情報デザイン学科

インタビュー

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2016年6月17日  インタビュー

【教員紹介】第10弾:岡田先生

 

「情報デザイン学科をもっともっと知ってもらいたい!」ということではじまった、

インタビュー企画の第10弾!!

 

おしゃれでさわやかな優しいお兄さん?いえいえ、エッジの効いたデザイナーです!

今回は、しなやかな感性が光るグラフィックデザイナーの新星“ 

岡田将充(おかだまさみつ)先生のご紹介です。

 

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主な授業: イラストコース1年次「観察・思考・発想力基礎」

      イラストコース3年次「総合演習 -ビジュアライズ-」

 

29歳という若さでこの春から専任になられた岡田先生は、情デを卒業した先輩でもあるのです!

坊主頭で過ごした高校時代から、制作に明け暮れた大学時代、

デザイナーとして活躍されている現在まで、たくさん語っていただきました。

 

岡田先生の意外な一面も明らかとなったインタビューをどうぞお楽しみください!!

 

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話し手|情報デザイン学科 専任講師 岡田 将充 先生

インタビュアー|イラストレーションコース 2年生 遠藤 真裕子さん(写真 左)          

        情報デザインコース    2年生 青柳 美穂さん (写真 右)    

 

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◎ こだわりの丸メガネは、ハリーか、新渡戸か、レオナールか…!

 

遠藤(以下、遠):早速ですが、いつから丸メガネをかけ始めたんですか?

 

岡田(以下、岡)えっとね、丸メガネにしたのは大学3年生かな。20歳のときに丸メガネデビューしました。だから8年目だね。

 

:先輩だあ!(遠藤さんもふだんから丸メガネをかけています)もともとメガネをかけてたんですか?

 

そうそう!高校の時から目は悪かったんだけど。黒板は目を細めればなんとなく見えるやん?でも大学ってホワイトボードだから全然見えなくて、それでメガネデビューしたの。最初にかけたのは頭がよさそうに見える横に長いやつ。

 

:知的な感じのやつ。

 

大学1年のときはメガネに合わせてネクタイなんか締めてたんだよ。

 

青柳(以下、青)え~~!?

 

:だけど、3年生になったときに変わりたいって思って。どこを変えるか、ってなった時に、メガネって顔の面積占めてるから結構変わるかなって思って。で、丸メガネにしたら、次は髪型がしっくりこなくなっちゃってね。

 

あ!昔ロン毛だったんですよね?

 

そう!ロン毛が全然合わなくなってマッシュにした。それからずっとマッシュ。

 

:メガネのブランドにこだわりはありますか?

 

最初に買った丸メガネは、そこまでこだわりはなかってん。次の次くらいからこだわりが出てきて。今はイギリスのブランドだよ。

 

どこのブランドですか?

 

:「オリバーゴールドスミス」って知ってる?イギリスの老舗で、もう90年くらいつづいてるのかな。ジョンレノンがかけてた丸メガネもオリバーゴールドスミスだよ!

 

へ~~!

 

それで、いま青柳に貸してるやつが「オリバーピープルズ」っていうブランド。「オリバーピープルズ」はアメリカのブランドで、これは1987年にデザインされたやつやねん。僕が生まれたのが1987年!だから同い年なんよ。

 

:え~~!!

 

みんなは制作でカッターとか使うでしょ?経験あると思うんやけど、直線を切るのはわりと簡単にできるけど、曲線って美しく切るのが難しいよね。それと同じで、丸メガネって技術力がすごく詰まってる。丸メガネはこだわれる要素がデザイン的にも多いねん。追及するとおもしろい。素材とか鼻パッドとか。

 

:丸メガネかけてる人って、個性的でぱっと見、普通の人じゃないな!って感じがします(笑)

 

結構な確率で言われるのはハリーポッター(笑)

 

あ~(笑)

 

:私、新渡戸稲造(にとべいなぞう)て言われたことあります(笑)

 

新渡戸ね!(笑)僕が一番多いのは、藤田嗣治(ふじたつぐはる)!

 

:うわ~~!似てる!!!(笑)

 

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◎ 赤靴下にまつわる噂の真相

 

先生は赤い靴下しか持ってないと聞いたのですが…。

 

それどこで入手した情報なの(笑)おしい!正確には今年の4月までは赤靴下しか持ってなかったです。

 

なぜ今年の4月まで?

 

今年の4月から方針を変えたから。それまで僕のトレードカラーは赤って決めてたのね。だから赤い靴下しか履かないって。3年間くらいずっと毎日赤い靴下を履いていたけど、4月から変えたんだよ。

 

:3年もやってたんですか!(笑)

 

最近はね、服に合わせた色。例えば上着と靴下が合ってるとか、どっかがどっかに合ってる色の靴下を合わせるって方針です。

 

ほお~~。

 

だから家に靴下の色が豊富にあって。たくさん揃えてます!

 

どこで買うんですか?

 

おすすめなのは「ファルケ」の靴下。大事な日とかプレゼンの日とか、そういうときにファルケの靴下履いてるよ。

 

:靴下変えると気が引き締まるの、わかります。私、プレゼンのときとか金色の靴下よく履きます!

 

金色!?(笑)

 

:金!のラメが入ってる靴下。何回も履きすぎてなんかにごってきてるけど(笑)見えないところで、よし!がんばるぞ!みたいなの好きです。

 

大事やね!そのこだわり。

 

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 ↑ 今回の取材ではたまたま3人とも持っていた、赤靴下&ナイキのエアリフトでおそろいに。

 

 

丸坊主、バスケ、マッチ棒。

 

:先生の学生時代のことを教えてください。

 

僕はね、工業高校出身なんですよ。

 

:えっ!!!

 

丸坊主やったんよ。ずっと。

 

え~~~~~!?!?

 

僕、小学校から高校まで坊主だったんです。スポーツマンでね。こう見えてずっとバスケットボール一筋で。

 

モテるやつだ。

 

いや、全然モテなかった。僕、ひょろっとしてるじゃないですか。それでいて坊主だったから、マッチ棒みたいだった(笑)

 

(爆笑)

 

しかも部活のきまりとかじゃなくて、スラムダンクの桜木花道に憧れてまんまと坊主にした系。

 

かわいい…。

 

工業高校に進学したのは、簡単に言うと「お勉強」ができなかったんですよ。学校の成績が悪くて行ける高校が限られてたの(笑)少ない選択肢から工業高校に行くか、と。別にやりたいことがあって工業高校に進学したわけじゃないから、なんとなく三年間過ごして。ただ、そんな中でおもしろかったのが製図。僕、船を作ってたんですよ。

 

 へ~~!!!

 

多少デザインの仕事にもつながってるところがあるなって思います。

 

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◎ 「世間が僕を受け入れてないんだ、僕を歌手にしようとしてないんだ!」

 

:高校卒業後の進路はどうやって決めたんですか?

 

工業高校って基本的にはみんな就職していく。だけど僕は働きたくなかったし、卒業した後、工業に関わって生きていきたいわけでもなかった。どうしようかなと思って。それで、前から興味があった歌手になろうと思ったの。

 

え~~!?!?!?

 

バンドとかやってたんですか??

 

バンドと言える活動はやってなかったけど。友達と集まって公園で歌ったりとか(笑)

 

:先生の担当は?ギター?ボーカル??

 

ギターは、指が短くてダメだった(笑)すごい下手くそで、どうやっても音がにごる(笑)これは向いてないと思ってボーカルに専念したの。

でも親には芸能界は不安定だ!って理由で反対され、バイト禁止の高校ではレッスン代も自分で稼げないから、独学でボイストレーニングをしてました。腹式呼吸とか発声法とか、毎日の生活の中に取り入れてたんだよ。歌手になることを結構本気で夢みて。

 

:へ~!

 

デモテープを作って、親に内緒でいろんなレコード会社に送ってみたんですよ。だけど、どこからも、何の連絡もなかった。

 

:うわ~、悲しい(笑)

 

:これは向いてないってことかと。世間が僕を受け入れてないんだ、僕を歌手にしようとしてないんだ!と(笑)

 

世間が(笑)

 

当時は行動力もなくて、歌手になる夢もそこであきらめちゃって。じゃあどうしよう?と悩んでさ。当時はほんまに好きなことがなかった。

 

う~ん。

 

で、いろいろ方向転換して、たどり着いたのが芸大。当時はもっと楽な世界だと思ってたの、芸大とか美術系がね。好きな絵だけ描いていられるんだろうなぁくらいの気持ちで受験した。そんなだったから、見事に入試も落ちまくったんです。AO入試も推薦入試も「一般前期」も全部落ちてしまった(笑)

 

:スーっと、楽々と入られたんじゃないかと思ってました。

 

高校の卒業式の時は、クラスで僕だけが進路決まってなくて。

 

:めっちゃツラい(笑)

 

もうどうにでもなれ!って気持ちで肩の力が抜けたのか、最後の最後、「一般後期」でやっと受かったの。すべり込みでぎりぎりでね。

でも、入学できたはいいけど、目標があって芸大に来たわけじゃなかったから、当初はもうすごいダメなやつで、「お前は最下位で入学したんだぞ。70人クラスの70番目なんだよ」って、親に言われて。「だから遊び呆けてたらダメなんだよ」って。素直にそうやなと思った。ずっと70番で学年が上がっていくようでは意味がないな、と。そこからスイッチが入ったんです。その時から、勉強せな!上に行かな!と思って、自分なりに一生懸命頑張りました。

 

情報デザイン学科を選んだのはなぜなんですか?

 

なんとなくグラフィックデザインかなって。高校時代に製図をしてたし、歌手を目指していたというのもあったから、超ベタな理由やねんけど、CDジャケットとか作れたらいいなあ、くらいの感じで当時のコミュニケーションデザインコース(現在の「情報デザインコース」)を受けて。

 

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 ↑先生の作品をプロジェクション。前に立つと作品の中に入り込んだような不思議な気持ちに。

 

 

◎ ひたすら制作に明け暮れた、大学時代。

 

:スイッチが入ってから、どんな生活をされてたんですか??

 

とにかく作品をつくってたよ。大学2年生の時から、同級生や先輩たちとBACADESIGNというユニットで活動してた。今もつづいてるけどね。現代アートっぽいこともやってみたり。あと個人制作では、授業課題以外でいっぱいグラフィックをつくってた。展覧会も何回もやったしね。学生時代だけで7回はやったんじゃないかな。

 

お~!すごい!

 

最近はメンバーがそれぞれ仕事してるから、なかなか活動できてないけど、ずっとつづいてるよ。

 

:いいですね!学科は関係なく集まってたんですか?

 

スタートはコミュニケーションデザインコースのメンバーだけだったけど、徐々に、やりたいことによって別のジャンルの人を入れたりとか。臨機応変にメンバーもかわるって感じです。

 

:じゃあ作品の形態もその時々によって違ったんですね。

 

印象深いのはギャラリーにピザ屋さんが会期中毎日、配達をしてくれるっていう作品をメンバーと考えてね。

 

え~!

 

グループ展やってんけど、ギャラリーの展示台の上に某ピザ屋さんのメニューだけが置いてある。それだけが作品かと思った人もいただろうけど、会期中はドミノピザの人が毎日ナチュラル~にギャラリーの中に入ってきて、展示台にピザを置いて帰っていくっていう作品。タイミングが良い人はその光景も観れる。

 

(笑)

 

:それはどんな意図があってやってたんですか?

 

ギャラリーの展示台の上に置かれたピザって、食べ物のピザなのか、それとも作品になってしまうのか。見る人によって、その価値観ってどう変わるんだろう?っていう実験的な作品展示だったかな。

 

:へ~!

