修了生の活躍

修士課程修了生紹介
SOTA KOTAJIMA 周 焱

シュウ イェン

チャン・イーモウの世界

留学生として京都で過ごした13年間は、
人生の道標であり、かけがえのない宝物。

中国西北大学藝術学院アニメ学科専任講師

周 焱 さん

芸術研究科芸術専攻 2009年度修了

1998年西安大学卒業。99年に留学生として来日し、京都国際外国語センターで2年の語学学習を経た後、京都造形芸術大学映像・舞台芸術学科映像コースに入学。同大学院へ進学し、芸術研究科芸術専攻で博士号(学術)を取得。現在は中国西北大学藝術学院の専任講師を務める。

大学院で大切なことは、研究への情熱。

中国の西安市出身の私は、幼いころから日本のアニメを見て育ち、映画やドラマにも夢中になり、日本で映像を学びたいと思うようになりました。留学生として来日し、日本では京都国際外国語センターで2年間の日本語学習を経て、京都造形芸大の映像・舞台芸術学科に入学。映像理論などを学び、修士・博士課程に進学しました。論文の執筆はとても苦労しました。特に博士課程では12万字も書かなければいけません。当時は日本語を書くことがあまり上手ではありませんでした。内容も過去の論文にはない新しい発見が求められます。乗り切れたのは先生方のお陰です。北小路隆志先生からは的確なご指摘をいただきましたし、客員の羽生清先生には研究に対する真摯な姿勢を教えられました。大学院は自ら学んで研究し、新しい発見をする場所です。そのためには情熱がなければいけません。学部生のときよりも先生方と深く関わり、その情熱にふれることで、研究への高い意欲を持ち続けられました。

研究の成果を、自ら発信し、人に伝えていく。

博士論文をもとに2016年に日本で出版した書籍が『チャン・イーモウの世界』。これが京都で学んだことの集大成です。中国の映画監督チャン・イーモウに興味を持つ方や、後の研究者の役に立てば嬉しく思います。帰国した今は、中国西北大学藝術学院のアニメ学科で講師をしています。私が学んだことを中国の学生に伝えていく中で、教え子が制作したアニメが賞をいただいたこともあります。学生には知識だけでなく、私が大学院で先生から感じた研究への情熱も伝わっていると思います。これからは、中国で日本のアニメーションについての論文を発表し、研究の成果を積極的に発信していこうと思います。それができるのも大学院での経験があるからです。京都で過ごした13年間は人生の道標であり、かけがえのない宝物です。

YAMABUKI MIDORI 山府木 碧

YAMABUKI MIDORI

山府木 碧

1907年(明治40年)建設の旧長崎英国領事館の職員住宅煉瓦建造物の保存修理工事を現地調査

漆器と深く向き合うことで、
研究員としての“軸”が生まれた。

東京文化財研究所 保存科学研究センター近代文化遺産研究室
研究補佐員

山府木 碧 さん

歴史遺産研究領域 2013年度修了

武蔵野美術大学在学時に文化財の保存修復に興味を持ち、卒業後に本大学の3年次に編入。漆器の塗膜断面分析に取り組み、調査技法や研究員としての姿勢を身につける。現在は、東京文化財研究所の近代文化遺産研究室に所属し、富岡製糸場や第二次世界大戦中に生産された国産戦闘機(飛燕)などの保存修復に関わる調査・研究に従事。

400年以上前の漆器から、
塗装の技を読み解く。

関東の美術大学に通っていたころ、授業がきっかけで“文化財の保存修復”に興味を持ちました。進路に迷っていた私に、先生が修復家の方を紹介してくださり、その方に薦めていただいたのが、京都造形芸術大学でした。私はまず、文化財研究の基礎を学ぶために大学への3年次編入を選びました。そして、漆工品の塗装技術の調査において、第一人者として研究に取り組まれている岡田文男先生のゼミに参加。この先生のもとで、さらに研究を深めたいと考え、大学院へ進みました。漆器の塗膜の断面から、顔料や塗膜の層構造を分析、観察し、その塗装技術を読み解くことが私の研究テーマでした。研究の対象は、宋時代から明、清にかけての中国の漆器。大抵は3mm以下の小さな試料から観察用の標本をつくります。層構造がよく見えるように丁度良い位置まで手作業で削る必要があり、それには集中力と経験を要しました。そして、その研究を通して、私は多くのものを学ぶことができました。試料を一度見て終わりではなく、観察と考察を繰り返すことの大切さを、身をもって教わったのです。

観察と考察を繰り返すことで、
育まれた姿勢。

岡田先生の指導や、研究の姿にふれた私は、目の前の漆器と深く向き合うことを学びました。見て、考えて、見て、考えて、観察と考察を何度も繰り返すことで、最初は得られなかった発見や新しい視点が生まれるのです。そんな体験を重ねることで、ものを見る目が鍛えられ、粘り強く研究に臨む姿勢や、失敗を恐れず「何でもやってみよう」という好奇心を育むことができました。その経験は今、東京文化財研究所で研究員として働く私の土台になっています。私が携わっているのは、近代文化遺産の保存修復に関わる調査です。日本の近代化を担ってきた文化遺産の保存修復のための情報収集・技術や材料の調査を行っています。対象物は違っても、ものと向き合う姿勢は同じ。私にとってこの大学院は、研究者としての軸を与えてくれた場所です。

