大学院について
大学院長からのメッセージ
知的・創造的な核としての大学院
京都造形芸術大学は前身である短期大学の時代を入れても創立から32年の新しい学校ですが、若いエネルギーをもって急速に成長を遂げてきました。とくに21世紀に入ってからの爆発的な展開には目覚ましいものがあります。実際、京都ならではの伝統芸術から世界最先端のポップ・カルチャーまで、これほど多領域にわたって多彩な人材を揃えた学校が、世界のどこにあるでしょうか。芸術が自閉的なものであってはならないと信ずる私たちは、芸術を社会に向けて大きく開いていきたい、それによって社会を変えていきたい、と願っているのです。
しかし、その過程で、芸術が市場に吸収され、大学が大学というにふさわしい質と骨格を失ってしまうとしたら、元も子もありません。そこには芸術大学の知的・創造的な核となり背骨となり尖端となる部分がどうしても必要です。それが京都造形芸術大学大学院なのです。この大学院も創立から13年の新しい学校ですが、大学全体と有機的に連関しながら、やはり急速に成長を遂げてきました。しかし、私たちは現状に満足せず、さらに貪欲に成長していきたいと願っています。みなさんがその動きに注目し、参加してくださるとすれば、それにまさる喜び はありません。
京都造形芸術大学は前身である短期大学の時代を入れても創立から32年の新しい学校ですが、若いエネルギーをもって急速に成長を遂げてきました。とくに21世紀に入ってからの爆発的な展開には目覚ましいものがあります。実際、京都ならではの伝統芸術から世界最先端のポップ・カルチャーまで、これほど多領域にわたって多彩な人材を揃えた学校が、世界のどこにあるでしょうか。芸術が自閉的なものであってはならないと信ずる私たちは、芸術を社会に向けて大きく開いていきたい、それによって社会を変えていきたい、と願っているのです。
しかし、その過程で、芸術が市場に吸収され、大学が大学というにふさわしい質と骨格を失ってしまうとしたら、元も子もありません。そこには芸術大学の知的・創造的な核となり背骨となり尖端となる部分がどうしても必要です。それが京都造形芸術大学大学院なのです。この大学院も創立から13年の新しい学校ですが、大学全体と有機的に連関しながら、やはり急速に成長を遂げてきました。しかし、私たちは現状に満足せず、さらに貪欲に成長していきたいと願っています。みなさんがその動きに注目し、参加してくださるとすれば、それにまさる喜び はありません。
大学院の構成
京都造形芸術大学大学院には、通学制の大学院と通信教育制の大学院がありますが、ここでは通学制の大学院について説明しましょう。
通学制の大学院は、修士課程(前期課程)と博士課程(後期課程)から成ります。
修士課程は、芸術に関するさまざまな領域の歴史的・理論的研究を中心とする「芸術文化研究専攻」と、美術・工芸・デザイン・映像・舞台芸術といったさまざまなジャンルの実践的創作活動を中心とする「芸術表現専攻」に分かれますが、それぞれに決められた講義科目・演習科目・研究科目を修得し、さらに必要な研究指導を受けた上で、「修士論文」または「修士作品・研究ノート」を提出、その審査および試験に合格すれば修士号が与えられます。
博士課程には「芸術専攻」が設置され、いっそう高度に専門化された研究活動・創作活動を行なっていくことになります。そこで決められた単位数を修得し、さらに必要な研究指導を受けた上で、「博士論文」または「博士論文および作品」を提出、その審査および試験に合格すれば博士号が与えられます。
京都造形芸術大学大学院には、通学制の大学院と通信教育制の大学院がありますが、ここでは通学制の大学院について説明しましょう。
通学制の大学院は、修士課程(前期課程)と博士課程(後期課程)から成ります。
