気付かないけれどそこにある関係

カテゴリー: 空間演出デザインコース
通勤電車に乗っていても、山歩きをしていても、洗濯物を干していても、気になって気になって仕方がありません。

手を振る女性

もう2、3年前の話になるが、今でも時折思い出す事がある。帰宅途中で混み合う駅のホームに降り立ち、進行方向に目をやると、遠目に仕事帰りを急ぐ客を慌ただしく乗せ発車しようとする車両に手を振る女性の姿があった。こんなことは駅のホームでは良く見かける光景だし、それほど気にも留めなかったのだが、近づくにつれ、混雑した人の流れに身を任せた僕は車両と手を振る女性の間に割り込むようなかたちで横切ることになった。ほんの一瞬の出来事で、いつもなら体に染みついたクセで記念写真を撮ろうとするカメラの前を横切るときのように頭をかがめてみたり、人ごみに分け入る際に手刀を切る仕草で通り抜けるようにしてみたりとなるはずが、なぜだかその時は、そのまま何もせずに横切ることになってしまった。そのことについて、べつに女性から何か文句を言われたわけでもないし、嫌な顔をされたわけでもなく、全く問題ないのだけれど、この一瞬の出来事を時折思い出す。それはなぜかを考えてみると、そこには明らかに、その女性のための空間があった。人が無意識に前を通り過ぎようが、手刀を切ろうが切るまいが、そんなこととは関係なしに、手を振る女性の前には、動き始める車両との間に得体の知れない空間がつくりだされていたのだ。

引っ掛かり

つい先日、遅い時間の午前で人通りの少ないいつもの通勤路を歩いていたところ、東京都交通局と書かれた鉄製の門扉のドアノブに何かが引っ掛かっているのに気がついた。昨日までは無かったような、と近づいてみると、引っ掛かっているのは「ハンガー」だった。あの、洋服を掛けるためのハンガーが、ドアノブに引っ掛かっていた。曇り空の下、およそ洋服が掛けられる様子のないところに、形状違いのハンガーが2つ、当然のように引っ掛かっていた。いったいどのような経緯で引っ掛けられたのだろうか。ゴミ収集の際、ゴミ袋から抜け落ちたハンガーが歩道に落ちてしまい、それを誰かが拾い上げ、周りを見渡し、引っ掛けやすい場所としてたまたまドアノブを見つけたのかもしれないし、通り沿いにある洋品店でハンガーの無料配布をしていて、いくつかもらったのだけれどこの2つはいらないやと通りがかりにドアノブに引っ掛けていったのかもしれない。見方を変えれば夜には歩道の工事をしていて、その工事現場で働く人が作業着を掛けるためにあらかじめ昨日の夜からハンガーをセッティングしているのかもしれない。いずれにせよ、ハンガーが勝手にドアノブに引っ掛かるわけではないはずで、人の手を介していることは明らかなのだが、ここで注目すべきは、その見えない何者かが、ドアノブにハンガーが引っ掛かるという関係について、見事に見出していることである。

空間演出デザイン

「空間演出デザイン」という聞きなれない領域に携わっているとついついこのような些細な出来事に焦点を当ててみてしまう傾向にあるのだが、あながちそれは無駄なことでもなんでもなくて、むしろそのような出来事が多くの示唆を与えてくれている。ヒトとヒト、ヒトとモノの間を「空間」と呼び、そこでのふるまい方を「演出」と定義した場合、「空間演出」とは常にヒトとそれ以外のヒトやモノ、コトとの関係の変化に合わせて収縮、拡大を繰り返す自在な領域であるといえる。その領域はあらゆるヒトに該当し、さまざまなヒトが日々自分の身の回りで「空間演出」を繰り返している。しかし、おそらくはそれが「空間演出」であることを意識しながら生活しているヒトは少ないに違いない。なぜならばそんなささいなモノ、コトが「空間演出」だと気付くきっかけがないからだ。実はその気付かないけれどそこにある関係が「空間演出」であり、その魅力なのだと思う。加えて「デザイン」である。何気ないフトした気付きが発展し自らの表現につながっていく、ささいな引っ掛かりが思いもよらない作品に生まれ変わる。そんな日常生活の延長線上に自らを表現できる感覚を享受すること。それが「空間演出デザイン」なのだと思い続けて今朝も目を覚ましている。

column writer profile
川合健太 (かわいけんた)
通信教育部デザイン科空間演出デザインコース
1975年生まれ。京都精華大学美術学部デザイン学科(建築専攻)卒業。設計事務所勤務などを経て2007年~プロップ・ポジション参画。現在は「都市郊外の住戸におけるアートプロジェクトの実施研究」を主たる研究テーマに、住戸への最小限の働きかけで、新たな地で生活を営む家族とその地域との交流を図るプロジェクトに取り組んでいる。