この通信教育部で学んでいる皆さんの姿や作品を目の当たりにして、私はあることを思い出しました。それは今から約8年前、私が大徳寺聚光院別院の襖絵を依頼されたときのことです。大徳寺といえば禅の総本山であり、聚光院には狩野永徳の襖絵も伝わっています。その別院を描くというのは、日本画家にとってこの上ない名誉なことであります。
よし、いい絵を描いてやろう、もっと有名になってやろう。しかし、そう思った私は何も描きはじめることができませんでした。それどころか、画面に近づくことさえできなかったのです。有名になりたい、偉くなりたい、ひとから褒められたい。そんなことを思いながら描こうとした自分を、絶対に画面は許してくれなかったのです。結局、私は1年間も真っ白な画面とにらめっこをつづけることになりました。
そのうちに、ふと思ったのです。「なぜ私は画家になったんだろう?」 自分が一番好きなことをやりたい。才能がなくてもかまわない。好きなことができる人生を自分は過ごしてみたい。そう思った私は推薦校を辞退して、二年浪人して芸大にすすみました。そんな高校生のときの気持ちが、とつぜん心によみがえったのです。褒められなくても、いい絵にならなくてもいい。好きな絵が描ける。なんてしあわせな人生だ。思った次の瞬間、画面が近くに感じられた。画面が私を許し、受け入れてくれたんです。それから数年かけて一気に描きあげることができました。
では自分が悩みつづけた日々はなんだったのか。無駄だったのか。でもこの1年がなかったら、大切なものを失っているか、大きな勘違いをしているか、いまの私にはなっていなかった気がする。大徳寺という禅寺で、まるで若い修行僧のように白い画面と向きあった、あの苦行のような1年は、私たち画家にとって最も大切ななにかを教えてくれた気がします。
皆さんの作品を見て感じること。それは、時間をつくるのも大変、やる気をふりしぼるのも大変、その中で苦行のように一生懸命にやったひたむきな経験の尊さです。気が乗るときだけじゃない、家事の合間、仕事のあと、とにかく時間をつくって作品に向かうという、その気持ちの尊さです。学生時代、恩師の一人である平山郁夫先生は「描けても描けなくても、毎日決まった時間に絵の前に座るくせをつけなさい」と私に教えてくれました。これは私が芸大で教わった何よりも大切なことです。
皆さんのように働きながら、生活をしながら学びつづけるのは、本当に尊いことです。一生学びつづける。これは芸術家はもちろん人としても理想の形です。ただ、ひらめくときばかりじゃない。そのときに自分を支えるのが「とにかく創るくせをつける」ということなのです。私たちは、生涯現役としてやっていく仲間です。私は皆さんの作品に感動します。でも何より、皆さんが作品をつくるにあたって乗り越えてきた苦行を、自分のことのように思い、感動するのです。
表現は未熟かもしれない、評価は厳しいかもしれない。でも人が、本当に感動するのは決してうまい下手ではないのです。なんとか自分を伝えたいと思う心意気なのです。これからも学んでいくうちにいろんなことがあるでしょう。しかし、どんなことがあっても、いつも創作に向き合える習慣を身につけてもらいたい。そして、なんとかこれを人に見せたい、見せる必要がある。そう思えるような人生を過ごしていただきたいと思います。

撮影 山口和也
千住 博 京都造形芸術大学 学長
日本画家。1958年1月東京都生まれ。東京藝術大学美術学部日本画科卒。同大学大学院博士課程修了。
2002年9月より本学芸術学部教授、本学副学長を経て2007年4月本学学長就任。1993年東洋人として初めて米国の美術誌「ギャラリーガイド」の表紙を飾る。1995年ベネチア・ビエンナーレ絵画部門優秀賞を東洋人初受賞。
1998年より伊東市に建立された京都大徳寺聚光院別院の襖絵を手がけ、2003年完成。2004年、羽田空港第2旅客ターミナルのアートワークを担当。
代表作に「フラット・ウォーター」シリーズ、「ウォーターフォール(滝)」シリーズなど。本学の授業を収録した光文社新書「絵を描く悦び」がロングセラーとなる。



