修士課程は、芸術に関するさまざまな領域の歴史的・理論的研究を中心とする「芸術文化研究専攻」と、美術・工芸・デザイン・映像・舞台芸術といったさまざまなジャンルの実践的創作活動を中心とする「芸術表現専攻」に分かれますが、それぞれに決められた講義科目・演習科目・研究科目を修得し、さらに必要な研究指導を受けた上で、「修士論文」または「修士作品・研究ノート」を提出、その審査および試験に合格すれば修士号が与えられます。
博士課程には「芸術専攻」が設置され、いっそう高度に専門化された研究活動・創作活動を行なっていくことになります。そこで決められた単位数を修得し、さらに必要な研究指導を受けた上で、「博士論文」または「博士論文および作品」を提出、その審査および試験に合格すれば博士号が与えられます。
「自学自習」をサポートする
京都造形芸術大学大学院では多様な領域にわたる多彩なカリキュラムが用意され、第一線の研究者や創作者が教員として責任をもって指導にあたっています。けれども、大学院というのは、何よりもまず、学生が自分で問題を発見し、自分で学習する場でなければなりません。私たちは、大学院の学生を、修士課程なら半人前、博士課程ともなれば一人前の、自立した研究者・創作者として扱います。大学院生がそうやって自分の研究や創作を進めていこうとするとき、私たちはそれをできるかぎりサポートしていく―物理的な条件を整え、人や機関を紹介し、ヒントやアドヴァイスを与え、あるいはまた必要があればはっきり「ノー」と言う覚悟なのです。
とはいえ、最初から自分の問題領域に閉じこもってしまったのでは、大した成果は望めません。他の領域に広く目を開き、そこからさまざまな刺激を受けてこそ、自分の問題も深まったり広がったり思わぬ展開を見せたりするのです。そういう意味で、「自分で問題を発見し、自分で学習する」と言った、その「自分」という言葉は「自分たち」という言葉で置き換えたほうがいいかもしれない―そして「自分たち」には大学院生のみならず私たち教員も入っていると言うべきかもしれない、と思います。幸い、私たちの大学院は(まだ)「少数精鋭」と言え る規模で、一方的な講義だけでなく、セミナー―とくに、学外からもさまざまな特別講師を呼んで話を聞き、大学院生みんなで質疑応答や議論をする「芸術文化論特論(比較芸術文化論特論)」―や論文・作品の中間発表会・講評会といった相互的コミュニケーションの場を多く設けるようにしています。そういう中で、硬直的な「師弟関係」を超え、大学院生も教員も一緒になって自由闊達に議論しながら、お互いの問題意識を深めてゆくことができれば―それが私たちの願いです。
京都造形芸術大学大学院では多様な領域にわたる多彩なカリキュラムが用意され、第一線の研究者や創作者が教員として責任をもって指導にあたっています。けれども、大学院というのは、何よりもまず、学生が自分で問題を発見し、自分で学習する場でなければなりません。私たちは、大学院の学生を、修士課程なら半人前、博士課程ともなれば一人前の、自立した研究者・創作者として扱います。大学院生がそうやって自分の研究や創作を進めていこうとするとき、私たちはそれをできるかぎりサポートしていく―物理的な条件を整え、人や機関を紹介し、ヒントやアドヴァイスを与え、あるいはまた必要があればはっきり「ノー」と言う覚悟なのです。
とはいえ、最初から自分の問題領域に閉じこもってしまったのでは、大した成果は望めません。他の領域に広く目を開き、そこからさまざまな刺激を受けてこそ、自分の問題も深まったり広がったり思わぬ展開を見せたりするのです。そういう意味で、「自分で問題を発見し、自分で学習する」と言った、その「自分」という言葉は「自分たち」という言葉で置き換えたほうがいいかもしれない―そして「自分たち」には大学院生のみならず私たち教員も入っていると言うべきかもしれない、と思います。幸い、私たちの大学院は(まだ)「少数精鋭」と言え る規模で、一方的な講義だけでなく、セミナー―とくに、学外からもさまざまな特別講師を呼んで話を聞き、大学院生みんなで質疑応答や議論をする「芸術文化論特論(比較芸術文化論特論)」―や論文・作品の中間発表会・講評会といった相互的コミュニケーションの場を多く設けるようにしています。そういう中で、硬直的な「師弟関係」を超え、大学院生も教員も一緒になって自由闊達に議論しながら、お互いの問題意識を深めてゆくことができれば―それが私たちの願いです。