HIGASHIDA MIYUKI 東田 幸

HIGASHIDA MIYUKI

東田 幸

偶然を利用して「痕跡」をつくり出す。作者の主観を飛び越え、線の奇跡が生まれる動きは、虫や生き物の戸惑いのような動きのようにも見える。
その過程そのものが作品になる。

アートを、仕事にする。
10年前になかった選択肢を、持たせてくれた。

アーティスト

東田 幸 さん

総合造形領域 2016年度修了

京都造形芸術大学卒業。公立学校の先生から、本大学院へ。在学中から学内外のギャラリーで発表を行い、奨学金を活用したプロジェクトでは、教室を1ヵ月借り切って大掛かりな公開制作を手がける。2016年度の大学院修了展で、大学院賞、同窓会特別賞を受賞。修了後は、アトリエをシェアしながら活動をスタート。

“教える”人から、
“つくる”人へ戻りたい。

私は10年間、学校の教員を務めていました。研修の一環で久しぶりに母校の京都造形を訪れ、「いいな」と思ったのが最初の衝動です。校舎も増築され、総合造形という領域やウルトラファクトリーができ、現役作家と直結したゼミ活動が生まれていた。以前と違う魅力を感じ“教える”から“つくる”へ戻る決意をしました。この大学院は、実践を評価するところ。入って間もなく、大学が運営するARTZONEでの公開制作やグループ展に参加する機会を与えられました。作品や制作プロセスを通し、今まさに活動を見て欲しい人や会話したい人との交流は、作家としての実践に向けた濃厚な経験でした。HOP展、SPURT展、修了展など、わずか2年の間に、そんな機会が数多くありました。月曜特論やPr PROJECTSでは、学外からのゲストも多く、領域の枠を超え充実していましたし、私たち院生の研究室も丁寧にまわってくださいました。制作途中の段階や作品構想についても話す機会が多く、もしそこで考えが変わってもまたすぐに次の可能性を探っていけるようなスピード感がありました。

作品の制作過程そのものが、
作品になるという発見。

Pr PROJECTSに使われているプロジェクトルームを1週間借り、オープンスタジオとして制作を行ったこともあります。色々な方が制作の様子を見に来て、そこから有機的な会話が生まれることが新鮮で、学内の奨学金を活用して、さらにスケールアップした公開制作にも取り組みました。制作のプロセスそのものが作品になり得るのだという発見が、その後の修了制作につながっていきます。さらに、その修了展を機に、仕事としてインスタレーション作品を手がけるチャンスも生まれました。10年前には見えてこなかった、アートを仕事にするという選択肢を、大学院の2年間では「その可能性がある」ことに気づかせてくれた。春に修了を迎えた今、作家としてのスタートラインを見つけたと感じています。

KATSUKI MINA 香月 美菜

KATSUKI MINA

香月 美菜

From one stroke

作家として、生きていくために。
自発的に挑戦していける環境。

From one stroke

アーティスト

香月 美菜 さん

ペインティング領域(油画) 2016年度修了

九州産業大学芸術学部洋画コースを卒業後、京都造形芸術大学大学院修士課程 芸術表現専攻 ペインティング領域に入学。2015年、東京都主催「トーキョーワンダーウォール」のTWW賞受賞を契機に、アーティストとしての活動をスタート。継続的に発表を続けている。

関東の芸術大学に対抗する
勢いを感じられた。

学部生のころは、九州産業大学の芸術学部で学んでいました。卒業が迫り、大学院に行くことを考えたとき、活躍されていた先輩方に進路を相談しました。有名な関東の芸術系大学院の名前も挙がりましたが、中でも京都造形芸術大学は気になりました。聞こえ高い関東の大学院に、対抗するぞという雰囲気が感じられたのです。変化を怖れず、伸びていくんだという勢いを感じました。その勢いに乗れば、自分の制作をもっと追求できるかもしれない。そう考えて、この大学院を選びました。

作家として生きるためのさまざまな契機。

思い出深い経験は、宮島達男元副学長が企画された「サマーキャンプ」です。日本全国の芸術・美術大学から1名ずつ院生を集め、交流とプレゼンテーション審査を経て、グランプリを決定するものです。残念ながら、ここでは選ばれませんでした。ただ、この大学院には、こういったチャンスがたくさんあります。アーティストだけでなくキュレーターやコレクターとの接点も持つことができるため、作品を発表したいという想いがあれば、イベントや展覧会への道筋があるのです。そんな中、「トーキョーワンダーウォール」で受賞したことが、私のひとつの契機となりました。

作家にとって必要な、
孤独と挑戦の中に身を置く。

京都は小さな街で、望めばいくらでも孤独になれます。作家にとって、一人きりで自分と向き合う時間はとても大切なものです。私が自分の作風を固めることができたのも、京都という街の静けさがあったから。また、ここでは自分から動かなければ情報は入ってきません。自分の夢や目標を叶えるためにできることを考え、自分から動いていく脚力を身につけられました。先生方に教えをいただきながら、自発的に挑戦していける環境。それが、この大学院の魅力だと思います。