 

でもね、結果的には結構食べられたんだよ。

 

(笑)

 

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◎ 卒業後の進路のこと。フリーランスで働くということ。

 

先生はフリーランスのデザイナーとしてお仕事されてますよね。

 

僕は4年生の時に、フリーランスになろうと決意したんだ。就活しているクラスメイトと、していなかった自分を比較した時に、みんなすごいなと思って。こんな風に自分はできない、これから同じ土俵で戦っても自分は力を発揮できないんじゃないか、って思うタイミングがあって。

当時、関西でフリーランスで活動してる人って、身近な所ではほとんどいなかったの。30代とかで独立してる人はいたけど、20代でフリーランスって人はいなかった。

だから発想を転換して、ライバルが少ないならその隙間ってねらえるんちゃうか?って思ったのがきっかけだった。

最初の2年間は本当に苦労して、まともに稼げなかったんだけど、地道にコツコツと、とにかく頑張って意地だけでつづけてた。転機はフリーランス3年目の25歳の時、『月刊 MdN』の「アンダー30新世代のデザイナー」という特集でその10組の中の1組に選んでもらったこと。それで、京都や東京のクライアント、編集者の方が「京都に若くて一人でがんばってる奴がいるぞ~!」って。そのあたりから軌道に乗ったというか。自分の判断は間違ってなかったと思った瞬間やった。

 

東京の方が仕事があるし、やっぱり中心やから東京に行った方がいいよって、周りにずっと言われてきたので、京都で働くことが強みになるっていうのは発見でした。

 

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うん。やりようはいっぱいある!東京も確かに魅力的だよ。ただ一番よくないのが、なんかその、なんていうんやろ。根拠のない無駄なこだわり?(笑)

 

あ~〜。

 

東京を目指すのはもちろん悪いことじゃないけど、なんで東京で働きたいのかって理由がちゃんとないと、行っても難しいやろなとは思う。

 

:たしかに「ただ行きたい」だけだと、見失って埋もれちゃいそう。

 

東京は東京の、関西は関西の良いところもむずかしいところもいっぱいある。どっちが正しいっていうことはないけどね。

 

:なるほど…。

 

あとね、自分でやってきて今感じるのは、一度企業に就職して仕事の仕組みを勉強してから独立しても遅くはなかったなぁ、って。

 

:会社でしか学べないこともありますよね、たぶん。

 

あるある。あると思う!僕はここまで独学で思うように仕事してきたから、会社で働くことで得れたこともあっただろうなって、ちょっと興味はあるんだけど。

でもこういうことって、絶対的にどっちがいいとかの話ではないやん? 最終的に自分がやりたい仕事を、楽しいって実感できる環境で出来ているのが一番いいでしょ。自分がやったと言える仕事があると良いよね!

 

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◎ 「デザイナー」の目線、「先生」の目線。

 

最後に、今のイラストレーションコースについて、先生ではなくデザイナーとしての立場から見てどう思われますか?

 

デザイナーとしては、学生の作品を、一緒に仕事ができるか、グラフィックデザインの中で通用するイラストを描いてるかどうか、っていう目線で見ているところがある。

自分の好きなものばかり描くんじゃなく、学んだスキル、表現をどういう風に社会の中で役立てようとしてるか、それを意識できているか。メディアに合わせて絵を描き分けられるか、いろんな構図で描けるか。人物だけじゃなくて、雑貨や建物は描けるか、とかね。いろんな引き出しを持っているイラストレーターになってほしいなって思う。

そいういうことが社会で仕事する上ではとても大事。で、それができて作風だと思うのね。自分のテイストをどういう風に出そうかとか、コンセプトを掘り下げ考えることももちろん大事なんだけど、いろんな案件に応えられるバリエーションは欲しい。これがデザイナーとしての視点です。

デザイナーとして学生の作品を見た時に、足りていない部分を感じたら、そういうところを補える授業を組み立てなくては!と思うのが先生モードかな。

 

:なるほど…!

 

あと、みんなに伝えたいのは「お客さん」じゃないからね、大学生って。大学は自分から学ぶところだから。自分でやりたいことを見つけて、教えてもらいたい先生のとこに行って教えてもらうといいんだよ。授業以外でどれだけ自分で積極的にやるか。みんなに対してそんなことを思う。まだどこか与えられて当たり前みたいなところがあるよね。

 

:大学に甘えすぎるのはよくないってことですかね。

 

甘えていいんだけど!もっとうまく大学を使ったらいいんです。やりたいことをやったらいいんです。遠慮しなくていい。今のうちに失敗を積み重ねなさい!

 

はい!今しか出来ないことをどんどんやっていこうと思います!!!

 

 

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記事/遠藤 真裕子、青柳 美穂   写真/常 程(情報デザインコース4年生) 編集/小笠原 瞳

 

《 岡田先生に聞いた!  20歳のときに読んでおきたかった本  3選 》

 

2Q==
「デザインすること、考えること」 五十嵐威暢 著(朝日出版社 、1996年)

 

9k=

「みえないかたち 感覚をデザインする」 吉岡徳仁 著(アクセス・パブリッシング 、2009年)

 

Z

「マイ仏教」 みうらじゅん 著(新潮社 、2011年)

 

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ほのぼのとしたムードの中、岡田先生の意外な過去を知ることができた今回のインタビュー。

さらに先生のファンになった方も多いのでは!?

優しいお兄さんのような存在でありつつ、ときおりあらわれる鋭い一言に、在校生のみなさんもよい刺激をもらえたのではないでしょうか?

 

岡田先生、ありがとうございました!

 

 

・・・・・・

↓前回のインタビュー記事

【教員紹介】9 岡村寛生 先生

過去のインタビュー記事はからご覧いただけます

・・・・・・

 

 

スタッフ:小笠原

 

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2016年2月25日  インタビュー

【教員紹介】第9弾:岡村先生

「情報デザイン学科をもっともっと知ってもらいたい!」ということではじまった、

インタビュー企画の第9弾!!

 

今回は、“絵から映像・アニメーションまで、分野をこえた視覚表現の達人” 

岡村寛生(おかむらひろき)先生のご紹介です。

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主な授業:イラストコース2年次「思考・発想・表現力基礎」 主な授業:      

     イラストコース3年次「総合演習 -ナラティブ-」

 

イラストレーションコースと映像メディアコース(※1)を担当する岡村先生は、

1年生の基礎的授業から4年生の卒制指導まですべての学年を受け持ち、

ユニークな授業内容で評判の先生です。

同じ情Dの川合匠先生とのアートユニットカワイオカムラ」の一員としてもご活躍で、

そのコマ撮りとCGを合わせた精巧なアニメーション作品は

国内外の展覧会や映像フェスティバルでも高い評価を受けています。

 

しかも!今週末から始まる卒業展では、学科のディレクターとして

たくましい腕で情D生全体をまとめ上げてくださっています!

まるで頼れるパパのような岡村先生

卒業展を間近に控えた4年生2人がインタビューを決行しました。

 

作品制作の肝からなんとお笑いまで、“つくる・描く”ことについて、

4年生との対談ならではのリアルで熱いお話が展開されました。

(岡村先生の詳細なプロフィールはこちらからご覧いただけます。)

 

京都造形芸術大学 卒業展/大学院 修了展    

日程:2/27(土) – 3/6(日)  時間:10:00~18:00  

場所:京都造形芸術大学 瓜生山キャンパス  

http://www.kuad-sotsuten2015.com/    

 

3/5-6 同時開催!オープンキャンパス     

http://www.kyoto-art.ac.jp/opencampus/sotsuten/

 

※ 情報デザイン学科は、2013年度入学生から

※ 「情報デザインコース」「イラストレーションコース」の2コース編成になっています。

※ 現4年生「コミュニケーションデザインコース」「映像メディアコース」

※ 「先端表現デザインコース」のカリキュラムは「情報デザインコース」として統合されています。

 

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話し手|情報デザイン学科 准教授 岡村 寛生 先生

インタビュアー|映像メディアコース 4年生 杉本 龍哉 くん(写真 右)          

        映像メディアコース 4年生 中西 綾 さん(写真 中央)       _MG_5963

中西(以下、中):まず「カワイオカムラ」結成のきっかけを聞かせてください。

 

岡村(以下、岡):みんなにはカワイオカムラの話をほとんどしてなかったですね。もともと僕と相方の川合さんは京都市立芸大の同級生で、いっしょにバンドを組んでたんです。川合さんは彫刻専攻でラグビー部でドラムス担当、僕は油画専攻でテニス部でギター担当。僕がこんな体格やからか、周囲からはよく逆に見られてました(笑)最初はずっとそれぞれ個人で制作してたんやけど、大学院の時に「バンドをするような感じで作品をつくったら可能性が広がるんちゃうかなあ」って話になって。当時僕はでっかいライトボックスに絵を描いた、舞台装置や巨大看板みたいな作品をつくっていて、川合先生は樹脂や鉄でつくった大きな立体文字に照明を当てたり、と、やはり舞台装置的な作品をつくっていた。そうした路線が似ていたということもあって、大学院の時に共同制作を始めたんです。それがきっかけでもう結成20周年を超えました。正直こんなに続くとは思ってなかった(笑)

 

:もともとの専門は絵画と彫刻ということですが、今は映像ですよね。どういう風に役割分担されてるんですか?

 

:当初は「何つくろう?」みたいなことから話し始めて、それぞれが作った彫刻的なものと絵画的なものを組み合わせてました。同じような過程でいくつか制作しているうちに、「次の制作はどんなルールでつくるか」という、“つくったものを組み合わせていくプロセス” が面白くなってきて。それが映像作品を制作する時の技術的なプロセスとリンクしたんです。ただ二人とも映像に関する技術や技法については専門的な教育を受けたわけではないので、ずっと試行錯誤の連続でした。なので今でもあまり役割分担はなくて、たとえばあるカットは撮影を始めた方が最後まで担当する、別のシーンでは手をつけた方がやりきる、というような感じで、スパッと分かれてはいないですね。テニスのダブルスで前衛と後衛が入れ替わるみたいな感じ。そうはいっても、アニメートや立体造形的なことは川合さんが中心になったり、そのイメージを起こすストーリーボードを僕が描いたりなど、担当する作業に傾向はあります。

 

:初めて作品を見た時、人形の顔が川合先生に似てたので、完全に川合先生がつくってるのかなって思ってました。

 

:それは初めての指摘やわ(笑)キャラクターには元になるモデルが実在してるんです。それを僕が絵で起こして、川合さんが造形して、その着色を僕がまたやって、と、互いの手が入ってます。

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:二人で作業する時に意見がぶつかったり、困ることはありますか?

 

:ぶつかることは結構あります(笑)でも、ともに「とりあえず相手が言ったことを試してみよう」というタチやから、実際に試してみて決めることがほとんど。だから二人だけでやってるわりに、途中で意見が合わなくなって中断するということはほとんどない。むしろ、いかに中断させずに続けられるか、どこで納得できるか、並走しながらせめぎ合っている感じです。

 

杉本(以下、杉):そういう関係性って、研究室の個人ブースの位置にも関係あるんですか?岡村先生、李先生、川合先生ってならんでるじゃないですか。間にクッションをはさむような感じで。

 

:位置は関係ないですよ(笑)前任の方が退職されて空いた場所に新しい先生が入るという習わしで、たまたま今の場所になっただけ。でもそう言われてみれば、カワイオカムラの間にはさまれた李先生は気持ちわるかったかもなぁ・・・

 

一同:笑

 

遊び_派手系

 

:今から考えるとですが、確かにブースがとなり合わせだったら何かとやりづらかったかもしれない。“カワイオカムラとして” と “学科教員として” との兼ね合いがね。二人そろって情Dの教員になると決まった時は、授業の合間に制作の話ができるかもとか、あわよくば授業を終えた後に制作できるかもとか、淡い期待があったけど、結局大学内で自分達の制作の話はしないです。コンセプトやアイデアをつくる打ち合わせは学校以外のところで、その場所のムードを借りて頭を切り替えてます。

 

:なんだか微妙な関係性なんですね。岡村先生は造形大の前にも他の学校で教えてたんですか?