研究センターとの連携
京都造形芸術大学には、大学附置研究機関として、それぞれ独立したプログラムのもとで活動しているさまざまな研究センターがあり、京都造形芸術大学の教員を中心に内外の専門家と連携を図りながら研究を進めるとともに、公刊や公開講座・公開公演を通じて研究成果を社会にフィード・バックしています。中でも、比較藝術学研究センター、日本庭園・歴史遺産研究センター、ものづくり総合研究センター、舞台芸術研究センターでは、大学院生が活動に参加しています。そうやって第一線の研究・創作活動の現場に触れることは、必ずや大きな刺激になるでしょうし、今後の活動のための具体的なヒントにもなるでしょう。こうした連携を、私たちはさらに拡大していきたいと思っています。
京都造形芸術大学には、大学附置研究機関として、それぞれ独立したプログラムのもとで活動しているさまざまな研究センターがあり、京都造形芸術大学の教員を中心に内外の専門家と連携を図りながら研究を進めるとともに、公刊や公開講座・公開公演を通じて研究成果を社会にフィード・バックしています。中でも、比較藝術学研究センター、日本庭園・歴史遺産研究センター、ものづくり総合研究センター、舞台芸術研究センターでは、大学院生が活動に参加しています。そうやって第一線の研究・創作活動の現場に触れることは、必ずや大きな刺激になるでしょうし、今後の活動のための具体的なヒントにもなるでしょう。こうした連携を、私たちはさらに拡大していきたいと思っています。
研究・制作支援体制
京都造形芸術大学大学院では、学生の研究・創作活動、あるいはまたその成果の積極的な対外発表を支援する「研究・制作・発表助成制度」を設けています。大学院生から、研究・制作・発表活動の計画を公募し、領域を超えた院生同士の共同研究や院生個人のテーマにかかわる研究・制作、国内・国外での現地調査、学会での研究発表や展覧会の開催などに対して積極的に助成を行なうものです。
また、博士課程の学生に対しては、専攻の専門的な学識を有する者をティーチング・アシスタント(TA)として採用する「TA制度」を設けています。TA制度により、大学院生は、研究者・創作者として、また教育者として、経験を深める機会を得ることができるでしょう。
京都造形芸術大学大学院では、学生の研究・創作活動、あるいはまたその成果の積極的な対外発表を支援する「研究・制作・発表助成制度」を設けています。大学院生から、研究・制作・発表活動の計画を公募し、領域を超えた院生同士の共同研究や院生個人のテーマにかかわる研究・制作、国内・国外での現地調査、学会での研究発表や展覧会の開催などに対して積極的に助成を行なうものです。
また、博士課程の学生に対しては、専攻の専門的な学識を有する者をティーチング・アシスタント(TA)として採用する「TA制度」を設けています。TA制度により、大学院生は、研究者・創作者として、また教育者として、経験を深める機会を得ることができるでしょう。
裏切りと(しての)伝統
京都造形芸術大学大学院の最大のポイントのひとつは、端的にいって、京都にあるということです。日本文化を研究する学生にとってはもちろん、そうでない学生にとっても、京都で日本の古い伝統に気軽に触れられるということは、他所では望むべくもない贅沢な特権と言えるでしょう。
