情報デザイン学科

インタビュー

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2016年2月25日  インタビュー

【教員紹介】第9弾:岡村先生

「情報デザイン学科をもっともっと知ってもらいたい!」ということではじまった、

インタビュー企画の第9弾!!

 

今回は、“絵から映像・アニメーションまで、分野をこえた視覚表現の達人” 

岡村寛生(おかむらひろき)先生のご紹介です。

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主な授業:イラストコース2年次「思考・発想・表現力基礎」 主な授業:      

     イラストコース3年次「総合演習 -ナラティブ-」

 

イラストレーションコースと映像メディアコース(※1)を担当する岡村先生は、

1年生の基礎的授業から4年生の卒制指導まですべての学年を受け持ち、

ユニークな授業内容で評判の先生です。

同じ情Dの川合匠先生とのアートユニットカワイオカムラ」の一員としてもご活躍で、

そのコマ撮りとCGを合わせた精巧なアニメーション作品は

国内外の展覧会や映像フェスティバルでも高い評価を受けています。

 

しかも!今週末から始まる卒業展では、学科のディレクターとして

たくましい腕で情D生全体をまとめ上げてくださっています!

まるで頼れるパパのような岡村先生

卒業展を間近に控えた4年生2人がインタビューを決行しました。

 

作品制作の肝からなんとお笑いまで、“つくる・描く”ことについて、

4年生との対談ならではのリアルで熱いお話が展開されました。

(岡村先生の詳細なプロフィールはこちらからご覧いただけます。)

 

京都造形芸術大学 卒業展/大学院 修了展    

日程:2/27(土) – 3/6(日)  時間:10:00~18:00  

場所:京都造形芸術大学 瓜生山キャンパス  

http://www.kuad-sotsuten2015.com/    

 

3/5-6 同時開催!オープンキャンパス     

http://www.kyoto-art.ac.jp/opencampus/sotsuten/

 

※ 情報デザイン学科は、2013年度入学生から

※ 「情報デザインコース」「イラストレーションコース」の2コース編成になっています。

※ 現4年生「コミュニケーションデザインコース」「映像メディアコース」

※ 「先端表現デザインコース」のカリキュラムは「情報デザインコース」として統合されています。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

話し手|情報デザイン学科 准教授 岡村 寛生 先生

インタビュアー|映像メディアコース 4年生 杉本 龍哉 くん(写真 右)          

        映像メディアコース 4年生 中西 綾 さん(写真 中央)       _MG_5963

中西(以下、中):まず「カワイオカムラ」結成のきっかけを聞かせてください。

 

岡村(以下、岡):みんなにはカワイオカムラの話をほとんどしてなかったですね。もともと僕と相方の川合さんは京都市立芸大の同級生で、いっしょにバンドを組んでたんです。川合さんは彫刻専攻でラグビー部でドラムス担当、僕は油画専攻でテニス部でギター担当。僕がこんな体格やからか、周囲からはよく逆に見られてました(笑)最初はずっとそれぞれ個人で制作してたんやけど、大学院の時に「バンドをするような感じで作品をつくったら可能性が広がるんちゃうかなあ」って話になって。当時僕はでっかいライトボックスに絵を描いた、舞台装置や巨大看板みたいな作品をつくっていて、川合先生は樹脂や鉄でつくった大きな立体文字に照明を当てたり、と、やはり舞台装置的な作品をつくっていた。そうした路線が似ていたということもあって、大学院の時に共同制作を始めたんです。それがきっかけでもう結成20周年を超えました。正直こんなに続くとは思ってなかった(笑)

 

:もともとの専門は絵画と彫刻ということですが、今は映像ですよね。どういう風に役割分担されてるんですか?

 

:当初は「何つくろう?」みたいなことから話し始めて、それぞれが作った彫刻的なものと絵画的なものを組み合わせてました。同じような過程でいくつか制作しているうちに、「次の制作はどんなルールでつくるか」という、“つくったものを組み合わせていくプロセス” が面白くなってきて。それが映像作品を制作する時の技術的なプロセスとリンクしたんです。ただ二人とも映像に関する技術や技法については専門的な教育を受けたわけではないので、ずっと試行錯誤の連続でした。なので今でもあまり役割分担はなくて、たとえばあるカットは撮影を始めた方が最後まで担当する、別のシーンでは手をつけた方がやりきる、というような感じで、スパッと分かれてはいないですね。テニスのダブルスで前衛と後衛が入れ替わるみたいな感じ。そうはいっても、アニメートや立体造形的なことは川合さんが中心になったり、そのイメージを起こすストーリーボードを僕が描いたりなど、担当する作業に傾向はあります。

 

:初めて作品を見た時、人形の顔が川合先生に似てたので、完全に川合先生がつくってるのかなって思ってました。

 

:それは初めての指摘やわ(笑)キャラクターには元になるモデルが実在してるんです。それを僕が絵で起こして、川合さんが造形して、その着色を僕がまたやって、と、互いの手が入ってます。

  _MG_6082_2

:二人で作業する時に意見がぶつかったり、困ることはありますか?