KATSUKI MINA チェン レイチェル

チェン レイチェル

今までに出版された絵本は、2冊とも「町」に関わるもの。観光的なイメージではなく、自分自身が感じた町を読者に伝えることを目指し、描かれている。

2冊の絵本を出版。
自分が感じた「町」を、物語に。

イラストレーター・絵本作家

チェン レイチェル さん

ビジュアルクリエーション領域 2015年度修了

2010年、台湾国立政治大学の広告学科を卒業。台北の地域新聞の取材・編集や、マスコミ評論雑誌のアートデザインを経験した後、京都に留学。本大学院を修了して台湾に帰国し、およそ1年の間に『チーロウのいちにち』(長腳的房子)と『色をみつけよう』(尋找顏色)という2冊の絵本を出版。

絵のスキルだけでなく、
思考力を高めるために。

私は、絵を描くことが好きです。そして、絵を描くという行為を、興味の延長で終わらせず、絵を通して自分の考えを他の人に伝えたいと考えています。そのためには絵のスキルを高めることに加えて、“思考力”を高めることが重要だと考え、大学院に進学しました。もうひとつ、大学院に進んだ理由は、絵本を学ぶことでした。キャンパス内にこども図書館があり、絵本の蔵書数が多いこと、絵本研究を専門としている先生がいらっしゃることが、京都造形芸術大学を選んだ決め手になりました。この大学院の魅力は“山”と“先生”。自然がすぐそばにあり、指導教授は私がやりたいことを自由にやらせてくれて、のびのびと制作に打ち込める2年間でした。その一方で、先生たちは、制作で壁に突き当たったときは必ず応援してくれ、私は絵を描くことに対してようやく自信を持てるようになりました。

本の持つ可能性に気づかせてくれた、
特別講義。

国内外のアーティストやデザイナーを招いた特別講義も、私の視野を広げてくれました。中でも印象に残っているのが、雑誌「WERK」のアートディレクターを務めているテセウス・チャン氏による講座です。彼は、雑誌をアート作品として捉え、独特なブックデザインを通してコンセプトを表現しています。その作品にふれることで、本がメディアとしてさまざまな可能性を持つことが分かってきました。

2度の出版を経験。
絵本作家としての一歩を。

帰国してからは、台湾の文化部から出版補助を受けて、学部で開講されている絵本作家の長谷川集平先生のゼミを聴講してつくった絵本『チーロウのいちにち』(長腳的房子)を出版。在学時、日本の方に台湾の生活や文化を紹介するためにつくった作品です。この作品が評価され、2017年4月に2冊目の絵本『色をみつけよう』(尋找顏色)が出版されました。北海道の剣淵町から依頼を受けて、町の物語を描いたものです。これから私は、絵本作家として歩み、年に2冊を目標に絵本を出版していきたいと考えています。

GENDA RUI 源田 類

GENDA RUI

源田 類

ワークショップ・プログラム「ことばの輪郭」。○と△と□だけで想いを表現するなど、心の中で思っていることに言語ではない輪郭を与え、新しい価値を導き出す。

まわりに流されず、
自分だけが考えられることを、突き詰めた2年間。

デザイナー

源田 類 さん

デザイン領域 2012年度修了

京都造形芸術大学情報デザイン学科卒業。在学時、広告代理店へのインターンシップを機に、京都広告賞への入選も果たす。修了後は、東京の広告代理店に就職。4年間ほど経験を積み、現在は有名スポーツブランドのデザイナーとして活躍しながら、修士時代からの研究テーマと向き合い続ける日々。

言葉では伝わらないものを、
伝えるための表現とは。

学部生のとき、大手広告代理店へのインターンシップや教職課程での実習を通して、言葉では伝わらないものがあることを実感しました。「言語を使わずに、考えていることや感情を表現する方法はないだろうか」。自分の中に芽生えたテーマに対して、仮説を立てて論文を書いてみたいと考えたことが、大学院に進学したきっかけです。指導教授に研究の仕方を一から教えていただきながら、いろいろな書籍にあたる中、ブルーノ・ムナーリの本に出会いました。彼は子どものための美術教育にも力を注ぎ、ワークショップ・プログラムをいくつも遺しています。自分の研究したいことに近いものを感じた私は、そのプログラムに自分なりの解釈を加え、現代にふさわしいものにつくり変えていきました。大学院では、グラフィック分野での専門的な指導を受けるほか、ソーシャルデザインのゼミにも参加。高知県の日曜市におけるテントの老朽化を解消するプロジェクトなど、デザインを通して社会の問題を見つめ、解決へと導いていく過程にふれることができました。

相手が本当にしたいことを、
正解へと導いていく。

広告代理店に就職してからも、言語に依らないコミュニケーションと向き合い、目の前のデザインに生かしてきました。たとえば、ある提案のとき、私は本物の印刷紙を使ってサンプルをつくり、紙の質感や手ざわり、匂いまでも伝えようとしました。クライアントの頭の中にある、言語では伝えきれないものに対して、五感を刺激することで、本当にその人がしたいことを正解へと導いていったのです。もし、私が大学院で学んでいなければ、ただ相手の言葉や、まわりのやり方に流されてものをつくるデザイナーになっていたかもしれません。大学院の2年間は、社会に出るうえで、決してブランクではありません。自分だけが考えられること、自分だけが生み出せるものを突き詰めた時間が、私の今をつくっています。

