以来の顔ぶれです。『山姥』や『木六駄』については、当日のプレト-ク(渡邊守章・天野文雄)にゆずり、ここでは、今回もご出演いただく観世銕之丞氏あるいは観世銕之丞家と春秋座との縁について、すこしばかりお話しすることにします。
観世銕之丞氏は、いまから250年ほども昔の宝暦(1751~63)頃、将軍家重の時代に、幕府から観世大夫家の分家として認められた観世銕之丞家の九世です。初世は観世織部清尚、以下、②織部清興-③織部清宣-④銕之丞清済-⑤銕之丞清永-⑥銕之丞華雪-⑦銕之丞雅雪-⑧銕之丞静雪と続いて、現銕之丞氏にいたります。初世清尚は14世観世大夫清親の次男で、兄は観世流の能の詞章全体に改訂を施した明和改正謡本の刊行で知られる15世観世大夫元章です。それまで、幕府お抱えの五座のうち、分家が認められていたのは金春座だけでしたから、これはかなり破格の処遇だったといえます(現在、シテ方で観世を名乗る家には、観世宗家―かつての観世大夫家―、観世銕之丞家、観世喜之家がありますが、喜之家は明治に入ってから銕之丞家の分家となった家です)。以上の歴代のうち、初世と3世は、銕之丞家の当主から観世大夫家に入り、それぞれ17世、19世を継承していますが、銕之丞家はそのような家格の家なのです。
現銕之丞氏の先代は、銕之丞を名乗る前は「静夫」として知られた役者です(「静雪」は没後の追号です)。この静夫の長兄が寿夫、次兄が栄夫で、いまとなっては懐かしい、いわゆる「観世三兄弟」です。長兄の寿夫は「世阿弥の再来」とまでいわれた名手で、「冥の会」などで能以外の演劇人-守章先生や静夫氏もその1人です。「冥の会」には野村万作氏も参加されていました-とも交流をもった役者でしたが、昭和53年に53歳の若さで亡くなりました。次兄の栄夫は、喜多流の芸風にあこがれて、同流の後藤得三(喜多流家元の喜多実の実弟)の養子となり、その後、観世姓に戻って、演劇界や映画界で活躍したあと、ふたたび能界に復帰するという波乱に満ちた生涯を送った役者で、渡邊守章先生とも昭和30年代以来の親交がありました。栄夫氏はまた、京都造形芸術大学の教授も長く務め、瓜生山に立つ楽心荘能舞台は、昨年逝去された徳山詳直前理事長が栄夫氏の協力のもと建造されたと聞いています。
こうして、3兄弟の末弟である静夫氏が銕之丞家八世を継いだわけですが、筆者は平成12年に逝去された静夫氏の舞台には数多く接しています。静夫氏の舞台は、腰のすわったカマエや技の切れが抜群で、あのような役者は現在の能界にはもういないように思います。とりわけ、静夫氏の芯のある、やや哀愁を帯びた謡は魅力的でしたが、それは現銕之丞氏にも継承されています。その銕之丞氏は、あらためていうまでもないことですが、本学の教授でもある京舞井上流5世井上八千代氏の夫君であり、本学舞台芸術学科出身の井上安寿子さんの父でもあります。
以上で、渡邊守章企画・監修「春秋座 能と狂言」が初回から能のシテを観世銕之丞氏にお願いしているわけもお分かりいただけたと思います。かく言う筆者も、銕之丞氏とはいろいろな場所でお会いしていますが、1年前までは、このように春秋座でごいっしょになるとは、夢にも思っていませんでした。寿夫氏とは面識はありませんでしたが、栄夫氏、静夫氏とは何度かお話しする機会もありましたので、これが縁というものかと思っているところです。なお、銕之丞氏の能に向き合う姿勢、父静夫、伯父寿夫、栄夫のことなどについては、『舞台芸術』17号の守章先生との対談で語られていますし、破天荒な栄夫氏の生涯については、これも『舞台芸術』の創刊号から10回ほどにわたって、みずから詳しく語っておられますので、関心のある向きはお読みください。

天野文雄
(舞台芸術研究センタ-所長)