 

:ぶつかることは結構あります(笑)でも、ともに「とりあえず相手が言ったことを試してみよう」というタチやから、実際に試してみて決めることがほとんど。だから二人だけでやってるわりに、途中で意見が合わなくなって中断するということはほとんどない。むしろ、いかに中断させずに続けられるか、どこで納得できるか、並走しながらせめぎ合っている感じです。

 

杉本(以下、杉):そういう関係性って、研究室の個人ブースの位置にも関係あるんですか?岡村先生、李先生、川合先生ってならんでるじゃないですか。間にクッションをはさむような感じで。

 

:位置は関係ないですよ(笑)前任の方が退職されて空いた場所に新しい先生が入るという習わしで、たまたま今の場所になっただけ。でもそう言われてみれば、カワイオカムラの間にはさまれた李先生は気持ちわるかったかもなぁ・・・

 

一同:笑

 

遊び_派手系

 

:今から考えるとですが、確かにブースがとなり合わせだったら何かとやりづらかったかもしれない。“カワイオカムラとして” と “学科教員として” との兼ね合いがね。二人そろって情Dの教員になると決まった時は、授業の合間に制作の話ができるかもとか、あわよくば授業を終えた後に制作できるかもとか、淡い期待があったけど、結局大学内で自分達の制作の話はしないです。コンセプトやアイデアをつくる打ち合わせは学校以外のところで、その場所のムードを借りて頭を切り替えてます。

 

:なんだか微妙な関係性なんですね。岡村先生は造形大の前にも他の学校で教えてたんですか?

 

:うん、大学院を出てからずっと何かしら先生をやってました。コンピュータの専門学校とか、京都市立芸大とか。

 

:市芸出身の副手さんが、情デに着任した時「カワイオカムラを作家としてしか知らなかったから、情デにおられてびっくり。完全に“先生”って顔をしてはって」って言ってましたよ。

 

ポートレート(mono)

 

:今は教育ユニットとしてもバリバリ活動してるから(笑)人生で最初に担当した授業は、コンピュータの専門学校で、200人くらいの学生を相手に、ビジュアルコミュニケーションをテーマにした授業でした。今でこそコンピュータとデザインって、全く違和感なくつながるけれど、20年くらい前はコンピューターが「マルチメディア」と言われていた頃で、コンピュータの専門学校に通う学生が視覚デザインや美術を学ぶことにまだ違和感があった時代でした。でもこれからはプログラマーやシステムエンジニアを目指す学生も視覚表現の素養が必要だということで、まずはデザインの基本や面白さを教えて、コンピューター言語以外の特技も持ってもらおう、というような目的の授業でした。

 自分達の制作においても、“ポップであること” は中心に据えていたんですが、ファインアートというフィールドで発表していたこともあって、やっぱりどこかで、わかる人にしかわからないことを良しとしていたところがあった。それが授業を通して学生と関わり合う中で、からまったものをいかにひも解き、上手く伝えられるかということの面白さについて、少しずつ考えを深めていきました。今思うと、人に教えることが制作につながっている部分があったんやなと。表現としてやっていることと、教員としてやっていることにつながりがあったから、どちらも続けて来れたんだと思います。

 

:”教えること”から”発表すること”にフィードバックがあるんですね。では逆に、アート作品を発表している経験をデザイン教育に反映させているのはどんなところですか?