SUZUKI NAO 鈴木 那緒

SUZUKI NAO

鈴木 那緒

福島県富岡町の人々にアンケートをとり、数時間にわたって話に耳を傾け、一人ひとりの大切な風景を絵と手紙にしていった。

建築という箱から自由になって、
人と向き合っていく。

公務員

鈴木 那緒 さん

建築・ランドスケープデザイン領域 2014年度修了

武蔵野美術大学出身。大学院時代、被災地の人々との会話を通して、ハードとしての建築でできる支援から、ソフトの面からできる町づくりへの関心が深まる。現在は、研究のために通っていた福島県富岡町の町役場に勤務。復興や支援のために何が必要なのか、自ら考え発言する“もの言う職員”として奮闘する日々。

“建築の力でできる被災地支援”とは?

大学時代、“建築の力でできる被災地支援”というものに興味を持ち、「避難所用・紙の間仕切りシステム」や「新仮設住宅システム」で災害支援をされている坂茂先生の事務所にインターンシップとして通わせてもらいました。その事務所の方に、卒業後も被災地支援を続けたいのであればと薦めていただいたのが京都造形芸術大学でした。キャンパス内に、坂先生が手がけた災害支援スタジオがあり、国内外に向けた支援活動が行われていたのです。私はそこで、災害が発生した際、被災地のために紙管の用意をしたり、地域の避難訓練で紙管の活用法をお伝えしたりする活動に携わりました。その一方で、福島県富岡町へと何度も足を運びました。富岡町は、震災により放射線被害に遭われ、未だに帰還困難区域が多く残る地域です。この町がどうやって復興を遂げていくのか。それが私の研究テーマでした。町の現状を自分の目で見たかった私は、町役場に直接連絡をとってインターンシップを申し込み、現地の方々のお話を聞く中で、被災地へのイメージが変わっていきました。

一人ひとりの大切な風景を、
手紙として残す。

それまで私は、“箱もの”としての建築から被災地支援を考えていました。しかし、もし町の避難指示が解除されて新しいスーパーや病院や住宅が建ったとしても、みんなは「帰らない」というのです。自分の大切なものが元通りにならなければ帰らないと。そこで私は、「あなたの一番大切だった風景は何ですか」と取材を重ねていきました。そのころ、大学院のある先生が、私のしていることや風景を残すことの意味を、とても大切なことだと評価してくださいました。また別の先生は、そこに写っている物や色を分析し“風景の統計”をとってみてはとアドバイスをくださいました。そこから、一人ひとりの大切な風景を手紙にする活動が生まれていったのです。建築の領域だから設計をしなさいとは言わず、研究を進める勇気や新しい視点を与えてくださった先生方。この大学院に来ていなかったら、私は箱の中だけで物事を考える人になっていたかもしれません。

SUZUKI NAO 小林 野々子

KOBAYASHI NONOKO

小林 野々子

たくさんの寄り道が、
言葉との向き合い方を、自由にしてくれた。

会社員

小林 野々子 さん

文芸表現領域 2015年度修了

京都造形芸術大学卒業。中学生のころ、映像関係の仕事をしていた父親のご縁から脚本家の故・市川森一氏に出会う。市川氏に書いたものを評価され、脚本の指導を受けながら舞台に打ち込み、スリランカで公演を果たしたことも。同氏の薦めにより京都造形芸術大学に入学。現在は、企業に務めながら執筆に取り組む。

同じ主題と向き合い続け、
読み手の気持ちに近づく。

自分一人で言葉を生み出すのではなく、私はこの大学院で、たくさんの寄り道をさせてもらいました。そもそも大学院に進むきっかけになったのが、学部4年生のとき、当時在籍されていた辻仁成先生からの「演出にまわらないか」という一言でした。それから毎年、辻仁成クラス朗読劇「待つ」の演出・脚本を手がけるようになります。学部のゼミ生がそれぞれに「待つ」というタイトルで書いた作品を一本の朗読劇にまとめ、公演を行うのです。ゼミ生の数はやがて30名ほどに増え、私一人のテーマへの解釈を拠り所にするのではなく、多様な考え方と向き合うようになりました。一人ひとりの作品を読み込んでいくと、書き手が思い描いている「待つ」と、実際に文に表れてきた「待つ」という現象に違いがあることが見えてきます。では、読み手が受けとる「待つ」とは、どこだろう。ひたすら読み、考えていきました。同じ主題と繰り返し向き合い続けたことで、さまざまな視点を自由に行き来し、読み手の気持ちもより深く見つめられるようになったと感じています。