しかしまた、京都は古いものを守る一方で、新しいものをいちはやく取り入れてきた都市でもあります。明治になって、当時の最新技術による疎水が建設され、その一部であるアーチを連ねた水道橋が南禅寺の境内を横切っている姿、しかも、それが現在では古き良き時代の遺産として愛されている姿は、古いものと新しいものが必ずしも相反しないこと、むしろ、本当に古いものは新しいものを受け容れる度量をもち、また新しいものは古いものを活性化しつつ新たな伝統を形成していくのだということを、暗に物語っているかのようです。
フランス語でいえば、生き生きした伝統(tradition)とは裏切り(trahison)の連続だということになるのかもしれません。そのことは教育現場でもっとも鮮烈にあらわれます。私たちは、大学院生が、私たちの教えるすべてを注意深く吸収していくことを、しかしまた、大学院生が―というよりも、あなたが、私たちをまんまと裏切り、私たちを踏み越えて、私たちには想像もつかなかったような素晴らしい研究や創作を成し遂げることを、願ってやまないのです。
もしそれが実現できれば、この大学院は、京都造形芸術大学を、さらには日本の、いや世界の文化を、21世紀の新たな地平へと引っ張ってゆく、知的・創造的尖端としての役割を果たすことができるでしょう。あまりに大げさな夢でしょうか? 私は決してそうは思いません。
京都造形芸術大学大学院の最大のポイントのひとつは、端的にいって、京都にあるということです。日本文化を研究する学生にとってはもちろん、そうでない学生にとっても、京都で日本の古い伝統に気軽に触れられるということは、他所では望むべくもない贅沢な特権と言えるでしょう。
しかしまた、京都は古いものを守る一方で、新しいものをいちはやく取り入れてきた都市でもあります。明治になって、当時の最新技術による疎水が建設され、その一部であるアーチを連ねた水道橋が南禅寺の境内を横切っている姿、しかも、それが現在では古き良き時代の遺産として愛されている姿は、古いものと新しいものが必ずしも相反しないこと、むしろ、本当に古いものは新しいものを受け容れる度量をもち、また新しいものは古いものを活性化しつつ新たな伝統を形成していくのだということを、暗に物語っているかのようです。
フランス語でいえば、生き生きした伝統(tradition)とは裏切り(trahison)の連続だということになるのかもしれません。そのことは教育現場でもっとも鮮烈にあらわれます。私たちは、大学院生が、私たちの教えるすべてを注意深く吸収していくことを、しかしまた、大学院生が―というよりも、あなたが、私たちをまんまと裏切り、私たちを踏み越えて、私たちには想像もつかなかったような素晴らしい研究や創作を成し遂げることを、願ってやまないのです。
もしそれが実現できれば、この大学院は、京都造形芸術大学を、さらには日本の、いや世界の文化を、21世紀の新たな地平へと引っ張ってゆく、知的・創造的尖端としての役割を果たすことができるでしょう。あまりに大げさな夢でしょうか? 私は決してそうは思いません。
大学院長
浅田 彰
1957年、兵庫県神戸市生まれ。51歳。
1979年、京都大学経済学部卒業。
1981年より京都大学人文科学研究所助手、
1989年より京都大学経済研究所助(准)教授。
1983年、『構造と力』(勁草書房)を発表し、翌年の『逃走論』(筑摩書房)で提示した「スキゾ/パラノ」のパラダイムとともに,「浅田彰現象」とも呼ばれる「ニューアカデミズム・ブーム」を生んだ。その後、哲学・思想史のみならず、美術、建築、音楽、舞踊、映画、文学ほか多種多様な分野において批評活動を展開。NTTインターコミュニケション・センターの創設にあたっては企画委員を務めた。著書に『構造と力』、『逃走論』のほか、『ヘルメスの音楽』(筑摩書房)、『映画の世紀末』(新潮社)、『20世紀文化の臨界』(青土社)など。『GS』、『批評空間』、『インターコミュニケーション』などの編集委員を務めた。文學界新人賞の選考委員を長く務めたあと、現在は新潮新人賞の選考委員を務める。