 

:ものをつくる時のプロセスで自分が工夫し学んできたことを、一方では方法論的に、もう一方では感覚的に伝えられることです。たとえば一枚の絵を描く中でもいろんな工夫があるでしょう? モチーフ選びから、いかに描き進めるか、どう偶然を取り入れるか、どこに着地させるか、とか。そういったプロセスの視点や、表現技法、画材やグラフィックソフト等、方法全般について伝えたいこともあるし、これまでの経験から得た感覚的なアドバイスもしたいと思っています。作品発表の経験談よりも、ものをつくる・描くプロセス、その素晴らしさをいかに伝えられるかを意識しています。

 

:合評の時に、それぞれの先生がコメントされるじゃないですか。その時、岡村先生と川合先生は “お笑い” みたいなものが主軸にありますよね? さっき言ってらした “ポップさ” だったり。さっき、やりとりのプロセスに重きを置いているって言われたじゃないですか。僕、サッカーをしてたんですけど、先生達の作品の『ヘコヒョン』や『コロンボス』を見てると、サッカーの試合を見ている感じがするんです。

 

コロンブス

:それはどういうこと?

 

:たとえば、サッカースタジアムの一番上のヒマラヤ席から試合を見たら、ピントは合わせられるけどズームはできない。だけどテレビで見ていたら凄くズームされたりする。そういうのって、僕は「義務的にやらされてる」「見させられてる」っていう風に感じる。お笑いもそういう、ある種「見方を誘導する」っていう要素があると思うんです。で、『コロンボス』だったら急にズームになっちゃったり、『ヘコヒョン』だったら視聴者としてニュースを見てるはずなのに、気がつくとその元になったニュースをキャスターの人と同じ目線で見ていて、結局そのニュースの内容には触れずに、3分っていう始まりと終わりはしっかり決まってて、そこで起きる偶然性なんかも回収されないまま終わっちゃうっていう。それが「見ようとして待ったのに通り過ぎさせられた」みたいな、お笑いの要素でもあると感じて。思い返してみれば、先生達のコメントはそういうところを意識してるんだなっていう部分が多かったなぁと。

 

:“お笑い” は大事やし、そもそもすごく深いテーマ。“お笑い” を感じることは、人間の感覚としてある意味一番高度な構造なんちゃうかと思います。最近のニュースで「2045年には人工知能が人間を支配してるいうのがあるけど、このあいだ川合さんとも、人工知能の最後のハードルになるのは“お笑い”の感覚なんじゃないかって話をしました。”お笑い“ って「ワハハ」と笑うだけじゃなくて、ちょっとズラせば恐怖にも感動にもなる。その辺は実際に扱ってみないとわからないから、常に試運転みたいなところもあって、みんなの作品を見る時もついついそういうところが気になります。一年くらい前に上映された「フォックスキャッチャー」という映画は、実在する大金持ちのデュポン財団というところの御曹司が、アマチュアレスリングの選手を射殺した怖い殺人事件を映画化したもので、映画全体のトーンもずっと緊張感があって物悲しいんですけど、構造としては完全にコメディーで。そういう感覚ってすごくよくわかる。僕も、面白いなぁと思うものを探っていくと、どこかで “お笑い” の構造がある。映画とか映像作品だけじゃなくて、イラストやデザインにしてもそういうところを見てしまうんです。

 

フォックスキャッチャー

:“お笑い”でもぜんぜん面白くないやつ、たまにあるじゃないですか。でもそのお笑い芸人のファンは絶対いて。先生達は自分がつくってるものをわかる人がわかればいいって信じてやってるんですか?それとも、もっと大衆に開いてる感じなんですか?僕としては、少し大衆に合わせるために、映像のデザイン性だったり、単純に装置とかフィギアの完成度だったりで、わかりやすさの部分を回収してらっしゃるのかなあって思います。さっき副手さんとも話してたんですが、カワイオカムラのコンセプトの部分に「ものを見せられている人間への風刺」とか「笑わせているフリをして情報やモノの見方を操作しているメディアへの皮肉」みたいなコンセプトはあったんですか?

 

:当初はそういうコンセプトは全くなかったけど、どこかで意識はしてたと思います。つくっている僕達はわりとシンプルに面白いものを探してつくってるだけなんやけど、でもその「僕らが何を面白がるか」っていうところに時代性が現れたり、そもそも “笑い” のなかにはブラックな要素が絶対にあるから、その辺は自ずと表れるのかなと思います。

 

:『ヘコヒョン』っていつ作られたんでしたっけ?

 

:『ヘコヒョン7』?

 

:『ヘコヒョン』ってシリーズなんですか?

 

:『ヘコヒョン7』と『ヘコヒョン・ナイン』があるから。

 

:へぇーーー!

