アートプロデュースコース

先生インタビュー 山内先生

 

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日頃は”庭師”をされている山内朋樹先生。ASP学科では、庭師ならではのフィールドワークの授業を実践いただき、学生達も楽しんで京都の特質について学んでいます。

今回は、その様子も兼ねて、フィー ルドワークについて解説いただきました。

 

こんにちは。「フィールドワークI」を担当している山内朋樹です。僕は「草木の使」(そうもくのつかい)という作庭グループの代表をしている庭師なのですが、西洋や日本の庭の研究もしています。どちらが本業かよく分からないかもしれませんが、ともかく庭に関することをやっている人間です。

さて、「フィールドワークI」では、京都でしか体験できないフィールドを対象に、三人の専門家がみなさんのガイドをすることになっています。それぞれの専門家は各々の観点から、京都の伝統やそこから生まれた作品などを紹介し、解説し、みなさんを連れまわるわけですが、僕はそのなかで庭のフィールドワークを担当しています。

京都の庭というとどんな庭を想像しますか? やっぱり格式高くて厳粛な雰囲気でしょうか? それとも桜や紅葉とともに観光のなかで消費される背景のようなものでしょうか? たしかにそれらも京都の庭のあり方のひとつですが、それだけのものではありません。

 

 

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無鄰菴:ひょうたん池。樹林の向こうに借景の東山を臨む

 

この写真の無鄰菴などは広々としており、静かに見るだけの庭とは違ってなかをうろうろできますし、時期によっては人もまばらです。また次の写真の平安神宮神苑も厳粛な雰囲気はなく、伸びやかな場所です。

これらは同じ七代目小川治兵衞という庭師が明治期につくりあげた庭で、それまでの日本庭園の伝統を引き継ぎつつも、西洋の公園のような、明るい見とおしのきく空間が目指されています。庭はお寺の縁側に座り、黙って大真面目に見るだけのものではありません。歴史的に見れば、庭は歩きまわったり、宴会をしたり、飲み食いをしたり、休んだりする空間でもあったのです。

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平安神宮神苑臥龍橋

 

フィールドワークでは、庭を目の前にして他愛もない思いつきを話合ったり、遊んだり、休憩してお茶を飲んだりするなかで興味をもったり、面白い発見をすることがあります。なので庭という空間を体験し、その場所になじんで、ゆっくりしてみることも重要な要素です。そこからなにか重大な考察を展開させるというのは、もちろんできれば素晴らしいことですが、まずは庭に足を踏み入れて、思い思いに楽しんでもらいたい。庭はそういうものでなければと思います。とはいえ、学生はこういうことはわざわざ説明するまでもなく、いとも簡単にやってのけるし、ときとしてやり過ぎるわけですけれど。

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平安神宮神苑、蒼龍池周辺:庭になじみ過ぎて調子に乗るの図

(*庭へのなじみ方には個人差がありますのでご注意ください)

 

もちろん庭とはこうした体験にとどまるものではありません。たとえば平安神宮神苑には琵琶湖で生息数が激減した魚類が生息していますが、これは琵琶湖疏水が琵琶湖の水をこの東山地区一帯に引き入れているからです。さらにこの疏水をたどってみれば、この辺りの庭の多くがこの流れを取り入れて、滝や川や池をつくっていることが分かりますし(無鄰菴もそのひとつ)、京都の産業や発電事業の歴史さえものぞき見ることができます。

ここからわかるのは、庭とはたんに庭の敷地に閉ざされた空間なのではなく、周辺の自然環境や土地の歴史、人間がつくりだしてきた伝統など、庭よりももっと大きな広がりへと開かれているものだということです。このフィールドワークでは、こうした京都の自然史、文化史的背景にも注目しながら庭を見ていくことになります。

 

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琵琶湖疏水インクライン跡:インクライン跡をひたすら歩いて帰る。おい!大学に帰るまでがフィールドワークだ!メモをとるんだ!!

 

 

僕は偶然京都で庭と出会い、まんまと庭師になってしまいましたが、大学の美術科に進学し、京都に出てきたときには自分が庭師になるとは思ってもみませんでした。でも京都に出てくると、本人が気づくかどうかは別として、庭をはじめとした伝統との接点は思いのほか多いのです。

このフィールドワークはこうした出会いを、フィールドワークという形式をとおしておこなうものです。もちろん自分の経験からしても、教員が演出し、ときとして押しつける出会いは、学生からすれば興味のもてない、つまらないものになってしまい、結果として「出会い損ね」になってしまうことが多くあります。僕自身、自分が進んだ美術科での絵画制作は放りだして遊んでばかりいたのですから。それでもそうした出会い損ねは(もちろん出会いもですが)、それを経験した人に、遠いところから、知らないうちに影響をあたえてしまいます。

 

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平安神宮神苑臥龍橋:講義なのか修学旅行なのか分からなくなってきた。

(*写真は「フィールドワークI」のイメージです。実際の講義とは異なる場合がございます)

 

だからこそ、このフィールドワークでは庭との出会いがたとえ出会い損ねであっても、それがよりよい出会い損ねになるように、知恵を絞ってみたいと思っています。そして大学で数々の出会い損ねを経験して去っていくみなさんが、遠い将来、思わぬ形で庭と出会ったりするとすれば、それは本当に嬉しいことです。それでは、みなさんと京都の庭を散策して回れる日が来ることを楽しみにしています!

僕のように気がついたら庭師になっていることのないように、そのときはくれぐれも気をつけてフィールドワークに臨んでくださいね☆

 

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無鄰菴:樹林内からひょうたん池を振り返る

 
 

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