 

:うん、大学院を出てからずっと何かしら先生をやってました。コンピュータの専門学校とか、京都市立芸大とか。

 

:市芸出身の副手さんが、情デに着任した時「カワイオカムラを作家としてしか知らなかったから、情デにおられてびっくり。完全に“先生”って顔をしてはって」って言ってましたよ。

 

ポートレート(mono)

 

:今は教育ユニットとしてもバリバリ活動してるから(笑)人生で最初に担当した授業は、コンピュータの専門学校で、200人くらいの学生を相手に、ビジュアルコミュニケーションをテーマにした授業でした。今でこそコンピュータとデザインって、全く違和感なくつながるけれど、20年くらい前はコンピューターが「マルチメディア」と言われていた頃で、コンピュータの専門学校に通う学生が視覚デザインや美術を学ぶことにまだ違和感があった時代でした。でもこれからはプログラマーやシステムエンジニアを目指す学生も視覚表現の素養が必要だということで、まずはデザインの基本や面白さを教えて、コンピューター言語以外の特技も持ってもらおう、というような目的の授業でした。

 自分達の制作においても、“ポップであること” は中心に据えていたんですが、ファインアートというフィールドで発表していたこともあって、やっぱりどこかで、わかる人にしかわからないことを良しとしていたところがあった。それが授業を通して学生と関わり合う中で、からまったものをいかにひも解き、上手く伝えられるかということの面白さについて、少しずつ考えを深めていきました。今思うと、人に教えることが制作につながっている部分があったんやなと。表現としてやっていることと、教員としてやっていることにつながりがあったから、どちらも続けて来れたんだと思います。

 

:”教えること”から”発表すること”にフィードバックがあるんですね。では逆に、アート作品を発表している経験をデザイン教育に反映させているのはどんなところですか?

 

:ものをつくる時のプロセスで自分が工夫し学んできたことを、一方では方法論的に、もう一方では感覚的に伝えられることです。たとえば一枚の絵を描く中でもいろんな工夫があるでしょう? モチーフ選びから、いかに描き進めるか、どう偶然を取り入れるか、どこに着地させるか、とか。そういったプロセスの視点や、表現技法、画材やグラフィックソフト等、方法全般について伝えたいこともあるし、これまでの経験から得た感覚的なアドバイスもしたいと思っています。作品発表の経験談よりも、ものをつくる・描くプロセス、その素晴らしさをいかに伝えられるかを意識しています。

 

:合評の時に、それぞれの先生がコメントされるじゃないですか。その時、岡村先生と川合先生は “お笑い” みたいなものが主軸にありますよね? さっき言ってらした “ポップさ” だったり。さっき、やりとりのプロセスに重きを置いているって言われたじゃないですか。僕、サッカーをしてたんですけど、先生達の作品の『ヘコヒョン』や『コロンボス』を見てると、サッカーの試合を見ている感じがするんです。

 

コロンブス

:それはどういうこと?

 

:たとえば、サッカースタジアムの一番上のヒマラヤ席から試合を見たら、ピントは合わせられるけどズームはできない。だけどテレビで見ていたら凄くズームされたりする。そういうのって、僕は「義務的にやらされてる」「見させられてる」っていう風に感じる。お笑いもそういう、ある種「見方を誘導する」っていう要素があると思うんです。で、『コロンボス』だったら急にズームになっちゃったり、『ヘコヒョン』だったら視聴者としてニュースを見てるはずなのに、気がつくとその元になったニュースをキャスターの人と同じ目線で見ていて、結局そのニュースの内容には触れずに、3分っていう始まりと終わりはしっかり決まってて、そこで起きる偶然性なんかも回収されないまま終わっちゃうっていう。それが「見ようとして待ったのに通り過ぎさせられた」みたいな、お笑いの要素でもあると感じて。思い返してみれば、先生達のコメントはそういうところを意識してるんだなっていう部分が多かったなぁと。

 

:“お笑い” は大事やし、そもそもすごく深いテーマ。“お笑い” を感じることは、人間の感覚としてある意味一番高度な構造なんちゃうかと思います。最近のニュースで「2045年には人工知能が人間を支配してるいうのがあるけど、このあいだ川合さんとも、人工知能の最後のハードルになるのは“お笑い”の感覚なんじゃないかって話をしました。”お笑い“ って「ワハハ」と笑うだけじゃなくて、ちょっとズラせば恐怖にも感動にもなる。その辺は実際に扱ってみないとわからないから、常に試運転みたいなところもあって、みんなの作品を見る時もついついそういうところが気になります。一年くらい前に上映された「フォックスキャッチャー」という映画は、実在する大金持ちのデュポン財団というところの御曹司が、アマチュアレスリングの選手を射殺した怖い殺人事件を映画化したもので、映画全体のトーンもずっと緊張感があって物悲しいんですけど、構造としては完全にコメディーで。そういう感覚ってすごくよくわかる。僕も、面白いなぁと思うものを探っていくと、どこかで “お笑い” の構造がある。映画とか映像作品だけじゃなくて、イラストやデザインにしてもそういうところを見てしまうんです。

 

フォックスキャッチャー

:“お笑い”でもぜんぜん面白くないやつ、たまにあるじゃないですか。でもそのお笑い芸人のファンは絶対いて。先生達は自分がつくってるものをわかる人がわかればいいって信じてやってるんですか?それとも、もっと大衆に開いてる感じなんですか?僕としては、少し大衆に合わせるために、映像のデザイン性だったり、単純に装置とかフィギアの完成度だったりで、わかりやすさの部分を回収してらっしゃるのかなあって思います。さっき副手さんとも話してたんですが、カワイオカムラのコンセプトの部分に「ものを見せられている人間への風刺」とか「笑わせているフリをして情報やモノの見方を操作しているメディアへの皮肉」みたいなコンセプトはあったんですか?

 

:当初はそういうコンセプトは全くなかったけど、どこかで意識はしてたと思います。つくっている僕達はわりとシンプルに面白いものを探してつくってるだけなんやけど、でもその「僕らが何を面白がるか」っていうところに時代性が現れたり、そもそも “笑い” のなかにはブラックな要素が絶対にあるから、その辺は自ずと表れるのかなと思います。

 

:『ヘコヒョン』っていつ作られたんでしたっけ?

 

:『ヘコヒョン7』?

 

:『ヘコヒョン』ってシリーズなんですか?

 

:『ヘコヒョン7』と『ヘコヒョン・ナイン』があるから。

 

:へぇーーー!

  遊び組

:『ヘコヒョン7』は2000年ぐらいにつくり始めて、何度も再編集を重ねてるから、いくつかバージョンがあるんです。最終的に完成したのは2004年かな。コンペで賞をいただいて、ようやく再編集を止めれた(笑)

 

:再編集の過程で、なにか腑に落ちないことがあったんですか?

 

:いや単純にゴールを決めずにやっていたから、なんかこう・・・終わらへんかった(笑)クライアントワークじゃなかったしね。『ヘコヒョン7』はデジタルカメラで撮影しているんですが、それまではHi8っていうSONYの規格のビデオでつくってた。Hi8は編集を重ねるとダビングの回数が増えて画質がどんどん荒れるから、それを目安に、もうここでおしまい(これ以上のノイズは視聴に耐えられない)!って、できたけど、デジタル編集には際限がないねん。納得するまでやっていると、気がつけば3,4年経ってる、ってことになりかねない。というか現実にそうなってしまった(笑)『コロンボス』も編集を重ねましたが、最初は水戸芸術館で展示するためにつくって、それをベースに今度はアニメーションの映画祭で上映するためにつくり直して、と、見てもらう場に合わせ変えていきました。最初に「最終的にこれをつくりたい」というのはもちろんあるけど、それよりも ”どうつくっていくか” とか”つくっている最中のプレーしている感覚” も楽しむことで、それがまた可笑し味となって作品に表れる。そういう制作スタイルも時間がかかってしまう要因やと思いますね。

 

:そもそも、作品タイトルの『ヘコヒョン』って何なんですか?

 

:造語です。公表はしてないけど、元になっているものがあるんです。「これ(元になっているもの)を仮にヘコヒョンと呼んだとして」みたいなね。

 

:私は『ヘコヒョン』を見て、これって夢なのかなぁと思いました。人物と事柄は存在するのに時間軸はバラバラで、なんか夢みたいだな、と。

 

:ニュース番組に似た形式を使っているのは、どういう意味があるんですか?

 

:ニュース番組は、ビジュアルイメージもそうだし、最初の設定に別の要素が入ってくる装置として重要な形式でした。ある要素どうしを組み合わせることで、視覚的な組み合わせだけじゃなくて、それぞれの要素が持っている文脈自体も再構成されていく。そういうユニークなものができあがるための装置というか。最終的には、出来上がった映像に関して個々にああだこうだ言ってもらうのも楽しみです。僕らがやっているワークショップで、小学生に作品を見せた後、カメラの前で『ヘコヒョン7』を自分の体験として語ってもらうというのがあって。つくった映像がまた別のイメージへと展開されてくのが面白い。

 

:サッカーの試合中継って、それと同じような装置だと思うんです。11人のプレイヤーがいて、それぞれがボールを持っていない時も走っているはずなのに、ボールを持っているプレイヤーだけがカメラに抜かれちゃう。実は試合を運ぶ上で一番重要なのって、ボールを持っていない時の選手の動きであったり、個々のプレーヤーの思考の部分。でもテレビ中継では見栄えのするフェイントやシュートの美しさが重要視されてて、確かにあるはずの経緯とかがバサッとはぶかれたり、と、違うもののように編集されてる。

 

:画面上はこういう流れがあるけど、実はそれぞれが動きながら、総体としてあるいはゲームとして一つのものができあがっているみたいなね。確かに似てるかもしれません。

  _MG_5993_2

:話はかわりますが、好きな作家や作品を教えてください。

 

:自分の原点を探っていくと、イギリスの『モンティ•パイソン』です。『ダウンタウンのごっつええ感じ』とか、日本のああいったコント番組の原点になっていると思う。僕はモンティ•パイソンをリアルタイムで見たわけではないけど、再放送で日本語吹替え版をやっていて。コメディーなのにオチがない。いろんなコントがメドレーのようにつながっていく感じで、メンバー全員が芸達者でものすごい。メンバーのなかでも、特に影響を受けたのはテリー•ギリアムです。コントの間に挿入される短いアニメーションを、放送局に一人で泊まり込んでつくっていた人で。後に映画監督になって『未来世紀ブラジル』等いろいろな素晴らしい映画を撮っていて大好きです。

 

↓ 左から『 モンティ・パイソン』、『ダウンタウンのごっつええ感じ』、テリー・ギリアム『未来世紀ブラジル』

スクリーンショット 2016-02-21 17.38.33 ごっつ 未来世紀ブラジル

  ↓ 左から『 バードマン』、『ゼログラヴィティ』、『リトルプリンス 星の王子さまと私』

バードマンゼログラビティリトルプリンス

:最近の人では、『バードマン』『ゼログラヴィティ』という映画の撮影監督エマニュエル•ルべツキ。『バードマン』では最初から最後までワンショットで撮影してるんです。ワンショットって昔からの手法ではあるけど、この映画は今までとはどこか違う、今一番新鮮に感じる映像になっています。他には『リトルプリンス  星の王子さまと私』という映画。見に行った?

 

:まだ見てないです。

 

:劇中に出てくる『星の王子さま』の物語をストップモーションアニメーションで映像化しているのがジェイミー•カリリという人で、素材感を活かした表現が素晴らしい。他にもいろいろなアニメーションやCMを制作しているので、ぜひ見てください。

二人は、影響を受けている作家はいますか?

 

:うーん・・・僕の実家は農家なんですね。主に野菜とか果物を作っているんですけど、両親は市販されている誰でも手に入る農具を使ってるんです。なので耕すやつがすぐに使いにくくなったり、イスだと高さが合わなかったりするから、両親は自分たちに合うように道具をよく加工していました。仕事が終わった後、夜中に削ったり、取っ手に棒をくくりつけたり。そういう姿を小さい頃から見ていました。好きな作家とは違うかもしれませんが、今でもその場面を思い返すし、そういった日常の発見が僕のすべてのベースになっている気がします。日常生活と芸術はかけ離れていない、という姿勢というか。

  _MG_6103

:さらに話が少し変わるんですけど、僕が実家の高知県にいたころ、高知県立美術館では古美術とか印象派とか、どこか技巧的な展示内容で年配層をターゲットとした展覧会が多かったんです。だから京都に来た時は、まず単純にアーティストという存在に驚きました。今では高知県立美術館でも、学芸員の方が変わったからか、一年の半分は今までどおりの年配層に向けての作品、残りの半分は現代アート作品を扱っています。僕からするといいバランスだと思うのですが、美術教育のシステムとして、良し悪しの結果がわかるのはすごく時間がかかるなぁとも思います。従来型の展示じゃないぶん、将来、高知に住んでいる僕の同世代の人が歳をとった時に芸術を見る角度が少しだけ変わるかもしれない。でも、そもそも集客ができないという理由で現代アートの企画自体がなくなっちゃうかもしれない。もしかしたらむしろもっと増えるかもしれない。誰にもわからないですよね。どちらにせよ、地元の美術館の展覧会方針の変わり目というか、これからの流れになるかもしれないスタートに立ち会え、いっしょに年を重ねていけるのは楽しみなんです。そういう風に、作品を通してその人を知ろうとすることだったり、理解しようとすることは時間のかかることだから、僕の中でも、この前初めて拝見した『コロンボス』や『ヘコヒョン』への見方もまたこれから変わるだろうし、すぐには理解できないことの面白さとはこれから長く付き合っていくことになるのかなと思って楽しみにしてるんです。

 

:私は漠然と映像がしたいと思って大学に来て、アニメーションを始めたら楽しくなって、今でもその延長でアニメーションをやりつづけている感じがあります。作家さんだと、最近の人でぬQさんって人がすごい好きです。

 

ぬQ

:ぬQさんは中西さんとほとんど同世代やんね?

