芸術と他分野の橋渡しとして

多様な“個”が集い、つながる場所

芸術は、人類の歴史上ひとつしかない作品を生み出す仕事です。たとえば科学の分野では、特殊相対性理論をまず考えついたのはアインシュタインですが、もし彼がいなければ10年後に別の人が同じことを考えていたかもしれない。いつか誰かが、同じ発見に辿り着くわけです。そういう意味では、科学の世界では個人の存在はそれほど大きな意味を持たない。ところが芸術は、ピカソの絵を他の人が描くことはありません。もし彼がゲルニカを描かなかったら100年後に別の誰かが同じ絵を描いているか。絶対にそんなことはあり得ないのです。芸術というものは、個人がすごく意味を持つ世界なのですね。
本学にはまさに、多彩な個性が集うところです。こども芸術大学や通信教育部を含めると3歳から95歳までの方がいて、単科大学でありながらゆたかな多様性を形成しています。そして、異なる個性や分野が出会うことで、新しい価値が生まれています。たとえば、私は本学に来てからも地球科学の学者としてさまざまな活動を続けているのですが、「南海トラフ大地震についての正しい知識を、いかに市民に伝えるか」と問いかけたとき、この大学はアニメーション・映画・小説・絵画など、多彩なメディアを有しているため、実に多様なかたちで答えが返ってくるわけです。実際、このような連携から地球史を一作のストーリーマンガにまとめる話も進んでいます。

人間のちから、芸術家のちから

2013年春、本学の学長に就任した私は、学内に霊長類研究所のチンパンジーのアイが描いた絵を展示しました。絵を描くという行為は、人間だけの特徴であるかのように言われることがありますが、実はそうではない。では、人間とは何なのか。芸術とは何なのか。みなさんにチンパンジーの絵をお見せしたのは、そう問いかける意味がありました。
その後、論文が発表され、顔の輪郭だけが描かれた絵を見せると人間の子どもはそこに目や口を描くのに対して、チンパンジーは輪郭をなぞるだけで顔のパーツは描かないという比較実験が紹介されました。人だけが記憶を頼りに、今ここにないものを描くことができるのです。本学は、「藝術立国」という理念を掲げ、文明哲学研究所では、核廃絶と世界平和を目指して活動を行っています。人間の記憶や、ここに無いものを思い描く力を手がかりにすれば、あるいは芸術による世界平和への貢献は夢物語ではないかもしれない、とも思えてくるのです。
芸術家が新しいものをつくろうとするとき、技術者たちは必死になってそれを実現させようと技術を開発します。五重塔にしても、エッフェル塔や東京スカイツリーにしても、その時代時代の技術を、芸術が引っ張り上げてきたわけです。科学者たちは、その原理を追求する。学術の分野では、芸術作品がさまざまに解釈され、研究が行われてきました。芸術作品をつくるということが、いかに人類の知恵を高めてきたか。ですから私は、芸術は人類の歴史の一番先端を行くものであると考えています。
そんな芸術と他分野の橋渡しをすることが、長年自然科学に携わってきた私の役目ではないかと思います。私が受け持っている「地球環境論」でも、ドイツ人の尺八奏者を招いたり、冒険家、海洋生物の学者、気象学者、家庭ゴミの研究家など、実に多彩な方々にユニークな講義を行っていただいています。
多くの出会いや刺激と共に、一人ひとりの可能性を広げていけるような環境を、みなさんと一緒につくっていきたいと思っています。

学長 尾池 和夫

京都造形芸術大学 学長

尾池 和夫

1940年東京で生まれ高知で育った。1963年京都大学理学部地球物理学科卒業後、京都大学防災研究所助手、助教授を経て1988年理学部教授。理学研究科長、副学長を歴任、2003年12月から2008年9月まで第24代京都大学総長、2009年から2013年まで国際高等研究所所長を勤めた。2008年から日本ジオパーク委員会委員長。2013年4月から京都造形芸術大学学長。著書に、『新版 活動期に入った地震列島』(岩波科学ライブラリー)、『日本列島の巨大地震』(岩波科学ライブラリー)、『変動帯の文化』(京都大学学術出版会)、『日本のジオパーク』(ナカニシヤ出版)、『四季の地球科学』(岩波新書)、『2038年南海トラフの巨大地震』(マニュアルハウス)などがある。