  遊び組

:『ヘコヒョン7』は2000年ぐらいにつくり始めて、何度も再編集を重ねてるから、いくつかバージョンがあるんです。最終的に完成したのは2004年かな。コンペで賞をいただいて、ようやく再編集を止めれた(笑)

 

:再編集の過程で、なにか腑に落ちないことがあったんですか?

 

:いや単純にゴールを決めずにやっていたから、なんかこう・・・終わらへんかった(笑)クライアントワークじゃなかったしね。『ヘコヒョン7』はデジタルカメラで撮影しているんですが、それまではHi8っていうSONYの規格のビデオでつくってた。Hi8は編集を重ねるとダビングの回数が増えて画質がどんどん荒れるから、それを目安に、もうここでおしまい(これ以上のノイズは視聴に耐えられない)!って、できたけど、デジタル編集には際限がないねん。納得するまでやっていると、気がつけば3,4年経ってる、ってことになりかねない。というか現実にそうなってしまった(笑)『コロンボス』も編集を重ねましたが、最初は水戸芸術館で展示するためにつくって、それをベースに今度はアニメーションの映画祭で上映するためにつくり直して、と、見てもらう場に合わせ変えていきました。最初に「最終的にこれをつくりたい」というのはもちろんあるけど、それよりも ”どうつくっていくか” とか”つくっている最中のプレーしている感覚” も楽しむことで、それがまた可笑し味となって作品に表れる。そういう制作スタイルも時間がかかってしまう要因やと思いますね。

 

:そもそも、作品タイトルの『ヘコヒョン』って何なんですか?

 

:造語です。公表はしてないけど、元になっているものがあるんです。「これ(元になっているもの)を仮にヘコヒョンと呼んだとして」みたいなね。

 

:私は『ヘコヒョン』を見て、これって夢なのかなぁと思いました。人物と事柄は存在するのに時間軸はバラバラで、なんか夢みたいだな、と。

 

:ニュース番組に似た形式を使っているのは、どういう意味があるんですか?

 

:ニュース番組は、ビジュアルイメージもそうだし、最初の設定に別の要素が入ってくる装置として重要な形式でした。ある要素どうしを組み合わせることで、視覚的な組み合わせだけじゃなくて、それぞれの要素が持っている文脈自体も再構成されていく。そういうユニークなものができあがるための装置というか。最終的には、出来上がった映像に関して個々にああだこうだ言ってもらうのも楽しみです。僕らがやっているワークショップで、小学生に作品を見せた後、カメラの前で『ヘコヒョン7』を自分の体験として語ってもらうというのがあって。つくった映像がまた別のイメージへと展開されてくのが面白い。

 

:サッカーの試合中継って、それと同じような装置だと思うんです。11人のプレイヤーがいて、それぞれがボールを持っていない時も走っているはずなのに、ボールを持っているプレイヤーだけがカメラに抜かれちゃう。実は試合を運ぶ上で一番重要なのって、ボールを持っていない時の選手の動きであったり、個々のプレーヤーの思考の部分。でもテレビ中継では見栄えのするフェイントやシュートの美しさが重要視されてて、確かにあるはずの経緯とかがバサッとはぶかれたり、と、違うもののように編集されてる。

 

:画面上はこういう流れがあるけど、実はそれぞれが動きながら、総体としてあるいはゲームとして一つのものができあがっているみたいなね。確かに似てるかもしれません。

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:話はかわりますが、好きな作家や作品を教えてください。

 

:自分の原点を探っていくと、イギリスの『モンティ•パイソン』です。『ダウンタウンのごっつええ感じ』とか、日本のああいったコント番組の原点になっていると思う。僕はモンティ•パイソンをリアルタイムで見たわけではないけど、再放送で日本語吹替え版をやっていて。コメディーなのにオチがない。いろんなコントがメドレーのようにつながっていく感じで、メンバー全員が芸達者でものすごい。メンバーのなかでも、特に影響を受けたのはテリー•ギリアムです。コントの間に挿入される短いアニメーションを、放送局に一人で泊まり込んでつくっていた人で。後に映画監督になって『未来世紀ブラジル』等いろいろな素晴らしい映画を撮っていて大好きです。

 

↓ 左から『 モンティ・パイソン』、『ダウンタウンのごっつええ感じ』、テリー・ギリアム『未来世紀ブラジル』

スクリーンショット 2016-02-21 17.38.33 ごっつ 未来世紀ブラジル

  ↓ 左から『 バードマン』、『ゼログラヴィティ』、『リトルプリンス 星の王子さまと私』

バードマンゼログラビティリトルプリンス

:最近の人では、『バードマン』『ゼログラヴィティ』という映画の撮影監督エマニュエル•ルべツキ。『バードマン』では最初から最後までワンショットで撮影してるんです。ワンショットって昔からの手法ではあるけど、この映画は今までとはどこか違う、今一番新鮮に感じる映像になっています。他には『リトルプリンス  星の王子さまと私』という映画。見に行った?