 

:はい、そうです。

 

↓中西さん作品画像『からだにめーしょん』(2016

中西卒制画像

 

 

:最近の若いアニメーターには面白い人がいっぱいいるし、中西さんもそのなかに入っていけたらいいね。

 

:がんばります。

_MG_6154 _MG_6143_2 :ところで、岡村先生はいつもアウトドアな服を着ていますよね? なにか理由があるんですか?

 

:えー、なんやろう?(笑)学生の時は革ジャンに赤いジャージに緑のエナメル靴とか履いてたけど。ある時期から変わったんですよ。んーアウトドアスタイルやと何が起こってもサバイバルできるし、あと楽やし、かな?・・・いや、そんな面白い理由は出てこないですよ(笑) 僕のほんまのことより、杉本が想像した「理由」が知りたい。なぜ岡村はいつもアウトドアの服を着ているのか。

 

:いつも山から下りてきているからだと思ってました。以前に、先生は工繊大(京都工業繊維大学)が蚕を育てている施設の周辺に住んでいると聞いたことがあったので、家から学校へ来る時に山から降りてきて町中を通り、大学の建つ瓜生山を登って来られる、と想像していました。実用的な山越えファッションってことで。

 

:なんで毎日登山やねん!ちがうちがう!(笑)

 

:休みの日は何をしているんですか?前に聞いた、休みの日にお子さんとプリキュアの映画を見に行って、一緒にペンライトを振ったっていう話がすごく好きなんです。今も子供とよく遊ばれるんですか?

空とオレンジ 中西とオレンジ

:家族サービスっていう意識はないんですが、単純に子供と遊ぶのは面白いんです。娘が肉球にはまっていて、この前お絵描きをしたときも、猫とかムーミンとか、みんなに肉球が描いてあって。肉球だらけのリスとか富士山とか・・・。

 

:へー・・・?お子さんは本物の肉球を見たことがあるんですか?

 

:いや、実際には見たことがないから、テレビや図鑑で見てるんちゃうかな。だから向きがおかしい。肉球の向きが。

 

↓娘さん直筆の肉球絵

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:本当だ!怖い!

 

:プリキュアの映画にしても、それをフィクションと思ってない何百人もの観客が「プリキュアがんばれー!!」って本気で願っている中で見る映画体験なんです。それって一人で映画館に行く時とは全然違う。子供たちはプリキュアがピンチになったら「プリキュアー!」って叫びながらペンライトを必死で振る。大人は(ペンライトを)もらえないんやけど、僕も心はいっしょに応援しました。本気の子供達に囲まれて。KISSのライブでもそんな経験できないですよ。子供といっしょだから見られる世界ですね。

 

:子供が生まれたことで、作品への影響はありましたか?

 

:うーん、きっと何らかの影響はあったと思いますが、ストレートには表れてないかな。ただ、子供と遊んだり話をしていると、自分の子供の頃の記憶や感覚がふとよみがえることがあって、そういう体験は作品制作に影響してると思います。

 

:今日の話を聞いていると、先生はいわゆる作品としての完成に重きを置いているというより、それまでのプロセスであったり何気ないやりとりに面白味を感じているのかなと思いました。プロセスさえ楽しめれば、わざわざ作品を作ったり完成させたり発表するのは必要ないのでしょうか?

 

:いやいや、作品は一番つくりたいです。正直、今まではつくるプロセスの方に集中する傾向があって、作品発表にあまり重きを置いていないところがあった。今後は作品を介したコミュニケーションみたいなところももっと考えていこうと思っています。これは、いま教員をしてることも関係してるのかもしれません。単なる作品の上映会ではなく、人に見せるための仕掛けや企画を中心に考えてみたいです。

 

:これからも作品を楽しみにしています。

 

:僕も、二人のこれからの活躍を楽しみにしています。

 

_MG_6231 記事/杉本 龍哉、中西 綾   写真/常 程(情報デザインコース3年生)

 

《 岡村先生に聞いた!  20歳のときに読んでおきたかった本  3選 》

 

51y69s8omGL._SX334_BO1,204,203,200_
「ファイトクラブ」 チャック・パラニューク 著(早川書房 、1999年)

 

61-dqElvOiL._SX352_BO1,204,203,200_
「高い城の男」 フィリップ・K・ディック 著(早川書房 、1984年)

 

516YE2Z324L._SX328_BO1,204,203,200_
「退屈な美術を辞める為の長い長い人類の歴史」 若林 直樹 著(河出書房新社 、2000年)

 

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_MG_6134

 

インタビュー後半では、杉本君の作品『甘い放物線/Sweet parabola』制作の一環で、

オレンジを使ったキャッチボールを行いました。

オレンジは揉むことでさらに甘くなるらしく、

取材の後にあまーいボール(オレンジ)をスタッフ一同おいしくいただきました。

 

今回のインタビューでは「先生と学生」としてだけでなく、

お互いを“表現を学びつづける同士”として認め合う関係性がとても印象的でした。

カワイオカムラは今年の年末に京都で展覧会を行われるそうですので、またこのブログでも紹介します!

岡村先生、ありがとうございました!

 

さて、今回のインタビュアーである杉本君と中西さんの作品をはじめ、

今週末から始まる卒業展では総勢118名の情D生の卒業制作をご覧いただけます!

ぜひぜひ足をお運びください!◎

 

この企画は、約ひと月に1回のペースで更新する予定です。

次回もぜひご期待ください。

 

・・・・・・

↓前回のインタビュー記事

【教員紹介】8 根之木正明 先生

過去のインタビュー記事はこちらからご覧いただけます

・・・・・・

スタッフ:森川

 

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2016年1月28日  インタビュー

【教員紹介】第8弾:根之木先生

「情報デザイン学科をもっともっと知ってもらいたい!」

ということではじまった、インタビュー企画の第8弾!!

 

今回は、芸術学部長と情報デザイン学科長を兼任する “デザイン教育のスペシャリスト”

根之木正明(ねのきまさあき)先生のご紹介です。

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主な授業:情Dコース1年次「観察・思考・発想力基礎」

主な授業:イラストコース3年次「総合演習」

 

東京芸術大学を卒業後、(株)電通でのアートディレクター職を経て、

現在はその経験を生かしたデザイン&アートの教育に心血を注がれている根之木先生。

情Dの学科長として、そして芸術学部長として、日々後進の育成に尽力されています。

 

今回は東京時代の思い出話だけではなく、

かなりプライベートなお話までじっくりとお伺いすることができました。

学生たちと根之木先生による、あたたかな雰囲気の会話をお楽しみください!

(根之木先生の詳細なプロフィールはこちらからご覧いただけます。)

 

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話し手|情報デザイン学科 教授 根之木 正明 先生

インタビュアー|情報デザインコース 2年生 瀧澤 亮 くん(写真 右)

          情報デザインコース 2年生 宮下 和 さん(写真 左)    

 

瀧澤(以下、瀧):早速ですが、僕は東京出身で、宮下さんは茨城出身なんです。根之木先生も東京にいらっしゃたんですよね。全員関東出身ということで、関東トークでもしませんか?

 

根之木(以下、根):「東京ではマクドナルドをマックって言いますよね」とか、関東トークってそういうこと?(笑)僕は関東を離れてもう22年経つんです。しかも東京に住んでいたのは高校を卒業してからの16年間だけで、生まれたのは”唐津焼き”で有名な佐賀県の唐津。すぐ近くに海があって良い所でした。佐賀平野には基本的に何もないから、熱気球の世界選手権大会が開催されたり。

 

(↓右手を九州に見立てる根之木先生) 

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宮下(以下、宮):祖母に「人はみんな16歳までに住んでいた場所の話し方(方言)で生きていくんだよ」って言われたことがあるんです。だから私はずっと茨城弁だし、瀧さんも東京弁ですよね。先生は授業中も標準語っぽいですが、唐津弁が出ることもあるんですか?

 

:どこかに染み付いているかもしれないけど、もうすぐには出ないですね。急に喋れと言われると嘘っぽくなってしまうかも。

 

:先生は九州と東京を経て京都に来られたということですが、京都のおすすめスポットはありますか?

 

詩仙堂は景色もきれいで人もそんなに多くないし、京造から近いからおすすめですよ。あと京都は食べ物屋さんが美味しいよね。東京と比べると安いし!小さいお店でもちょこっと坪庭があったり、空間を気にしているお店が多い。町家を改修したお店にはよく行きます。

 

:町家でイタリアンとか、そのギャップが良いですよね。最近は若い人向けの町屋アパートもあったり。

 

:でも、もし「住め」と言われたら僕は少し嫌ですが(笑) 以前に検討したこともあったんだけど、とにかく寒いし、風呂が外にあったという理由で却下しました・・・やっぱり床暖がないとね・・・(笑)

 

一同:現代っ子だ!!!(笑)

 

:佐賀での高校生活はいかがでしたか?

 

:一応共学だったんだけど、昔は男子校だったという高校でね。だから男が多くて、学校の集会で並ぶと前も後ろも男子ばっかり。最初から男子校に行くつもりだったらいいんだけど、せっかく共学に入ったのに男子クラスかぁ、って思ってました(笑)だけど高校生活は本当に面白かった。

 

:私はその逆で女子校だったんですけど、同性ばっかりだなーって、やっぱり思ってましたよ(笑)

 

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:周りに美術が好きな友人はいましたか?いつ頃から美術関係に進もうと思われたんですか?

 

:高校は普通科でしたが、美術部に入っていたので部活の友達とはよく美術の話をしていました。実は最初の1年くらいは、友達の誘いで入部したこともあってか、遊んでばかりで何もしてなかったんです。それが、2年生になる時に「後輩が入ってくるぞ。遊んでばかりじゃいけない!」って、しっかり活動するようになりました。2年生の終わりくらいに、美大に通っている先輩が教育実習で高校に来て、話を聞いていくうちに、美大という進路もアリかなと考えるようになりました。

 

:子どもの頃から絵が好きだったわけではなかったんですか?

 

:まあまあ好きではあったけど、成績はあまりよくなかったです。中学校のスケッチ大会で頑張って描いたのが入選して、自分でも驚いたくらい。その頃はまだ芸大に進もうなんて、これっぽっちも思わなかったですね。

 

:他に将来の夢はありましたか?

 

:実は子どもの頃の記憶があんまりないんですよ。幼稚園の記憶なんて全くない(笑) 両親によると、コミュニケーションをほとんどとらなかったらしくて。もしかすると幼稚園の先生は何か問題のある子供だと思ってたんじゃないかな。

 

:ほんとですか!?

 

:本当にそれくらい黙ってたみたいです。その頃の写真を自分で見ても「あーこれは黙ってる感じの子どもだな」と思います(笑) ちゃんとコミュニケーションをとるようになったのは、中学に入学してからですね。

 

:個性的な幼少期ですが、大学受験の時はどうして美術科ではなくデザイン科を志望されたんですか?

 

:どうしても”デザインの仕事”をしたかったからです。当時は、芸術を志す人はみんな東京芸大を受けた時代だから、受験倍率が35倍とか50倍とかでね。僕も東京で2年間浪人しました。そうやって、デザインがしたいがために苦労して入学したわけですが、結局大学ではデザインなんてほとんど教わらなかった(笑) 教えてもらえたのは会社に入ってから。

 

:昔の東京芸大のデザインの先生は美術作家さんが多かったと聞いてますが、忙しくて授業に来てくれなかったということですか?