ものの成り立ちの、
とても細やかなところを学べた。

朗読劇の公演では、学外の人にも協力を頼んで音楽やコンテンポラリーダンスを取り入れた表現に挑み、ひとつの作品をつくり上げるために必要なことを一つひとつ経験することができました。さらに、辻先生の舞台でも、演出助手としてさまざまな仕事を任せていただきました。作品を支える多くの人の働き方や立場にふれ、ものの成り立ちのとても細やかなところを学べたことが、私の大きな財産になっています。さらに、大学院にある自分の机に戻ると、隣にはタイポグラフィや陶芸、版画に打ち込んでいる人がいる。みんなが違うことをしていて、その表現や研究が進む過程をすぐ横で目にするのです。さまざまな人と創造の現場にふれ、多くの寄り道をさせてもらった経験が、これから私が書くものにつながっていくはずです。

IWAIZUMI KEI 岩泉 慧

IWAIZUMI KEI

岩泉 慧

diastrophism_αβ

“誰もやっていない”専門性こそが武器。
それが独創性となり、新たなものが生まれる。

diastrophism_αβ

伝統画材ラボ「PIGMENT」所長 京都造形芸術大学 美術工芸学科日本画コース 非常勤講師

岩泉 慧 さん

芸術研究科芸術専攻 日本画 2014年度修了

1986年生まれ。神奈川県出身。2006年、京都造形芸術大学美術工芸学科日本画コースに入学。同大学院に進学し、博士号(芸術)を取得。博士課程で開催した個展「滅びの装い」で好評を博す。現在は同大学美術工芸学科日本画コースの非常勤講師と伝統画材ラボ「PIGMENT」所長を務める。

研究の成果を教える経験と、
研究をさらに深める経験。

私の専門は、日本画の技法と材料です。博士課程に進んだのは研究や制作を続けたかったことと、社会に出て自分が学んできたことを人に教えられるようになりたいという理由からです。博士号を取得すればその道に近づけると考えました。博士課程では、TA(ティーチング・アシスタント)として先生の授業を手伝いました。日本画の材料である膠(にかわ)を特殊な方法で溶かすなど、私が研究してきたことを学部生たちに伝えました。実際の授業ですからプレッシャーもありますが、人に技術や知識を教える訓練になりました。一方で、自らの研究については、修士のときよりも専門的になります。そして、その研究を生かし、新たな日本画の技法を盛り込んだ作品を制作しました。しかし、当初は否定的な評価を受け、そのまま続ける自信が持てませんでした。そんなとき、藤本由紀夫先生から「否定されるということは、誰もやっていないことだからチャンスだよ」という言葉をいただきました。それが救いになって新たな作品を完成させることができ、結果的には好意的な評価をいただくようになったのです。

博士課程の研究を突き詰め、
チャンスを掴んだ。

現在は、本学の日本画コースの講師を務める一方、東京の伝統画材ラボ「PIGMENT(ピグモン)」の所長をしています。このラボでは、伝統的なものから最新のものまで様々な画材をそろえ、画材の販売にとどまらず、伝統技法の講座などを開いて知識や技術も提供しています。私はここでも講師として、様々な人に珍しい日本画の技法を教えています。振り返れば、日本画の技法・材料を研究し作品を制作しながら人に教えるという学生のときからの目標が、現実のものになっています。チャンスを掴めたのは、博士課程で勇気づけられた“誰もやっていない”研究を突き詰めてきたからです。「PIGMENT」では、芸術を核にして他業種と連携する“誰もやっていない”試みにも挑もうとしています。

SOTA KOTAJIMA 三原 麻由

MIHARA MAYU

三原 麻由

スティーヴ・ラィヒの音楽ー中期以降の作品から見る特異性一

[修士課程学位審査公開口頭試問テーマ]
スティーヴ・ラィヒの音楽ー中期以降の作品から見る特異性一

音にこめられた感情を、丁寧に紐解く

スティーヴ・ライヒは、ミニマルミュージックの代表的な作曲家として知られていて、同じモチーフを何度も繰り返し、音の流れを生み出しています。中期以降、彼が扱う素材は、初期に比べて多様になっていきました。そこにどんな感情が込め られているのか、考え、音の意味を紐解いていきました。

 

一人の作曲家とじっくり向き合い、
考えを深める過程は、感動の連続だった。

学部2年生のとき、浅田彰先生の「音と芸術」という授業で、スティーヴ・ライヒの「木片のための音楽」という曲に出会いました。音も演奏風景もすごくシンプルなのに、強く惹きつけられるものを感じて、その年の進級論文の題材にすることを決意。しかし、はじめは文献を読んでもなかなか頭に入ってきませんでした。先生に相談すると、「まずは、自分がいちばん音楽を聴きなさい」というアドバイスをいただき、何度も曲を聴きこむうちに、自分でも驚くほど研究が楽しくなっていきました。「スティーヴ・ライヒの非ミニマリズム性」という卒業論文では、コース賞をいただくこともできました。スティーヴ・ライヒの音楽に出会えたことで自分の感受性が広がったような感覚があり、さらに研究を続けるために大学院へ進学。一人でじっくりと考える時間がふえたため、曲をさらに聴きこみ、発見をノートに書き留めていきました。ゼミを担当していただいた先生は、私の発見をもとに考えを深めてくださって、さらに新しい発見を導き出してくださいました。「芸術文化論特論」では、様々な領域で活躍するアーティストの作品や考え方にふれることができ、スティーヴ・ライヒが何を感じながら音をつくっていったのかを考えるうえで、大きな手がかりを与えてくれました。はじめは、ただの興味からはじまった研究が、自分の感性や考えが深まることで、さらに面白いものに感じられていく。そんな過程は感動の連続で、とても貴重な経験になりました。修了後は、ザ・シンフォニーホールに就職。スティーヴ・ライヒという作曲家に出会えたことで自分自身が豊かになれたように、素晴らしい作家や音楽との出会いを多くの人に広げていきたいと考えています。