 

:まだ見てないです。

 

:劇中に出てくる『星の王子さま』の物語をストップモーションアニメーションで映像化しているのがジェイミー•カリリという人で、素材感を活かした表現が素晴らしい。他にもいろいろなアニメーションやCMを制作しているので、ぜひ見てください。

二人は、影響を受けている作家はいますか?

 

:うーん・・・僕の実家は農家なんですね。主に野菜とか果物を作っているんですけど、両親は市販されている誰でも手に入る農具を使ってるんです。なので耕すやつがすぐに使いにくくなったり、イスだと高さが合わなかったりするから、両親は自分たちに合うように道具をよく加工していました。仕事が終わった後、夜中に削ったり、取っ手に棒をくくりつけたり。そういう姿を小さい頃から見ていました。好きな作家とは違うかもしれませんが、今でもその場面を思い返すし、そういった日常の発見が僕のすべてのベースになっている気がします。日常生活と芸術はかけ離れていない、という姿勢というか。

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:さらに話が少し変わるんですけど、僕が実家の高知県にいたころ、高知県立美術館では古美術とか印象派とか、どこか技巧的な展示内容で年配層をターゲットとした展覧会が多かったんです。だから京都に来た時は、まず単純にアーティストという存在に驚きました。今では高知県立美術館でも、学芸員の方が変わったからか、一年の半分は今までどおりの年配層に向けての作品、残りの半分は現代アート作品を扱っています。僕からするといいバランスだと思うのですが、美術教育のシステムとして、良し悪しの結果がわかるのはすごく時間がかかるなぁとも思います。従来型の展示じゃないぶん、将来、高知に住んでいる僕の同世代の人が歳をとった時に芸術を見る角度が少しだけ変わるかもしれない。でも、そもそも集客ができないという理由で現代アートの企画自体がなくなっちゃうかもしれない。もしかしたらむしろもっと増えるかもしれない。誰にもわからないですよね。どちらにせよ、地元の美術館の展覧会方針の変わり目というか、これからの流れになるかもしれないスタートに立ち会え、いっしょに年を重ねていけるのは楽しみなんです。そういう風に、作品を通してその人を知ろうとすることだったり、理解しようとすることは時間のかかることだから、僕の中でも、この前初めて拝見した『コロンボス』や『ヘコヒョン』への見方もまたこれから変わるだろうし、すぐには理解できないことの面白さとはこれから長く付き合っていくことになるのかなと思って楽しみにしてるんです。

 

:私は漠然と映像がしたいと思って大学に来て、アニメーションを始めたら楽しくなって、今でもその延長でアニメーションをやりつづけている感じがあります。作家さんだと、最近の人でぬQさんって人がすごい好きです。

 

ぬQ

:ぬQさんは中西さんとほとんど同世代やんね?

 

:はい、そうです。

 

↓中西さん作品画像『からだにめーしょん』(2016

中西卒制画像

 

 

:最近の若いアニメーターには面白い人がいっぱいいるし、中西さんもそのなかに入っていけたらいいね。

 

:がんばります。

_MG_6154 _MG_6143_2 :ところで、岡村先生はいつもアウトドアな服を着ていますよね? なにか理由があるんですか?

 

:えー、なんやろう?(笑)学生の時は革ジャンに赤いジャージに緑のエナメル靴とか履いてたけど。ある時期から変わったんですよ。んーアウトドアスタイルやと何が起こってもサバイバルできるし、あと楽やし、かな?・・・いや、そんな面白い理由は出てこないですよ(笑) 僕のほんまのことより、杉本が想像した「理由」が知りたい。なぜ岡村はいつもアウトドアの服を着ているのか。

 

:いつも山から下りてきているからだと思ってました。以前に、先生は工繊大(京都工業繊維大学)が蚕を育てている施設の周辺に住んでいると聞いたことがあったので、家から学校へ来る時に山から降りてきて町中を通り、大学の建つ瓜生山を登って来られる、と想像していました。実用的な山越えファッションってことで。

 

:なんで毎日登山やねん!ちがうちがう!(笑)

 

:休みの日は何をしているんですか?前に聞いた、休みの日にお子さんとプリキュアの映画を見に行って、一緒にペンライトを振ったっていう話がすごく好きなんです。今も子供とよく遊ばれるんですか?