 

:うん、週に一度くらいしか来てくれませんでした。そもそも当時の先生は恐れ多くて、遠目から見ると「カタギではないな・・・」という感じで(笑) 昔は、ですよ。今はちがうと思います(笑)

 

IMG_5743

 

:そんな芸大での一番の思い出はなんですか?

 

:とにかくたくさん制作したことです。3年生までは課題を、4年生では自主制作をしていました。情Dでは考えられないけど、3年生までは2−3週間に1つしか課題が出なかったので、1つの課題のためにたくさん資料を読んでリサーチしていました。課題の種類はいろいろで、早く終わらせようとするならほんの15分で片付いてしまうような ”水墨画の模写” なんていうのもあってね。10分で炭をすって、5分で描いて終わり。そんな学生もいたけど、僕は徹底的にやってました。デザイン科の先生のなかにはデザインの基本は造形だっていう方がいらっしゃって、いわゆるデザインらしいことはあんまり教わらなかった気がします。でも不思議と学生はデザイナーで就職するんですよ。僕は電通に入社したし、同級生も大手企業や広告会社に就職していました。いつの間にかちゃんと力がついてたんですね。まあ、でもね、そもそも何か教わったとしても、当時は先生の言っていることがほとんどわからなかったんだよ(笑)

 

:えー!? たまにしか会えないのに(笑)

 

:僕らが考えるよりも遥か上のことを話されるから。わからないから一応質問はするんだけど、返ってくるその答えもまたむずかしくてね。卒業してから気がついたのは「先生、僕たちに向けて話してください」じゃ、ダメだったんだということです。あの時、先生が話していた目線を理解して、そこに僕ら学生が近づかなくちゃいけなかったんだってこと。自分が学生である時にはなかなかわかりませんでしたけどね。

 

:根之木先生が僕たち学生に教える時も、「ここまで来て欲しいな」ってちょっと高くボールを放る感じですか?

 

:僕はしゃがんでじっくり待つ派ですね(笑) できるだけ上にあがってきて欲しいとは思うけど、それは僕がそういう教育を受けてきたからなんです。やっぱり人間は自分の経験に引っ張られがちだから、現代の学生と離れすぎないように気をつけているつもりです。

 

ひよこ

 

:個人的な悩みなんですが、いまの自分は課題の制作しかできてなくて。先生は自主制作でどんなものを作られていましたか?

 

:僕はずっと絵を描いていました。創ったものは”イラストレーション”ではなく”絵”と呼んでいました。イラストレーションとは仕事の中で活かされるものだと思っていたので、自分が描いた絵がイラストレーション足りうるかわからなかったんですね。いま考えるとイラストレーションと呼べたと思いますが。もうね、すごく楽しくて、最初は家にあるものを片っぱしから描いてました。テレビとかスリッパとか。そのあとは、大学の隣にあった上野動物園に行ってモチーフを探していました。大学で上野動物園仲間を作って、みんなで年間パスを買って何度も動物園に通った。生まれたばかりのアメリカバイソンも見ましたよ。

 

:へー!もちろん描かれたんですよね?

 

:いや、それは描かなかった(笑) あれ?いま思うと動物園に行ってもあまり絵を描いてなかったなぁ。巡回してただけだったかも(笑) だけど記憶にはとどめていたみたいで、卒業制作のタイトルは「動物園に行こう」でした。F50のキャンバス6点組で。きみたちが卒業する頃に見せてあげるよ。

 

:今は見せていただけないんですか?

 

:「こんなの描いてたんですか!」って馬鹿にされそうだから今は見せない(笑)

 

:いやいやいや馬鹿になんてしませんよ!(笑)

 

4枚組

 

:イラストレーションで受賞されたのはその頃ですか? 

 

:そう、4年生から大学院生にかけてです。JACA主催の”日本イラストレーション展”と、パルコ主催の”日本グラフィック展”という二つの大きなコンペで受賞しました。日本グラフィック展の方は毎年入賞上位者のイラストを使ってポスターをつくることになっていて。その年は僕に依頼することになったらしいんですが、まだ携帯電話なんてない時代だから、毎日大学に通い詰めていた僕となかなか連絡がつかなかったみたいで、結局大学づたいで連絡をくれたんです。「今日が打ち合わせの日だから来てください」って。その日は大学の研修旅行で、今まさにバスが出ようとするところだったんですよ。僕からすると突然のことだったんだけど、そういうイラストの仕事は初めてだったので、福田繁雄先生に「研修をパスしてパルコの打ち合わせに参加したい」と伝えたんです。すると福田先生が「俺が電話に出る」と。「私は福田繁雄だ。パルコの社長にちょっと伝言しておいて」と、担当の方に何やら交渉してくれて、結局打ち合わせの日程が変わったんです。おかげで研修にもパルコの仕事にも参加できて、どちらもすごく楽しかったですね。研修といっても、なかみはソフトボールとか飲み会だったんだけど(笑)

 

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:まさに鶴の一声ですね! そんな学生生活から、電通に入社されたキッカケを教えてください。

 

:1年生の頃からずっとアートディレクターになりたかったんです。大学4年間ずっと鉄の彫刻を作っていた工芸科の先輩がデザインなんて何も知らないはずなのに電通に入社したのを見て、それなら自分も入れるなと思って(笑) そんなだったもので、入社してからは本当に勉強の日々でいろいろ失敗もしました。ある時、クライアントの扱っている商品の写真を撮影したあと、頼まれてもいないのに”レタッチ”という修正の作業をしてしまったんです。まだ一番下っ端だったのに”ホウレンソウ(報・連・相)”をしないまま勝手に作業してしまったんですね。クライアントからは当然「頼んでもいないのに何やってんの?」と言われてしまい、チームを組んでいたアートディレクターや営業の方といっしょに謝りに行ったんです。僕としては平謝りするつもりでいたんだけど、上司たちが「根之木はクライアントのためによかれと思ってやったんだ! なのに何だその言い草は!」って相手の担当者に向かって怒り出したんですよ(笑) あまりのことに「何なんだこの人たちは!?」って、もうね、感動しました。どう考えてもこちらが間違ってたんですが(笑) そんな職場だったからか、嫌な人と出会ったことがなかったですね。職場のみんながきちっと同じ目標に向かっていたので、互いが向上し合える仲間になれたんだと思います。

ただ当時はバブル景気だったから、打ち合わせの時間が深夜の1時だったり、とにかく忙しかったですね。

 

:京造の先生になられた頃はもう電通を退社されていたんですか?

 

:京造に来る5年前には仕事を辞めていて、ずっと作品を制作してました。だけどその生活があまりにも単調で、ちょっと飽きてきちゃっていて。そんな時に、ある専門学校から先生にならないかという話があってね。他の専門学校からも声をかけてもらって、そうこうしているうちに、どんどん教育の現場が面白くなってきて、もっと深く教育に携わっていきたいなと考えていた矢先に、京造から誘っていただいたんです。「大学だと専門学校とはまたちがうことができるかも」なんて考えているうちに、いつの間にか京造の前理事長と握手なんかしちゃってて、「あぁ俺、握手してる」って(笑)

 

:先生になると握手をするんですね(笑) 先生という職業がもともと好きだったんですか?

  

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:向いていたんだとは思いますね。学生の時にもすいどーばた美術学院っていう大きな美術予備校の先生をしていたし、いま思うと僕はずっと”教える仕事”をしています。でも昔は厳しい先生だったんですよ。よく講評会とかで学生を泣かせちゃって、副手さんから「また泣かせたんですか?」なんて言われてた。「いやいや、あの子は涙もろい子なんだよ」って(笑) 今はあまり怒らなくなったけど、なかみは変わってないので、怒れって言われれば怒ります。

 

:怒る根之木先生が想像できないです。

 

:激情に駆られて怒る感じではないですけどね。たとえば「プレゼンの時には作品を説明するための何かを持ってきなさい」と言っておいたのに、ただ言い訳をするだけで何も持ってこないとか、そういうことを何度も繰り返すと、きつく叱っていました。それでもね、後から学生が謝りにくるんです。その流れで「先生、飲みにいきませんか?」なんて言ってくる。それで本当に飲みに行っちゃったりね。昔はそうやって、相談や制作で、学生も僕ら教員も遅くまで残っていると「いっしょにご飯でも食べに行こう」というようなこともよくあった。ある日、僕が王将に行くと、頼んでもいない瓶ビールが2本くるんですよ。「頼んでないけど?」って店員さんに聞くと、「あちらのお客様から」って。見ると、2年生の男子2人が笑ってるんですよ。翌日が講評会だったので「先生、明日はよろしく!」ということだったらしい(笑)

 

:おしゃれなバーみたいじゃないですか!その2年生めちゃめちゃ格好良いですね(笑) そんな学生たちから、逆に学ぶことはありますか

 

:「学ぶ」という姿勢です。僕らもずっと勉強をつづけなくてはいけないから「世の中にはもっと学ばなきゃいけないことがたくさんある」っていう意識を持ちつづけることは本当に大事だと思います。なので、僕が教える時も、たとえばある学生が何かをうまくできない場合、それをできるようにするための具体的な方法を直接教えるのではなくて、”できる方法”を主体的に学べるように指導したいと思っています。

 

:今の情報デザインの学生たちに「もの申す!」みたいなことは何かありませんか?

 

:「おもいっきりやれ!」ですね。そして一歩前に出る勇気をもってほしい。

 

1-2

 

:最後に、情D2年生メンズLINEからの質問です。ぜひ聞いて来てくれとのことで。根之木先生の好きな異性のタイプはどんな方ですか?

 

:それをブログにのせるの!? うーん・・・・・・、美人。

 

一同:素直!(笑)

 

:ちなみに瀧さんは?

 

:僕は・・・、過去に付き合った人が3人いるんですけど、みんなぽっちゃりしてました。

 

:えぇーー!?

(※ 瀧さんはマッチョです)

 

:僕自身は昔からスポーツをしてたんですけど、逆にスポーツを全く好きじゃない女性の方が合っていたみたいです。宮下さんは?

 

:私は・・・まず外国人が好きです。特にヨーロッパ系の顔の人が好きです。

 

:えぇーー!

 

:すごいなぁ、外国人かぁ(笑)

 

:そうですね、外国人がほんとに好きなので、あんまり日本人を見ていません。なんかすみません。

 

:せっかくの数少ない男子たちも眼中にないという・・・(笑)

 

:そんなことないです!なんかすみません!

 

:最後の話題が好みの異性の話というのはシュールですが、これでインタビューを終わりにしたいと思います! 根之木先生ありがとうございました!

 

一同:(笑) 

 

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記事/瀧澤 亮、宮下 和

写真/藤田 彗光(4年生)

 

《 根之木先生に聞いた!  20歳のときに読んでおきたかった本  3選 》

キルヒャーの世界図鑑

「キルヒャーの世界図鑑―よみがえる普遍の夢」 ジョスリン・ゴドウィン 著(工作舎 、1986年)

 

ニューロマンサー

「ニューロマンサー」 ウィリアム・ギブスン 著( 早川書房、1986年)

 

かっこいいスキヤキ

「かっこいいスキヤキ」 泉 昌之 著( 扶桑社、1998年)

 

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IMG_5881

学科長へのインタビューということで少し緊張していた学生たちでしたが、

さまざまな時代・場所・立場を経験してこられた先生のエピソードトークで、

すっかりコリがほぐれたようです。

 

「面白くなるのであれば」と、私たちのリクエストに笑顔で答えてくださった

根之木先生の懐の深さに心から感じ入るインタビューとなりました!

 

この企画は、約ひと月に1回のペースで更新する予定です。

次回もぜひご期待ください。

 

・・・・・・

↓前回のインタビュー記事

【教員紹介】7 服部滋樹 先生

過去のインタビュー記事はこちらからご覧いただけます

・・・・・・

 

スタッフ:森川

 

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2015年12月29日  インタビュー

【教員紹介】第7弾:服部滋樹先生

「情報デザイン学科をもっともっと知ってもらいたい!」

ということではじまった、インタビュー企画の第7弾!!