ザ・シンフォニーホール勤務 三原 麻由 さん

芸術文化研究 2015年度修了

SHINAGAWA RYO 品川 亮

SHINAGAWA RYO

品川 亮

渡月四季花木図

渡月四季花木図

今の日本人にしか、描けない絵を

一筆舌きという “単純化” によって描いた花は、中国から伝わった漢字をもとに“ひらがな"が生み出された過程や、達磨を祖とする禅宗から日本独自の“わびさび"が生まれた過程 を象徴しています。日本の歴史のうえに成り立つ、今の日本人にしか描けない絵を描いていきたいです。

 

コピー用紙に描き続けた習作を“言語化”し、 画家としての一歩を踏み出せた。

島根の美術館で出会った、石本正先生の牡丹の絵。写真よりも生々しい力を感じ、自分も日本画を描きたいという衝動が生まれました。石本 先生が教授をされていることを知り、京都造形 芸術大学へ進学。しかし、はじめの頃は、何を描いても「自分でなくても描けるのではないか」というもどかしさがありました。何か手がかりを掴もうと、平安から江戸後期にかけての様々な様式や技法を真似て、コピー用紙に習作を描き続けました。学部時代に描きためた、膨大なコピー用紙の束。「これを何かかたちにしなければ」という想いで、大学院への進学を決意しました。大学院では、技法を補う、あるいは技法と同等以上の武器となる“作品を言語化する” ことを学びました。中でも大きな転機となったのは、椿昇先生の言葉です。「君の絵は ‘‘抽象化"ではなく “単純化" だ。その意味がどういうことか考えてみなさい」。そこから、作品から言語を導き出し、その言語からまた作品を導き出すことを、自分で考えながら体得していきました。日本画の山田伸先生からは、構図や技法についての具体的な指導を、文化財修復の山田真澄先生からは素材についてのアドバイスを、様々な先生から多くのことを学ばせてもらいました。さらに、先生方から仕事の話をいただき、プロとしての自覚と自信を養えたことは、大きな糧になっています。翠嵐ラグジュアリーコレクションホ テル京都の「渡月四季花木図』も、そんな仕事のひとつ。ホテルの方や、絵が掲戟された雑誌を見た方から新たな仕事をいただくなど、多くのご縁がつながりはじめています。大学院を修了してすぐに、20本ほどの仕事と海外での展示会を抱え、画家としての活動に専念できていることに、感謝しています。

画家 品川 亮 さん

ベインティング領域(日本面)2015年度修了

YAMATO MIO 大和 美緒

YAMATO MIO

大和 美緒

GUILD STACK

Repetition Red (dot)

揺らぎとして現れる、日々の変化

修了展に出展し、CAFS賞2015山口裕美賞もいただいた Repetition Red (dot)シリ ーズ。キャンバスの左上を起点に、一列ずつ点を置いていきます。何百、何千という点を、毎日置き続けることで、身体や感覚のわずかな変化、絵の具の粘度など、さまざまな要素が揺らぎとなり現れていきます。

 

常に、厳しさの中に身を置き、作品と、
作家としての自己を鍛え上げた2年間。

一生かけてできること、本当に面白いと思えることを探そう。そんな想いで、京都造形芸術大学に入学した私は、名和晃平先生のプロジェクトに参加したことをきっかけに、次第に現代美術への関心を強めていきました。4年生のとき、総合造形ゼミに参加し、領域を超えた制作の場を経験。しかし、まだ学校を出るには準備が整っていないという切実な感覚があり、アートと一緒に生きていく術を大学院で身につけたいと考えました。大学院では、先生と一緒に、作品のアウトプットの仕方を徹底的に突き詰めていきました。宮島達男先生や名和先生をはじめ、現役で活躍されている作家から、厳しくリアルな意見をいただき、ときに同じ目線で議論を交わしながら、作品を鍛え上げていく日々。現代美術に対して関心を抱いていることと、作家としてそれを体現することは、まったく違うベクトルなのだと実感しました。夢中で走り抜けた2年間。修了展間際に完成した作品を見て、名和先生が初めて褒めてくださったのを覚えています。修了展では、コマーシャルギャラリーの方がその作品を目に留めてくださり、その場で翌年のART STAGE SINGAPOREへの出展のお話をいただきました。そして、修了からおよそ1年の間に、シドニー、シンガポール、ロンドンでのアートフェアを経験。そこからまた、国際的なギャラリーとのつながりが生まれたり、作品から活動が広がっていくのを感じています。また、先生方は、私が作家としてのスタンスを形づくるうえで、多くの重要な言葉を与えてくれました。特に、浅田彰先生の「安易な自己満足、ナイーブな「私の夢」ではなく残酷な現実に、生ぬるい希望ではなくブリリアントな絶望に打ちのめされることを切望している」という言葉は、今の私を支える軸になっています。