空とオレンジ 中西とオレンジ

:家族サービスっていう意識はないんですが、単純に子供と遊ぶのは面白いんです。娘が肉球にはまっていて、この前お絵描きをしたときも、猫とかムーミンとか、みんなに肉球が描いてあって。肉球だらけのリスとか富士山とか・・・。

 

:へー・・・?お子さんは本物の肉球を見たことがあるんですか?

 

:いや、実際には見たことがないから、テレビや図鑑で見てるんちゃうかな。だから向きがおかしい。肉球の向きが。

 

↓娘さん直筆の肉球絵

IMG_7914

 

:本当だ!怖い!

 

:プリキュアの映画にしても、それをフィクションと思ってない何百人もの観客が「プリキュアがんばれー!!」って本気で願っている中で見る映画体験なんです。それって一人で映画館に行く時とは全然違う。子供たちはプリキュアがピンチになったら「プリキュアー!」って叫びながらペンライトを必死で振る。大人は(ペンライトを)もらえないんやけど、僕も心はいっしょに応援しました。本気の子供達に囲まれて。KISSのライブでもそんな経験できないですよ。子供といっしょだから見られる世界ですね。

 

:子供が生まれたことで、作品への影響はありましたか?

 

:うーん、きっと何らかの影響はあったと思いますが、ストレートには表れてないかな。ただ、子供と遊んだり話をしていると、自分の子供の頃の記憶や感覚がふとよみがえることがあって、そういう体験は作品制作に影響してると思います。

 

:今日の話を聞いていると、先生はいわゆる作品としての完成に重きを置いているというより、それまでのプロセスであったり何気ないやりとりに面白味を感じているのかなと思いました。プロセスさえ楽しめれば、わざわざ作品を作ったり完成させたり発表するのは必要ないのでしょうか?

 

:いやいや、作品は一番つくりたいです。正直、今まではつくるプロセスの方に集中する傾向があって、作品発表にあまり重きを置いていないところがあった。今後は作品を介したコミュニケーションみたいなところももっと考えていこうと思っています。これは、いま教員をしてることも関係してるのかもしれません。単なる作品の上映会ではなく、人に見せるための仕掛けや企画を中心に考えてみたいです。

 

:これからも作品を楽しみにしています。

 

:僕も、二人のこれからの活躍を楽しみにしています。

 

_MG_6231 記事/杉本 龍哉、中西 綾   写真/常 程(情報デザインコース3年生)

 

《 岡村先生に聞いた!  20歳のときに読んでおきたかった本  3選 》

 

51y69s8omGL._SX334_BO1,204,203,200_
「ファイトクラブ」 チャック・パラニューク 著(早川書房 、1999年)

 

61-dqElvOiL._SX352_BO1,204,203,200_
「高い城の男」 フィリップ・K・ディック 著(早川書房 、1984年)

 

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「退屈な美術を辞める為の長い長い人類の歴史」 若林 直樹 著(河出書房新社 、2000年)

 

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_MG_6134

 

インタビュー後半では、杉本君の作品『甘い放物線/Sweet parabola』制作の一環で、

オレンジを使ったキャッチボールを行いました。

オレンジは揉むことでさらに甘くなるらしく、

取材の後にあまーいボール(オレンジ)をスタッフ一同おいしくいただきました。

 

今回のインタビューでは「先生と学生」としてだけでなく、

お互いを“表現を学びつづける同士”として認め合う関係性がとても印象的でした。

カワイオカムラは今年の年末に京都で展覧会を行われるそうですので、またこのブログでも紹介します!

岡村先生、ありがとうございました!

 

さて、今回のインタビュアーである杉本君と中西さんの作品をはじめ、

今週末から始まる卒業展では総勢118名の情D生の卒業制作をご覧いただけます!

ぜひぜひ足をお運びください!◎

 

この企画は、約ひと月に1回のペースで更新する予定です。

次回もぜひご期待ください。

 

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↓前回のインタビュー記事

【教員紹介】8 根之木正明 先生

過去のインタビュー記事はこちらからご覧いただけます

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スタッフ:森川

 

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