 

今回は、”デザインで社会を変えるトップランナー”、服部滋樹(はっとりしげき)先生のご紹介です。

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主な授業:情Dコース2年次「コミュニケーションデザイン論」

主な授業:情Dコース3年次「構想計画—リアライズ—」

 

服部先生は、大阪を拠点に多岐にわたるクリエイティブ活動を展開する会社 graf *の代表を務めておられ、

近年では地域再生などの社会活動にもその能力を発揮されています。

graf *|家具、空間、グラフィック、プロダクトデザイン、アートから食に至るまで

   「暮らしのための構造」を考えてものづくりをするクリエイティブ集団。

既存のジャンル分けを明るい笑顔で飛び越えながら、

「暮らすこと」を軸に各方面で精力的な活動をされている服部先生。

今回は、情D学科でコミュニティデザインについて学ぶ学生が

服部先生のデザイナー観やgraf設立の経緯についてせまります。

学生自身の作品についてコメントをする場面など、他ではあまり見られない

”先生としての服部滋樹”もお楽しみください!

(服部先生の詳細なプロフィールはこちらからご覧いただけます。)

 

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話し手|情報デザイン学科 教授 服部 滋樹 先生

インタビュアー|情報デザインコース 3年生 小野 七海 さん

 

対談

 

小野(以下、小):私は滋賀県出身なんですが、服部さんは滋賀県で「むすぶ滋賀」というプロジェクトをされてますよね?大阪出身の服部さんがどうして滋賀県でお仕事を?

 

服部(以下、服):10年くらい前に滋賀県の農家の方とたまたま友達になって、そこに出入りするようになったのがきっかけですね。grafとしては8年前に畑をはじめたんです。「畑をやりたい!自分で育てたものを食べたい!」ってことで、じゃあやってみようとはなったものの、メンバーの誰も畑なんてしたことがなくて。畑についてあまりに何も知らないものだから、近所の人や農家の知り合いが「土を耕して半年くらいは肥やさな!」とか「もっと早く収穫せな!」とかアドバイスをくれたんです。何度もコミュニケーションをとって関係ができていく中で、逆に彼ら農業を営む側の問題も見えてきました。例えば若手の人たちは顔の見える人のために作物を育てたいって思うけど、彼らのお父さん世代は農協の人たちなんですよ。農協っていうのは言ってみれば ”問屋さん” で、作物を生産者から小売店に流していく役割です。問屋さんが流通の間に入ると、野菜を作る人と買う人が、お互いにどんな人なのかがわからなくなる。若手の人たちはそれをいやがっていて。そういう問題を見ていくうちに、雑誌のMeets Regionalとも一緒に畑をすることになって、雑誌の記事にもなりました。

 

:実は、田舎生まれ田舎育ちの私には、わざわざ苦労して畑を始める意図がわからないです(笑)

 

:わからないよねえ(笑) 野菜は八百屋さんから買うのが一番いいけど、今はそういうお店がなくなってしまい、大型スーパーとかになってるよね。物を買うときにコミュニケーションをとることがなかなかむずかしくて寂しい。僕の子供の頃は八百屋さんや肉屋さんがあって、肉屋さんのコロッケを40円で買いに行ったりしたんです。それが美味しいんですよ。魚屋さんに行って、ちくわを買ってザリガニ釣りにいったりとかね。でも最近は大阪の都市部に住んでるからそういうコミュニケーションがなくなってしまったので、「自分たちで育ててしまおう!」ってなるわけです。

 

:ずっと思ってたんですが、すごく忙しそうにお仕事されているのに、疲れている様子もあまり見せず、むしろいつも楽しそうな印象があります。服部さんが45歳に見えないのは、何かを育てていることが関係してるんですかね?

 

:いや、それは君たちのおかげですよ。エキスを吸わせてもらってるんでしょうね(笑) ナガオカケンメイさんにも「なんでずっと大学で教えてるの?」って聞かれたことがありますが、僕は学生と話すのが楽しくて。課題を出すってことがどれだけ自分のクリエーションへのフィードバックになってるのかがわかります。実は、学生時代は大学の先生に興味がなくてね。先生という存在をあまり信じてなかったんです。大学時代からずっと研究、研究、研究で、大学の中でしか生きたことがないのに、人にモノを教えてる奴なんてクソやと思ってました(笑) 先生なんて社会経験を重ねないとできないと思ってて。なので、29歳くらいに一度大学からのお誘いいただいた時は「今の仕事が楽しい」って理由で断りました。33、34歳くらいの時に「そろそろいいかな」って思うきっかけがあって先生のお仕事を受けて、それからもう11年くらい大学で教えています。今でも、やっぱり自分には社会経験があるからこそ、実際の社会に基づくことを教えられるんだという自信があります。

 

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:大学を卒業した直後はどんな活動をされていたんですか?

 

:僕が学部を卒業した頃が、ちょうどバブルがはじけた時期で、周りで就職活動をしてた友人たちもほぼ決まってなかったんです。二つ上の先輩なんかはバブル真っ盛りだったから楽に就職できていました。SONYやSHARPというような大手企業から内定をもらえたりね。企業はリクルーティングに必死でした。で、一つ上の先輩の時にバブルがはじけて一気に何もなくなって、とにかく凄い状況になった。それを目の前で見ていたから、社会に出た時に自活できる状況を自分で作らなければと思って。その頃からgrafのことを考え始めていました。でも当時はもうちょっと彫刻を勉強したくて、宝塚造形大から神戸大の教育学部彫刻学科に大学院の研究生として入りました。そこで1年半ほど制作をしてから、grafを立ち上げる決意をもって大学院をやめました。

 

:grafをつくったときのことをおしえてください。

 

:みんなで30万円ずつ持ち寄って、6人合わせて180万円を用意しました。バブルが崩壊した頃は誰もが自分のことに必死で、スポンサーなんていうのはなかった。ほかの誰かを支援する気になる人なんてあまりいなくてね。唯一そういう機運が高まったのは神戸の震災です。震災では神戸大時代の友人が何人も死んだし、住んでた寮もつぶれた。その時にいろいろ考えました。やっぱり自活しなきゃ生きていけないんだなって。

従来の日本はずっと縦型のピラミッド社会だったけど、バブルが崩壊して、そういう枠組み自体もくずれ落ちた気がして。縦型社会よりも横型社会を作りたいんです。縦型っていうのはつまり、生産者がいてメーカーがいてユーザーがいるものなんですが、そうするとメーカーが一番強くなってしまう。メーカーが安くていいものを作れって指示を出して、生産者が苦労して嫌になって中国に工場作って生産を始めると、技術も仕事も向こうに流れていく。大学時代からこの構造自体がダメだと思ってたんですが、やっぱり崩壊していきました。本当は、職人さんたちとかおじいさんたちっていうのが僕らの先生で、その人たちと共に生きる方法、一緒に長く生きていく仕組みを作ってかなきゃいけないんですよ。grafも会社っぽいけど会社っぽくなくて、名刺には肩書きを一切書いていないんです。いちおう僕が代表取締役社長やけど、20歳のスタッフであれ40歳のスタッフであれ、名刺には会社名と名前だけ。それがフラットな社会、会社のちょっとした主張です。

 

:服部さんは学生にも気さくで平等なイメージがありますが、人への接し方もそういう考えが関係しているのでしょうか?

 

:そのイメージは嬉しいですね。肩書きを気にしてる人って、世の中に結構いるじゃないですか。肩書きっていうハードルによって誰が得するのか?ってすごく思います。その人の置かれている立場は理解するけど、肩書きの話をされたところで ”あなた” とのコミュニケーションが円滑になるのかっていったらそうじゃない。立場からの言葉が聞きたいわけじゃなくて、むしろ “あなた” からの言葉が聞きたいわけです。立場とかにだまされたくない。

 

:実際にそういう場面を経験されてきたんですか?

 

:まあ20代の時にgrafを立ち上げてから、”アンチ社会”とか言ってたしね。そういうことを偉そうに言っていたのは、実のところ自分も弱い立場にいて、お金もないし、立場として肩書きがあるわけでもなかったからですよね。ただ、自分たちだけで積み上げてきたブランドの力とか、それを信頼するユーザーと仲間がいることが僕らの強みだったと思います。若い時は社会と戦う気分でいた時代もあった。昔の雑誌の記事なんか、カメラをにらみつけたり、すごい偉そうなポーズをしてたりします。ロン毛だったりね(笑)

 

:えー!(笑)

 

:昔のことだよ!時には年齢をごまかしたりもした(笑) 28歳当時に「僕35歳です」って年上の人たちに言ってみたり。20歳そこらでスタートしてたから、なめられたくないという思いがあったんですね。

 

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:今は変わりましたか?

 

:45歳になる寸前から、あらゆる人と話してるうちにだんだん変化していきました。たとえば、よく行くお好み焼き屋のおばちゃんが突然「つむじ見せてみ!」って、つむじで占ってくれたんですけど、「あー、服部くん35歳過ぎたら調子よくなるで。今まで苦労してきたやろけど頑張りや」とかね。そんないろんな話が、ものづくりを通して僕たちがやりたいことの構想づくりの力になってくれるんです。そういう経験が重なっていくうちに、先輩の世代もわるい奴らばかりじゃなくて、同じような意識を持った人たちがいるって気づきだしました。

「人間にはそれぞれの年代の役割がある。昔の武士もそうで、15歳で改名制度があり、そこでこれから生きていく自分の人生を決める。農家から武士になりたいと思ったらまず改名して、15歳から5年間で武士になるための知識を身につける。20歳になったらそこに実践を加える。20〜30歳は経験を積み上げる。30歳から仕事に変わる。30〜40は仕事を通して実践しろ、40〜50は同じ意識を持った人から学び、学ばせろ。50歳から先は教授しろ。」これも昔に言われた話なんですが、今の世も変わってないなって思います。今は15歳の若さで人生を選ぶことはなかなかないけど、社会に出てからの流れはほぼいっしょですよね。この話と同じように、20代、30代、40代でだんだん変わってきました。

 

:40代になった今はどうですか?

 

:30代の前半から「漆や陶芸等の産地を元気にしてほしい」っていう依頼が増えてきて、40代になってからは地域を活性化する仕事とか、社会や産業に直接関わる仕事が多いです。結局grafは、モノを生み出すまでのプロセスもデザインするし、モノ自体もデザインして、アウトプットされたものをどこに届けるかというところまでをもデザインする。これって過去の先輩デザイナー達はやってこなかったことだと思います。僕らの世代ではデザインって最初から最後まで立ち会わないとだめなんですよ。

 

:そのすべての過程のなかで、服部さんはどこが一番得意なんですか?