アーティスト 大和 美緒 さん

総合造形領域(現代美術) 2015年度修了

CHIBA HINATA 千葉 陽

CHIBA HINATA

千葉 陽

Vintage alt +

Vintage alt +

初めて手がけた、原案スケッチ

最近新たなトレンドが生まれつつあるBARBER(理容室)に向けた、高級感のあるアンティーク調の椅子。タカラベルモントに入社して、初めて開発に携わることができた商品です。分厚い紙の束ができるほど、何枚もスケッチを描き、原案ス ケッチを採用していただきました。

 

物を見極める眼、社会の問題を見つける視点が、プロダクトデザインの現場に生きている。

 新しい環境のもとで視野を広げるため、また、個性豊かで多様な分野の先生方のもとでデザインを学ぶために、姉妹校の東北芸術工科大学から本大学院に進学しました。ソーシャル・ソリューション・デザインの研究として、“行為のデザイン”という本質的な考え方を学んだうえで、社会にある様々な課題を見つけ、それを解決するための実践的なデザインに取り組みました。たとえば私は、水が原因で毎日6000人もの子どもが亡くなっているという問題に目を向け、水をレンズにして熱を集め、汚水を飲料水に変える蒸留装置を考えました。リアリティを持った社会的課題の解決をゴールにしているという点で、一般的なプロダクトデザイン教育よりも、一つ先を行く経験を積むことができたと考えています。大学院では、個人の研究テーマを深めるだけでなく、会社に就職してから即戦力となる力を養うことができました。プロダクトデザイナーとして就職したタカラベルモント株式会社では、早い段階から案件を任せていただいています。大学院で身につけた、物の良し悪しを見極める審美眼、物が生み出されるプロセスの理解、さらには、資料を美しく仕上げるグラフィック能力、3次元CAD設計ソフトウェア「SOLIDWORKS」を駆使したモデリングスキルなどが大きな武器になっています。また、理美容のプロに選んでいただける操作性や快適性を追求するうえで、大学院で養った問題発見能力が役立っていくと考えています。タカラベルモントは、理美容機器の分野におけるリーディングカンパニーとして、ヘッドスパという新しいスタイルを提案するなど、業界の新しい流れを生み出している会社です。私も、物を通してその先にある新しい価値を提供できるデザイナーを目指したいと考えています。

タカラペルモント株式会社勤務

デザイン領域(プロダクトデザイン) 2014年度修了

キム ダンビ

Kim Tan-Pi

キム ダンビ

GUILD STACK

アンニョハツンガヨ?(お元気ですか?) 映像 12分32秒

国を越えて共感を呼ぶ、普遍的テーマ

修士課程1年生で参加したチェコ研修において、キムさんのアニメーション作品は、FAMU(国立芸術アカデミー映画学部)の先生方から高い評価を得ました。FAMUは、国際的に活躍するプロデューサーやアニメーション作家の方が多いことで知られています。高齢化や孤児の問題など、さまざまな国の人が共感できる普遍的かつ社会性のあるテーマを題材にした脚本が、高評価につながったようです。

 

自分を見つめ、社会を見つめて生まれた、
“見る人に質問をする” アニメーション。

自分で生き物をつくるかのような感覚に惹かれて、アニメーションの世界を目指すようになりました。京都造形芸術大学は、アニメとは一見何のつながりも無いような幅広い分野にふれられるところに、他の大学にはない魅力を感じました。学部時代には、漫才や三味線、料理など、いろいろな専門家が大学を訪れて、私の視野を広げてくれました。アニメーションの課題制作にも明け暮れました。とても充実した大学生活でしたが、卒業してこのまま社会に出るのではなく、きちんとした制作環境のもとで、もっと自分の作品をつくりたいという気持ちがありました。自分がなぜアニメーション作品をつくるのか、その理由を知りたいという思いもありました。
大学院に進んでからは、先生と一対一で話をする機会も増え、作品や自分自身について、じっくり考えを深めることができました。アニメーションだけでなく、社会で起こっている出来事や問題にも目を向ける習慣が身につきました。そして、自分の作品はただ楽しんでもらうものではなく、「見る人に質問をする作品」。つまり、見る人に何かを考えるきっかけを与える作品なのだという方向性が見えてきました。制作においては、大西宏志先生が一人ひとりに合わせた指導をされていて、私の場合、苦手としていた絵コンテの制作について、とても具体的なアドバイスをいただくことができました。さらに、監督として後輩たちの協力を得ながら制作に取り組むことで、プロ意識と責任感も養うことができました。この春、大学院を修了し、現在は韓国に帰国してWebマンガの制作の仕事などをはじめています。韓国では、アニメーションの市場が日本に比べるとまだ成熟していません。アニメーション作家として、自分たちの国の文化の発展にも貢献していけるように、活動を広げていきたいです。

