教授メッセージ

Mami Kataoka 片岡 真実

Mami Kataoka

片岡 真実(芸術研究科 教授)

今、アーティストには、欧米・日本・アジアなど、複数の地域的な視点に立った歴史観が、これまで以上に求められています。

自分がどこにいるのかを、実感すること。

1990年代以降、つまり、この20年ほどの間に、現代アートを取り巻く環境は急速に複雑化しています。欧米という中心に向かって、非欧米圏が関係性を模索していた時代を抜けて、非欧米圏におけるそれぞれのモダニズムの発展が比較文化論的に研究対象となる時代を迎えつつあるのです。非欧米圏の芸術は、単なる「模倣」や「遅延」という考え方から解放されようとしています。また、作品と社会との接点も多様化しています。ギャラリーや美術館という枠を超えて、ビエンナーレ、トリエンナーレ、アートフェアなど、作品の生産と発表、それを取り巻くマーケットも世界各地で同時多発的に拡大しています。
こうした環境のもとでは、「歴史的、地域的な文脈の中で、自分がどこにいるのか」という位置づけを、具体的な体験を経て実感することが極めて重要です。今、アーティストには、欧米・日本・アジアなど、複数の地域的な視点に立った歴史観が、これまで以上に求められています。「自分の表現行為や研究が、どのような系譜に位置づけられるのか」「どのような社会的、政治的な環境から生まれたものなのか」「地域や時代を超えて、どのような先人と共鳴するのか」など、幅広い地域と時間軸を見渡し、そこから世界と自分との関わりを見つめ直すことで、より大きなパースペクティブを獲得し、自己の立ち位置を浮かび上がらせる必要があるのです。

世界の構造を、美術という入口から理解する。

現代美術を学ぶことは、「現代美術」という狭義の学術領域ではなく、今日の世界の構造を「美術」という入口から理解しようとする総合的な学習だと考えています。そのためには、歴史、地理、政治、社会、経済など、現代の教育制度のもとで個別の専門分野にわかれてしまった多様な領域との関連性を視野に入れながら、芸術の社会的役割や位置づけ、歴史的な発展を掌握していくような姿勢が大切だと考えています。
その点、京都という場所は、現代美術を学ぶうえでとても有意義な経験を与えてくれる環境だと感じています。もし私が、京都でこれから大学院教育を受けられるとしたら、京都に集中している歴史的な日本美術、寺社仏閣、日本庭園、伝統工芸、食文化などを徹底的に学習し、体験したいと思います。そうした知識や経験を前提に、世界の共通言語としての現代美術を介して、何らかのパースペクティブを提示していくこと。そこから何か未来への道が開けるような気がしています。世界との対等な対話は、自分自身の出自、自国の文化や歴史について、きちんと話せることからはじまります。それはまた、相手の文脈への敬意にもつながります。
世界は広く、複雑で、厳しくもあります。あなたが世界へ羽ばたこうとするときに求められる跳躍力は、それまでの知識と経験によって培われます。その後の「生き方」を考えることのできる貴重な時間として、大学院での体験を積極的に活用してください。

芸術研究科 教授 片岡 真実

芸術研究科 教授

片岡 真実

1965年愛知県生まれ。森美術館チーフ・キュレーター。(株)ニッセイ基礎研究所や東京オペラシティアートギャラリーを経て、2003年より現職。2007〜09年はヘイワード・ギャラリー(ロンドン)国際キュレーターを兼務。日本及びアジアの現代美術を中心に企画・執筆・講演等多数。

Hai-Ning Huang 黄 海寧

Waro Kishi

岸 和郎(芸術研究科 教授)

私たち建築家がつくるものは、目に見えない情報や、人と人、人と環境のつながりまで含めたアーキテクチュア(構造)なのです。

成熟に時間のかかる、建築家という職能。

インテリア、建築、ランドスケープなど、「デザイン」は様々なカテゴリーに分けて語られることがあります。しかし私は、人間を取りまく周辺をデザインするという行為に本来、境界はないと考えています。
建築を意味する「アーキテクチュア」という言葉についても、捉え方が広がってきています。たとえば、あるひとつの社会インフラや、コンピュータのシステムなど、かたちのない構造を表すときにもアーキテクチュアという言葉が用いられます。この点で、ビルディングとアーキテクチュアは、決定的に違います。かたちに見えるアウトプットとしてはビルディング(建物)であっても、私たち建築家がつくるものは、目に見えない情報や、人と人、人と環境のつながりまで含めたアーキテクチュア(構造)なのです。
建築という、多くの人や資金が動くプロジェクトを手がけるためには、感性だけでなく、構造や設備、環境といった専門知識や、市場の動きや銀行金利を踏まえたうえで判断を行う経済感覚も求められます。建築家は、あらゆる要素を統合的に見つめ、動かしていける人でなければならないのです。
個人の住宅を建てる場合も、それは決して小さな仕事ではありません。クライアントはローンを組み、長い月日をかけて返済していくわけです。そのことの重みを理解できるようになるためには、自らも年齢と経験を重ねなければなりません。
だから、建築家が成熟するには時間がかかるのです。

学ぶとは、どういうことか。考えはじめる2年間。

40代から遅い人では60代でようやく新人賞に選ばれ、80代の建築家がリーディングアーキテクトとして最前線を走っている。建築というのはそんな厚みのある、成熟に時間のかかる世界です。大学院の時点では、まだ人生がスタートさえしていないような状態にあるわけです。では、修士課程の2年間は、何をするためにあるのでしょう。幼稚園から大学まで続いていた、人から与えられていた勉強の期間が終わり、初めて「自分にとっての勉強とは何だろう」と考えはじめる。自分の人生において、学ぶとはどういうことなのかを考えはじめること。その最初の2年間だと、私は考えています。
35年間、実務と教育研究を並行しながら歩んできた私にとっても、未だに毎日が勉強です。自分に新しい感動をインプットし続けなければ、何十年も建築設計というアウトプットを出し続けることはできません。設計の仕事をしていると、もう自分の中に何もなくなるまで出し尽くし、新しいことが全く考えられなくなる日もあるのです。
しかし、いつも学ぶ気持ちを持っていれば、建築家は、15世紀のイタリアのパラッツォや、4000年前に建てられたエジプトのピラミッドと対話することで、どの時代の建築家も同じようなことで悩み、苦心しているのを発見し、時間を超えて共感できるはずです。建築家は、現在だけを生きる職業ではなく、4000年の時間スケールで物事を考えられるのですね。そう考えると、大変なことも数多くありますが、なんとも幸せな仕事だと感じています。
自分がこれから、建築とどう向き合い、何を学んでいきたいか。2年間、じっくりと考えてみてください。

芸術研究科 教授 岸 和郎

芸術研究科 教授

岸 和郎

1950年横浜市生まれ。1978年京都大学院修士課程建築学専攻修了。京都芸術短期大学(現・京都造形芸術大学)、京都工芸繊維大学、京都大学大学院、UCバークレー校、MITなどで教鞭をとる。「日本橋の家」で日本建築家協会新人賞、日本建築学会賞受賞、他国内外において受賞多数。

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