 

:僕はブランディングディレクターとして雇われるケースと、デザイナーとして雇われるケースがあって、自分では前者の方だと思います。ブランディングディレクターというのは、まずなんとなくビジョンを描いてからリサーチヒアリングを繰り返していくんだけど、「服部さんの思い描く“ここ”に向かっていきたい」って、みんなに思ってもらえるように伝えられることが一番最初に必要な能力。リサーチを進めていくと、欠けているグラフィックやプロダクト等が見えてくる。そうして必要なものをキャスティングしていく。僕は俯瞰すること、ディティールを描くこと、両方とも得意です。でも最近の優秀なデザイナーはディレクションも絶対にできますよ。

 

:でも、デザインを学んでいる私たちとしては、社会的な要素も含めてすべてデザインしようとするのはむずかしいです。3年生の他の領域 * では、情Dの過去の先輩たちが作ってきたものが参考例としてあるのに比べて、コミュニケーションデザインを専門的に学ぶC領域では過去になかったような課題が出るので、まず手本になる参考例を自分で探すところから始めないといけなくて。

領域 * |情報デザイン学科では、3年次から5つの「領域」に分かれて研究・制作に取り組みます

 

C領域

 

:それが大事なんですよ。実際に今の多くのデザイナーにとってもむずかしいことなんだけれど、それを学んで卒業できるのは君たちだけだと思いますよ。結局、いま社会に求められてるのは、問題発見能力が高いかどうかってことだからね。

 

:それは私も実感があります。課題をする時に、たとえモノがよく出来ていても、問題として掲げるテーマがよくなかったらそれまで。問題発見がちゃんとできていたら、モノが多少よくなくても頭に残る節があります。

 

:もちろん最終的にはモノがよくあるべきですよ。でもまず考えのきっかけ自体が問題発見からスタートしているというところが大事で、それをできるヤツが本当に求められてる。

 

:私たちのいま学んでることってたぶんどこでも活かせるんだろうなあとは思うんですけど、だからといって「この仕事!」っていう具体的な目標が見えているわけじゃないから、正直なところ、どこに向かったらいいかわからないという気持ちもあります。プロダクトでもグラフィックでもデザイナーは”考える能力”が優れていればいいはずで、今はその勉強をしているから”形を作る” とか ”仕事をするにあたっての具体的なリサーチ”は次の段階に入ってから学べばいいとは思います。いろんな人からもそう言われ、そうだなとは思うんですが、でもやっぱり、どこに向おうか考えると不安にはなります。

 

:でも君たちは課題を作るのにも、ものすごくリサーチしているから、ほかの人よりたくさん作品を見てるはずですよ。ものを見るっていうのは絶対に必要です。自分のなかに比較対象が生まれるから、そのフィードバックとして、自分がデザインできているかどうかもはっきりするし、その対象物を見て「あれはああだけど私はこう思う」っていうのがはっきりする。出来るモノのクオリティは見るモノで変わるはずです。

 

二人立

ー ここで話題は、小野さんが製作した作品「フィッシュアンドチップス」へ

服部先生の授業課題「周囲◯kmの問題発見とデザインによる解決」において、滋賀県出身の小野さんは、ブラックバスを使ったフィッシュアンドチップスを企画・制作しました。

滋賀県では琵琶湖に繁殖するブラックバスが在来種の魚を食べ減少させていることが問題視されていて、県では ”ブラックバス回収ボックス” を設置するなどの対策を取っています。現在は回収されたブラックバスの多くが焼却処分されているとのこと。

小野さんは、本来は食用としても輸入されたはずのブラックバスを美味しくいただこうと、加工食品としての商品化に乗り出しました。

第一弾は滋賀県のかまぼこ会社さんの協力のもと、ブラックバスを使ったかまぼことさつま揚げを作っていただき、地酒をつけたギフトセットを制作。

第二弾として、フィッシュアンドチップスを制作しました。

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:今回の制作で、モノゴトの流れが幅広い視点で見えました。ブラックバスが流通しない理由とか、今まで商品化できなかった理由など、県や漁業組合の人や他にもいろんな人に話を聞くことで、流通の流れや問題がなんとなくわかったんです。それで思ったのですが、そういった流れって、私たちの力で変えられるものなんでしょうか?

 

:あえて答えを出すのであれば、自分たちの手で変えなかったとしても、「ここに問題点があるよ」っていうことをちゃんと発信していかなきゃだめです。「そうか」って、うなずき合う瞬間に、モノゴトは変わり出すからさ。

 

:でも社会を変えるには小さすぎる一歩ですよね。

 

:もちろん小さな一歩やけど、でもまず問題を発見できてなかったら、回答っていうものに意味がなくなってしまうじゃない? この作品で言うと、単にブラックバスのフィッシュアンドチップス作りました、で終わったら意味がないわけで。この作品が出来るまでの説明がなかったら、これに価値があることも分からない。だから小野さんがフィッシュアンドチップスに取り組んだのはすごい意味があったと思います。プレゼンテーションする時に、流通の問題をはらんでるっていう説明を入れたり、この部分がやっぱり問題だっていうのをもっと強調した方が良かったですね。

 

:制作途中で学生としての限界を感じて、迷いが生じたところもあるんです。

 

:学生だけじゃなくて、あの問題に気づいて取り組んだ人なら、どんな人でも流通の問題にブチ当たったはずですよ。でも今回はプロセスがよかったし、最終的にフィッシュアンドチップスっていう誰もが知ってるフォーマットに落とし込むことで、いい仕組みをデザインできてたんじゃないかなって思いますよ。

 

:ありがとうございます。これからもよろしくお願いします!

 

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記事/小野 七海

写真/常 程(情Dコース 3年生)

 

《服部先生に聞いた!  20歳のときに読んでおきたかった本  3選 》

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「パスワード」 ジャン・ボードリヤール 著(NTT出版 、2003年)

 

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「地球・道具・考」 山口昌伴 著( 住まいの図書館出版局、1997年)

 

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「今和次郎 採集講義」 今和次郎 著( 青幻社、2011年)

 

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相手が誰であれ、変わらない態度で人の心をそっと刺激するように話す服部先生。

その人懐っこさの裏側では、学生の頃に感じた「この社会はおかしい」という問題意識や、

「自分たちがそれを変えていく」という情熱をずっと抱き続けていらっしゃいました。

 

”先生”としてだけではなく、”一足先に社会に挑む先輩”として、

これからも服部先生のご活躍が楽しみです!!!

 

この企画は、約ひと月に1回のペースで更新する予定です。

 

2015年の情Dブログはこれで最後になりますが、

次回インタビューもぜひご期待のうえ、皆様よいお年をお迎えください◎

 

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↓前回のインタビュー記事

【教員紹介】6 ヒロ杉山 先生

過去のインタビュー記事はこちらからご覧いただけます

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スタッフ:森川

 

 

 

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2015年11月1日  インタビュー

【教員紹介】第6弾:ヒロ杉山先生

「情報デザイン学科をもっともっと知ってもらいたい!」

ということではじまった、インタビュー企画の第6弾!!

 

今回は、”広告、グラフィックからアートまで、ジャンルを越えて活躍するビジュアルクリエイター”

ヒロ杉山 先生のご紹介です。

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主な授業:情Dコース3年次「総合演習—グラフィックス—」

主な授業:イラストコース3年次「総合演習—ヴィジュアライズ—」 

 

世界中のアートシーンで活躍するアーティストユニット

Enlightenment(エンライトメント)」を率いるヒロ杉山先生は、

ファインアートの世界において国内外の展覧会で作品を発表する一方、

フリーペーパーやアートブックの出版、広告や雑誌、CDジャケット、

PVやVJといった映像作品の制作などなど、

幅広い分野で非常に高い評価を受けておられます!

 

メディアやジャンルを問わず独創的な作品を創り続けるヒロ先生の

笑いに包まれたインタビューをどうぞご覧ください。

(ヒロ先生の詳細なプロフィールはこちらからご覧いただけます。)

 

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話し手|情報デザイン学科 客員教授 ヒロ 杉山 先生

インタビュアー|イラストレーションコース 3年生 向田 涼輔 くん(写真 左)

          イラストレーションコース 3年生 田伏 澪 さん(写真 右)         

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向田(以下、向):今日はよろしくお願いします。まず、広告業界に入られたきっかけを教えていただけますか?

 

ヒロ杉山(以下、ヒ):実はもともと歯医者になろうと思っていたんです。父が歯医者で、長男の僕が後を継ぐのが当たり前だと思っていたから。僕の通っていた日本大学付属高校は、1年生では理系と文系が一緒のクラスなんです。2年生で僕は理系へ、日大の芸術学部に行くと言ってた友達が文系へ進んだんですが、それでも仲良く遊んでいました。大学受験では、現役で日本大学の芸術学部や他大学の美術系に入学する友達が多かったんですが、僕は受験に失敗して浪人することになって。歯医者になるために予備校に通っていました。

 

田伏(以下、田):えー、そうなんですか!

 

:浪人生だから勉強しなきゃいけないのに、結局はその子達と遊んでいましたけどね(笑)  そのうち彼らが大学で学んでいることがすごく面白そうに見えてきて、浪人2年目の夏休みくらいから、なんか歯医者になるのが嫌になっちゃって、美術系に行きたいなと思っていたんです。だけど親にはなかなかそんなこと言えなくて。予備校を休んで、自由が丘でいつも1人でプラプラ時間を潰してたんです。そしたらたまたま親戚のお姉さんが歩いてきて、何やってんの?って話になって。

 

:怒られそう(笑)

 

:そう、普通は怒られるところなんだけど、お茶でもしましょうって誘ってくれたので、「実はもう医学部じゃなくて美術系の学校にいきたい」と、親には言えなかったことをバーッと話しました。そしたらお姉さんがその日のうちに親に電話してくれて、父が一言「好きなことやれば良いじゃん」と。

 

:おお!

 

:結局、浪人は2年で終えて、その年に4年生の専門学校に入りました。

 

:専門学校の入試の内容はどうでしたか?

 

:入試は簡単なデッサンと、あと論文みたいなものがありました。デッサンは未経験だったけど見よう見まねでしたね。

 

:すごい!

 

:絵を描くのは小さい頃から得意でしたか?

 

:小さい頃はそんなに好きだったわけでもないけど、浪人中に勉強のかたわらで絵を描いていて、そのうちだんだん絵を描く時間の比重が大きくなっていっちゃって。

 

:どんな子供だったんですか?

 

:一人で何かやっているような、すごく静かな子供でした。うちのおばあちゃんが三味線の小唄のお師匠さんで、お弟子さんの家にお稽古をつけに行くんですよ。それについて行って、一時間のお稽古の間、部屋の隅にずっと座っていられるような子でした。

 

:じゃあ先生も三味線を弾かれてたんですか?

 

:全然できません。もうおばあちゃんも死んじゃったし、今となるとやってみたいなという気はするけど。というかこのようかん、二人も食べないと僕が取っちゃうよ?

 

茶筅

:いただきます(笑)

 

:これ何ようかん?

 

:栗ようかんです。あんこがお好きだと聞いていましたが、いかがですか?

 

:美味しいです。栗も大好きです。

 

:では和んだところで、大学で教える以外のお仕事について詳しくお聞きできますか?

 

:もともとはイラストレーターの湯村輝彦さんのところでアルバイトをしていて、そのまま社員になり、7年弱ぐらいそこでお世話になった後、フリーになりました。その時はイラストレーターという肩書きで。デザインの仕事も受けてはいたんですけどね。そんなときにMacが出てきて。

 

:Macが。

 

:そう、マクドナルドの。

 

:ハンバーガーの。

 

:すみません、コンピューターの (笑)   で、 だんだんMacを使ったデザインが面白くなってきて。でも当時は3-400万もしたので、高くて買えなかったんです。

 

:えー!考えられないです!

 

:友達の知り合いの事務所まで行って借りてたんですけど、イラストとデザイン、両方平行して仕事が入ってくるようになってきました。そしたらニューヨークから東京に帰ってきたテイ・トウワ君に「自分のクラブイベントでヒロ君VJやってくれない?」って言われて。その当時は「VJってなんだ?」って感じだったんですが、「かっこいい映像を音楽に合わせて流してくれれば良いから」と言われたので、レンタルビデオ屋さんに行って、ビデオを10-20本借りてきて、かっこいい映画のかっこいいシーンだけをダビングしてつないで。そのときは本当は映像なんか作れなかったんですけどね。Macを買って本格的に映像を始めると、今度はPVの仕事が入ってきて。

 

スネオヘアーの!

 

:うん、スケッチショウのPVとか。デザイン、イラスト、CM、監督、いろんな仕事をやりすぎて、もう自分の職業が何だかわかんなくなってきました(笑)

 

:幅が広いですね。

 

:Macが出てきてからの人たちってみんなそうだと思うんですけど、昔は映像制作に必要な機材が1000万くらいかかったところが、今はMacがあれば映像も作れちゃうし、デザインもできるし、それこそ絵も作れちゃう。個人で出来ることの範囲が広がってきましたよね。

 

:では今後のお仕事の予定なども教えていただけますか?

 

E-Girls* っていうグループのアートディレクションを2年くらいずっとやっているので、そちらの仕事が多いです。ほかには三代目J soul Brothersさんのツアー用映像を作ったり、EXILEさんのメンバーが珈琲屋さんを出すのでロゴマークを作ったりとか。音楽関係の仕事が多いです。

 

:先生は有名人のポートレイトの作品** も多く作られていますが、実際に会われるんですか?

 

CD+DVD_12003-1024x1024* E-Girls          Radio-Head** PORTRAIT Radio-Head

 

:本人に会わずにデータだけもらって「作ってください」というのもあるけど、基本的には自分で写真を撮ってから制作します。

 

:写真を撮るだけではなくインタビューみたいにお話もされるんですか?