アニメーション作家 キム ダンビ さん

2014年度修了

TAKAHASI CHINATSU 高橋 知奈津

TAKAHASI CHINATSU

高橋 知奈津

GUILD STACK
継承の中に含まれる、創造性

「作庭」への興味からはじまり、庭をつくるという行為や、その美しさを楽しみ、受け継ぐということに対して研究を重ねてきた高橋さん。遺跡整備の仕事においても、文化財をいかに現代の人に伝え、未来の人に受け継いでいくか、継承の仕方を考察することが求められます。そのプロセスのなかにも「創造性」が含まれており、高橋さんたちの働きによって文化財の“今”が形づくられています。

 

庭園と深く向き合えた2年間が、
文化財の“今”をつくる仕事に
つながっている。

大学時代は、東京で美学美術史を学んでいました。当初の興味の中心は現代アートでしたが、あるとき『作庭記』に出会い、日本の古い時代に庭づくりの中で育まれた美意識というものに興味を持ちました。そして、その美意識を理解するためには、作庭の技術やデザイン的な観点、歴史的な問題など、さまざまな複合的要素を知ったうえで読み解かなくてはならないと考えました。庭園に関する論文を調べていくうちに、庭園研究に携わる仲隆裕先生と尼﨑博正先生の書かれたものに出会い、先生たちの存在に惹かれて京都造形芸術大学の大学院へ進学することを決めました。
この大学院は、先生方との距離が非常に近く、漢文で書かれた平安時代の日記の読み方から、研究すべき資料の探索・選定の仕方、網羅的な資料の読み方など、細やかな指導をしていただきました。また、桂離宮や修学院離宮に足を運び、一般では入れないような場所で実習を行うなど、京都ならではの貴重な体験をしたことが印象強く残っています。さらに、引率していただく先生ご自身が、常にその現場で興味の対象を見つけて楽しんでいらっしゃる様子を目にして、研究者としてこうありたいと感銘を受けました。
庭園研究を通して歴史や文化財への興味をさらに深めたことから、大学院修了後は、奈良文化財研究所に就職。はじめは、藤原宮や平城宮などの発掘調査に携わりました。発掘調査は、考古学や歴史、建築などさまざまな分野の専門家が遺跡の解釈に関わっていて、私は庭園分野の一人として参加することができました。現在は、「遺跡整備」という仕事に携わっています。どういうかたちで保存をすることが、その遺跡にとって幸せなのか。現在に受け継がれてきた歴史や伝統を、できるだけ良いかたちで未来へ伝えていけるよう、遺跡を取り巻く空間のあり方を模索する日々です。

奈良文化財研究所勤務 高橋 知奈津 さん

2007年度修了

SOTA KOTAJIMA 答島 惣太

KOTAJIMA SOTA

答島 惣太

GUILD STACK
言葉の壁を越えて、楽しめるものを

さまざまな職業の力を引き出し、自分の領土の発展を競うボードゲーム「GUILD STACK(ギルド・スタック)」。各職業の特性を活かしながら戦略を組み立てて、勝利を目指します。ドイツのボードゲーム見本市に出展し、会期中に完売。「ヒキダシトリック」という名前で作品を発表している答島さんのもとに、展示会後も口コミで国内外から注文がきているそうです。

自分の作品が、他の人に届いた。
生まれて初めて、味わえた手応え。

修士課程2年生の秋、世界最大規模のボードゲーム見本市、ドイツの「エッセン・シュピール’13」に初めてつくったボードゲームを出展し、会期中に完売することができました。ドイツへの渡航費や出展費は、大学院の助成制度を利用して賄いました。ヨーロッパでは、ボードゲームをはじめとするアナログゲームが盛んで、成熟した市場があります。言葉の壁を越えて、できるだけたくさんの人に自分の作品を楽しんでもらいたいと考えている私にとって、海外でひとつの成果を出せたことは、大きな糧になりました。
大学院では、週に1度ほど、先生方とじっくり話す機会をいただき、その会話の中からアイデアがどんどん膨らんでいきました。特に、作品のコンセプトを練り上げる過程では中山和也先生、そのコンセプトをビジュアル化し、プロモーションしていく過程では佐藤博一先生から、たくさんの刺激や気づきをいただきました。こうした過程を経て生まれたボードゲーム「GUILDSTACK」は、自分の中で初めて「他の人に届いたかな」という手応えを感じられる作品になりました。学部の4年間では、味わったことの無い感覚でした。
大学院修了後は、世界に向けてゲーム開発を行っている会社に就職し、企画の仕事に携わっています。ゲームづくりの現場は、学生時代と比べると求められるスピードもやらなければならないことの量もまったく違います。しかし、大学院のときに悩みながら取り組んだ「おもしろいと思うものを、みんなに楽しんでもらえる形に作り上げる」という経験は、確実に生きていると感じています。この取り組みの反復が、今の仕事とそのスピードや量に追いついていくために必要だと考えています。これから大学院に進むみなさんには、「失敗してもいいから、2年間これをやる」というくらいの気持ちで、テーマを決めて何かひとつのことをやりきる経験をしてほしいと思います。

プラチナゲームズ株式会社勤務 答島 惣太 さん

2013年度修了

資料請求 あたらしいパンフレットができました。