知の核、創造の尖端

知的・創造的な核としての大学院

京都造形芸術大学は前身である短期大学の時代を入れても創立から38年の新しい学校ですが、若いエネルギーをもって急速に成長を遂げてきました。とくに21世紀に入ってからの爆発的な展開には目覚ましいものがあります。実際、京都ならではの伝統芸術から世界最先端のポップ・カルチャーまで、これほど多領域にわたって多彩な人材を揃えた学校が、世界のどこにあるでしょうか。芸術が自閉的なものであってはならないと信ずる私たちは、芸術を社会に向けて大きく開いていきたい、それによって社会を変えていきたい、と願っているのです。
しかし、その過程で、芸術が市場に吸収され、大学が大学というにふさわしい質と骨格を失ってしまうとしたら、元も子もありません。そこには芸術大学の知的・創造的な核となり尖端となる部分がどうしても必要です。それが京都造形芸術大学大学院なのです。この大学院も創立から19年の新しい学校ですが、大学全体と有機的に連関しながら、やはり急速に成長を遂げてきました。昨年度は大学院自体の核となり尖端となるべく学術研究センターが新しい名前で再出発し、外に向かっても公開講座やWebサイト「REALKYOTO」※を通じて活発な情報発信を展開しています。みなさんがその動きに注目し、参加してくださるとすれば、それにまさる喜びはありません。

REALKYOTOのホームページはこちら

裏切りと(しての)伝統

京都造形芸術大学大学院の最大のポイントのひとつは、端的にいって、京都にあるということです。日本文化を研究する学生にとってはもちろん、そうでない学生にとっても、京都で日本の古い伝統に気軽に触れられるということは、他所では望むべくもない贅沢な特権と言えるでしょう。
しかしまた、京都は古いものを守る一方で、新しいものをいちはやく取り入れてきた都市でもあります。明治になって、当時の最新技術による疏水が建設され、その一部であるアーチを連ねた水道橋が南禅寺の境内を横切っている姿、しかも、それが現在では古き良き時代の遺産として愛されている姿は、古いものと新しいものが必ずしも相反しないこと、むしろ、本当に古いものは新しいものを受け容れる度量をもち、また新しいものは古いものを活性化しつつ新たな伝統を形成していくのだということを、暗に物語っているかのようです。
フランス語でいえば、生き生きした伝統(tradition)とは裏切り(trahison)の連続だということになるのかもしれません。そのことは教育現場でもっとも鮮烈にあらわれます。私たちは、大学院生が、私たちの教えるすべてを注意深く吸収していくことを、しかしまた、大学院生が―というよりも、あなたが、私たちをまんまと裏切り、私たちを踏み越えて、私たちには想像もつかなかったような素晴らしい研究や創作を成し遂げることを、願ってやまないのです。
もしそれが実現できれば、この大学院は、京都造形芸術大学を、さらには日本の、いや世界の文化を、21世紀の新たな地平へと引っ張っていく、知的・創造的尖端としての役割を果たすことができるでしょう。あまりに大げさな夢でしょうか? 私は決してそうは思いません。

京都造形芸術大学大学院 学術研究センター所長 浅田彰

京都造形芸術大学大学院
学術研究センター所長

浅田 彰

1957年兵庫県神戸市生まれ。1979年京都大学経済学部卒業。1981年より京都大学人文科学研究所助手、1989年より京都大学経済研究所助(准)教授。1983年『構造と力』(勁草書房)を発表し、翌年の『逃走論』(筑摩書房)で提示した「スキゾ/パラノ」のパラダイムとともに「浅田彰現象」とも呼ばれる「ニューアカデミズム・ブーム」を生んだ。その後、哲学・思想史のみならず、美術、建築、音楽、舞踊、映画、文学ほか多種多様な分野において批評活動を展開。著書に『構造と力』、『逃走論』のほか、『ヘルメスの音楽』(筑摩書房)、『映画の世紀末』(新潮社)、『20世紀文化の臨界』(青土社)など。『GS』、『批評空間』、『インターコミュニケーション』などの編集委員を務めた。

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