- 2013年12月17日
- 日常風景
思いっきり外遊びができる子どもの居場所づくり | 「地域福祉論」授業から
初めまして、こども芸術学科で児童厚生員資格課程「地域福祉論」を担当する非常勤講師の加藤和子と申します。
わたしは普段、福祉施設と社会をつなぐ恊働コーディネイターとして働いており、日々痛感するのは、「福祉における課題解決のためには、地域のあらゆる方々とつながることがいかに大切か」ということです。
そもそも福祉の課題は、全てのひと、まち全体の課題なのですよね。
福祉制度がすすむ一方で、そうした意識が希薄にもなっているいま、市民の気づきを促すために、「こども芸術」を学ぶ学生は重要な役割を担っていると思います。
なぜなら、その気づきのきっかけに、芸術分野の知恵と力がとっても役に立つから。
楽しいこと、きれいなものを、一緒に見たり、感じたり、何かを一緒に作ることで、思わぬつながりに発展したことも多いです。
授業では、学生一人ひとりが持つ個性や能力が、さまざまな実践の場がつながり活かされることを願い、児童館はじめ福祉現場の生の声と「今」を、たっぷり盛り込んだ内容にしています。
たとえば、児童館の現場では、遊びが欠かせません。しかしながら、京都市内では施設の立地や設備事情から、子どもたちが存分に遊べる環境が整っている館が少ないのが現状です。
そこで、先日、実地研修として、乳幼児から18歳までのこどもたちが思いっきり外で遊べる場を提供している「隅田農園」(亀岡市)へ、見学に行ってまいりました。
はじめに、隅田恵子さんに、広い敷地を案内してもらいました。
まずは、隅田農園の本業である果樹苗ファーム。
こちらはサポート付き有機無農薬貸し農園。
農作業は初めてという方でも安心して、畑づくりを楽しんでいます。
2年前から始められたブルーベリー畑では、夏の収穫時に、付近の障害者事業所の利用者や学校関係などが収穫体験などをされています。
写真は2012年の夏のようす
農園の真ん中には 地域のひとも通行できる昔からの農道が通っています。
朝夕のラッシュ時はなかなかの往来だそう(笑)。
こんなふうに、地域のさまざまな人のニーズの集合体になっているところがミソですね。
「ちびそと」エリアでは、自主保育をしている「森のようちえん」のみなさんにお話を伺いました。
現在10組の家族がこどもとともに過ごします。
ここでの活動は保育というより「生活」に近いでしょうか。
畑を作ったり、果樹の収穫をお手伝いしたり。
こどもにかかれば、みんな遊びにつながっていくと言います。
たとえば、冬の時期は、家からサツマイモを持ってきて、焚き火で焼いて「お昼ご飯」。これらは大人が教えるのではなく、こどもたちが自ら工夫して覚えていくそうです。
この日はキウイの収穫を手伝いました。
遊びもダイナミック。みんなどろんこになって走ったり、ころんだり。
「地面なので大きな怪我にはならないんです」と、隅田恵子さん。
敷地のどこかで秘密基地が着々と建設されているそうです。
遊び道具ももちろん手作りです
夕方からは入れ替わりで「おおきなこどもたち」がやってきます。
週に4回開園されている冒険遊び場そとベンチャー事業と呼ばれるもので、プレイリーダーが見守るなか、子どもたちや地域の方たちが遊んだりして過ごします。
特筆したいのは、このプレーパークで以前リーダーをしていた青年が大道芸のチームを持っており、練習をしていたところ、それを見た地域の子どもたちが興味を持ち、たくさんの地域の子どもたちが弟子入りするようになり、現在でも大人顔負けのファイヤーワークが看板芸で、地域のお祭りに出演して、人気を博しているそうです。ちょっとしたまちのスターですね。
2011年4月の東日本大震災チャリティーイベントでのステージ
「京都市内でもそうだと思いますが、ここ亀岡にも、こどもの居場所がないんです。外遊びが出来て、ただ居られる場所が...なので、本当は毎日開きたいのですが、管理費と人件費が課題です」と隅田恵子さん。
事業を継続させるには、現在のようなボランティアや自己資金だけでは厳しく、まちをあげての支援が急務です。行政側も少しずつ関心を示しているとのことで、何とか公的な事業として認めてもらえるようになればと願います。
広大な敷地と自然に恵まれた環境と比べると、まちなかの児童館は制限づくし。
でも、工夫次第で何か出来るんじゃないかな?
また、ティーンエイジャーの居場所がないことについて、彼ら彼女らのために何が出来るだろうか、どんなことだったら続くだろうか、など、話しながら、テクテク帰途につきました。
隅田農園のみなさま、森のようちえんのみなさま、ありがとうございました。
これからも、いろいろな現場に足を運ぶことで、理解を深めていきたいと思います。
(加藤和子:非常勤講師/児童厚生員一級指導員資格課程「地域福祉論」担当)