 

:そういうときもあります。前に『超能力者のポートレイト』っていうシリーズをやっていたときがあって、そのときは「なんでその人が能力に目覚めたか」「子供の頃どういう生活をしていたか」について1時間ほど暗いインタビューをした後に写真を撮って、作品にしましたね。

 

:なるほど、それが作品に関わってくるんですね。

 

:いや、そこまで関係ないんですけど(笑) まあでもその人に興味を持つということが大事なんで。他にはかたい仕事もありますよ。

 

:かたい仕事というと?

 

:住友林業っていう会社のプロモーション映像*** を作ったり。仕事全体では映像が4割、グラフィックが6割くらいかな。

 

*** ↓クリックすると、リンク先で動画がご覧頂けます

スクリーンショット 2015-10-28 12.16.54

:そのかたわらで展覧会なども企画されていますよね。

 

: アーティストによる手作りZINEの展覧会ZINE展は、今度は来年の6月に香港でも開催します。一般公募もあるからみんな出してくださいね。

 

:そのZINE展では企画だけでなく審査員もされていますが、去年もこの学科から何人か出展していましたよね?

 

:うん、でもちゃんと公平に審査をしてますよ(笑)

 

:疑ってないです(笑)

 

:でも中に1万円札はさんでおいてくれれば・・・

 

:や、闇が・・・(笑)

 

一同:(笑)

 

:聞けば聞くほど幅広くお仕事をされていますが、アイデアはいつもどのように出されてるんですか?

 

:常に10-15個くらいの仕事を平行して考えてなきゃいけないので、頭の中にはいつも10個くらいアイデアが浮遊している状態です。良いアイデアは寝る時やリラックスしている時に出て来やすいです。寝る直前に考えついちゃうと興奮しちゃってもう寝てられないから、そこから起きなきゃいけないんです。

 

:でもそうなるとせっかくの休日も仕事でつぶれちゃいませんか?

 

:実際に作業しなくとも常に頭の中に10個いるわけですよ。で、やっぱり考えちゃう。うちの奥さんによく言われるのが、「家にいるのにいないみたいだ」って。

 

:淋しい。

 

:奥さんとはデートされますか?

 

:常にします。

 

:常に!(笑)  ほかに何か趣味はありますか?

 

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:映画はよく観に行きますが、趣味というのはないんです。仕事が楽しすぎて。できれば仕事をしていたいから、趣味の時間を作るのがもったいないんです。

 

:好きなことが仕事でできるってすばらしいですね。

 

:クライアントに依頼された絵ではない場合もありますが、休みの日も基本的に絵を描いてますね。

 

:「絵を描く」ということについてですが、私たちイラストコース3年生の授業では、ぼんやりとしたテーマだけを与えてあとは自由に絵を描かせる感じでしたね?

 

:僕の持論では、イラストレーターになるにはやっぱり絵を描くしかない。とにかく量をたくさん描くこと。描き続けていると、僕が“毒素”と言っている、なにか余分なものが流れ出ていくんですよ。

 

:確かにすっきりしていく感じはありました。

 

:そうしていくと、ホントに自分の中で大事なものだけが残っていく。それが自分のスタイルになっていくんですよ。でも今回の授業でもやっぱり最初の方はみんなあまり描けなかったですね。

 

:そうなんです。確か最初の授業のテーマが『ザボルグと私』でしたよね。ザボルグなんて言葉はないんですよね(笑)

 

:何だよこれ・・・って感じだよね(笑)

 

:あのテーマは何だったんですか?(笑)

 

:即興です!みんなからすると「○○を描きなさい」って出された方が簡単なんだろうけど、今回の課題では意味のない音でイマジネーションすることが大事でした。やっぱり絵に限らず、クリエイターに一番大事なのはイマジネーションで、どれだけ他の人と違うことを考えられるか、妄想を働かせることができるか。ザボルグっていう意味のない単語を聞いて、どこまでイメージと妄想を創れるか。イメージができたら次は物質化できるか。別に立体でも平面でも良いんだけど、今の僕の授業ではそれを絵にする。この「脳で考えたことを、絵にする」という単純な二つのステップがクリエイティブの基本です。それができれば映像も作れるだろうし、何でもできる。

 

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:あの、小さい質問なんですけど…。

 

:わ、小さいね!

 

:まだ何も言ってないです(笑)

 

:すみません、聞く前に言っちゃった(笑)

 

:どうして男子は女子より描く絵の枚数が多かったんですか?

 

:体力が違うから。というよりは男子の方が言いやすいから(笑)

 

:それだけですか?1.5倍くらいありましたよ!(笑)  でもこの授業のおかげでたくさん作品を作ることができて、ほんとに楽しかったです。絵の具を使うという縛りだったのでテクニックも広がりました。

 

:授業の前と後で、学生への印象は変わりましたか?

 

:ガラッと変わりました。最初は久々に大量に描くことへの戸惑いもあるし、なにより上手く描こうとするんです。こんな感じで描けば認められるんじゃないか、というものをみんな描いてくるんですけど、「僕の授業ではそういうのはあまり関係ない。下手でも良いから頭の中のイメージを絵にすることが重要だ」と言いました。その趣旨を理解するとみんなあまり構えずに描けるようになる。絵自体もどんどん面白くなっていきましたね。リラックスしている時、人の目を気にしていない時に描く絵が、僕は一番良いと思っています。でも学校で描くと人がたくさんいて先生もいて、「評価される場所」っていう想いにとらわれがちですよね。それで良い絵なんて描けるわけがないんです。今回はみんなが時間をかけて徐々にリラックスして、最後はホントに自由に描いてましたね。僕もなに見ても「これ良いね」って言ってたし(笑)

 

:その評価は気になっていたんですよ。あれは本当だったんですか?(笑)

 

:だって描いた時点でもうOKだから(笑)  だから描かない人に対しては「どうして描かないの?」って厳しいことを言うけど、1枚でも2枚でも多く描いた人は、それだけ前へ進んだってことだから。100枚描いたら100歩前に進んでるんです。

 

:じゃあ女子よりは男子の方が進んでいるということに(笑)  先生の場合はビックネームの方達とお仕事をされているじゃないですか。規制がきびしそうなイメージがありますけど・・・。

 

:ああ、きびしいですね。

 

:そういうクライアントとどうやってお仕事をされてるんですか?

 

:むずかしいです。自分の精神力が強くないとそっちにのまれちゃう。

 

:自分の意見を言って却下されることも?

 

:多々あります。却下というか、1個のラフを求められた仕事に対して5個くらい案を出して、その中で自分が一番気に入っているラフが選ばれない確率というのが結構ありますね。「これが一番いいのにな」とも思うけど、やっぱりクライアントが一番のものを選ぶのがベストだから。そこで無理に「これが一番いいですよ」と戦いはしないです。ただ自分の作品の場合には誰にも文句は言わせないし、自分が納得するまでそれを作る。

 

学生

:なるほど。先生は情Dコースとイラストコースの両方で教えられているんですよね。

 

:それぞれのコースで、最終的に学生にはどうなってほしいですか?

 

:イラストコースの場合は、身構えずに自由に絵を描いてもらいたい。そのためにも授業で目いっぱい毒素を出して、次のステップに進んで欲しいです。情Dコースの場合は、長い時間をかけて計画的に一つの課題を作るという授業をしているので、作品をフィニッシュまで持っていくプロセスを大切にしてもらいたいです。そのためにすごい量の話し合いをしてアイデアをたくさん出して、ラフもいくつか作って、最終的にはそのうちの一つだけを仕上げにもっていく。一夜漬けで作るんじゃなくて、話し合いを大切にして、最終的には自分の言いたいことが伝えられるような作品が作れるようになればいいな、と思います。

 

:情Dコースは実際のデザインの現場みたいで、イラストコースはイラストをどう生み出すかの授業ですね。

 

:先生はこの大学以外でも教えているんですか?

 

:以前は東京の学校とか3つくらい掛け持ちしていたんだけど、今はここ以外は全部断ってます。

 

:情Dだけを続けている理由が何かあるんですか?

 

:学生の雰囲気とかいろいろあるんですけど、まず京都っていう場所が自分には合ってるみたいで。京都で新幹線を降りると、なんかテンションあがっちゃうんですよ。

 

:え、毎回テンションあがっているんですか(笑)

 

:うん毎回。磁場の問題かな(笑) もう1つテンションがあがる場所がNYなんです。

 

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:京都とニューヨークが同じ磁場!にわかには信じられませんが(笑)ヒロ先生は学校や学生に対してはどのようなスタンスを取られているんですか?

 

:僕は基本的に自分のことを教員とは思っていないです。だから学生と自分は同じクリエイターとして見ている。ただやっぱり学生とは経験が違うので、僕の経験してきたもので何か伝えられることがあれば伝えてあげたいなって。だから学校の中で「先生」って呼ばれるのが嫌で、名前のほうがホントは良い(笑)

 

:それで授業では一対一で会話するような形態をとられていたんですね。

 

:そうだね。あと、大人数に喋るのが苦手なのもあります。考え方の違いは人数と同じだけあるから、全体にざっくり話しちゃうと当てはまる意見と当てはまらない意見が出てきますよね。だから僕は一人一人と話した方がやりやすい。つかれますけどね(笑)

 

:そうですよね、時間もかかるし、その人をしっかりと見てないといけないし。先生の座右の銘はなんですか?

 

:え、むしろ、ある?(笑)

 

:僕はまだそんなに生きてないですから(笑)

 

:でもなんかあるでしょ?

 

:ただもう「なるようになる」ですかね。仕方ないこととかに自然に身を任せている感じで。

 

:僕もそういうところはありますよ。流れに流されるのが好きだから。あんまり逆らわないようにしてます。田伏さんは?

 

:何ですかね・・・「ちゃんと食べる」。

 

一同:(笑)

 

:ふたりとも将来は何になりたいんですか?

 

:僕はデザインとか映像とか幅広く作っていきたいです。

 

:今回のお話を聞いていたら何でもできるんじゃないかなと思いました。

 

:なんでもできますよ。今の時代では職業のカテゴリー分けがなくなっちゃったから、クリエイターっていう大きなカテゴリーにいてMacが使えれば。要はセンスとオリジナリティがあれば、なんでもできちゃう。

 

:センスってどうやったら伸びますかね。作品をたくさん見ること、ですか?

 

:量も大切だけど、やっぱり今はネット上で流れている膨大な情報を共有してるので、みんなが同じ情報をみている可能性があるわけです。そうじゃなくて「情報を掘り下げる」ことが大切だと思います。例えばある映画監督の有名な作品を1つ知っているのではなくて、過去の作品も全部見る。他の人が知らない所までたどり着くことですね。

 

:先生は流行に逆らうようにしているんですか?

 

:それは逆らっちゃだめですよ!我々の職業は流行を横目で見つつ、並走しているくらいが良いんですよ。世の中で流行っているものに影響されそうでされない距離感を保ちつつ、自分のオリジナリティを貫いていくのが大事です。でもその横目で見ている音楽ジャンルについての仕事が来たときは、死ぬほど聴かないといけないです。

 

:いつもは何を聴いているんですか?

 

:音楽がすごく好きなのでいろいろ聴きますね。毎晩iTunesで大体1-200曲くらい検索して、2曲づつ買ってます。

 

:では最後に、誰のPVが作りたいですか?

 

:・・・マドンナ、かな。

 

一同:(笑)

 

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《ヒロ先生に聞いた!  20歳のときに読んでおきたかった本  3選 》

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「風の歌を聴け」 村上春樹 著(講談社 、1979年)

 

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「1973年のピンボール」 村上春樹 著( 講談社、1980年)

 

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「羊をめぐる冒険」 村上春樹 著( 講談社、1982年)

 

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時代の最前線で常に新しいことに挑み続けているヒロ先生のお話には

作ることへの素直な喜びがあふれていました。

柔らかい雰囲気で丁寧に紡がれる言葉に、学生たちは『トップクリエイターのヒロ杉山』としてだけでなく、

『一人の作り手』として、尊敬の気持ちを新たにしたようです。

 

この企画は、約ひと月に1回のペースで更新する予定です。

次回もぜひご期待ください。

 

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↓前回のインタビュー記事

【教員紹介】5 かわこうせい 先生

過去のインタビュー記事はこちらからご覧いただけます

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スタッフ:森川

 

 

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