I HAVE NO SENSE

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VOL.28

人との繋がりを
大切にすること

私にとって、学校という場所は同じ年頃の子だけが集められた不自然な空間でした。誰一人として学校での決まり事や習う科目がなぜ必要なのか説明することができないことにも違和感がありました。そうした勉強よりも、実際に現場で体を動かして経験をすることが自分のスキルアップにつながると思っていた私は、早く社会に出たいと考えていました。

ただ、進路選択や将来のことを考えると、いつも不安でした。AIにとって代わられる仕事が多いと言われていた中で、新型コロナウイルス感染症拡大によって、社会が思いもよらない方向に変化することがあるということを体感しました。そこで、手に職をつけたい、新しいものを生み出すものづくりの仕事がしたいと考えるようになり、芸術大学に進むことにしました。

自分がより自然に学べる場所、より多くの経験ができる大学を探して、社会実装プロジェクトなど実際に企業と一緒に制作ができるプロジェクト型の授業にも力を入れている京都芸術大学を見つけました。そして、私が好きな布や糸を扱う分野なら続けられると考え、染織テキスタイルコースを選びました。

入学後、いろんなプロジェクトに参加するにあたり、二つのルールを決めました。一つは、実家から大学へ通うこと。わたしは興味の幅が広く、いろんなところに手を出しすぎてしまう癖があるので、その分家には課題を持ち込まず、しっかり休むことに決めました。実家から大学まで片道3時間弱かかってしまうけれど、その通学時間中にその日の終わらせきれなかったタスクや次の日のスケジュール組みを終わらせられるよう、時間を有効に活用しています。

もう一つは、人との繋がりを大切にできる活動に参加すること。私は人と話をすることや、人をサポートして一緒に走るのが好きです。京都市内の屋外型スケートリンク場をプロデュースしたプロジェクト(VIVAプロジェクト)では、コロナ禍で人との繋がりが極端に減ってしまった大学生同士を繋げ、若者を新たな客層として引き入れたい企業と大学生を繋げるための企画を考え、イベントの運営まで行いました。マンデイプロジェクトではチームのリーダーを担い、制作がうまく進むようクラスの人たちの橋渡しや相談役として動きました。その結果、私が信頼できる人も私を支えてくれる人も増えたように感じます。

周囲の人を信頼して判断を任せられること、これは特別な才能じゃなくても、これまで人と向き合うということを大切にしてきたからこそできるようになった私の力だと思います。もちろん自分で考えて決定することの方が多いけれど、そうやって頼れる人が周囲にいる環境を生み出す必要性というものを私は大学生になってから身に染みて感じました。今後の私の制作活動においても大事にしていきたいし、今後私と関わっていく人たちにも、こういった人との関係を積み重ねる大切さを伝えていきたいと思います。

美術工芸学科
染織テキスタイルコース
3年生
初芝富田林高校出身
風呂本 愛佳

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VOL.27

どんな場所で
生まれても

コンビニまで車で1時間、最寄駅までも車で1時間、そんな田舎の村で私は14年間生きてきました。村外の高校へ通うため実家を離れ、寮で生活しながらの高校生活は、人生の中で大きな転機でした。

高校に美術科があり、そこで初めて進路に芸術分野があることを知りました。私は普通科でしたが、手を動かして何かを作ることが好きだったので、進路を考えた時に芸術系も視野に入れていました。でも、特に絵の勉強をしたこともない自分にとっては大きなチャレンジでした。いろいろな芸術大学を調べ始め、芸術大学は絵を描くだけではないことを知りました。自分が何を学びたいのか、いろんな学科を調べていくうちに、芸術大学で学べる技術や知識が製品のデザイン、街中の広告、アニメやゲームなど、身の回りのあらゆる物に使われていることに気づきました。そうして、最新の技術とデザインを組み合わせていろんなものをつくり出すクロステックデザインコースに興味を持ち、京都芸術大学へ入学を決めました。

入学してからは興味のある分野が一気に増えました。クロステックデザインコースでは作品制作だけではなく、企画を運営するという授業があり、京都鴨川音楽祭という音楽祭を企画しました。私がオファーを提案した好きなアーティストが出演してくれることになり、当日の案内をする役割も担うことになりました。そんな経験ができるなんて思ってもいませんでした。
他にも授業内では展覧会を企画し、ウルトラプロジェクトでアーティストの作品制作に参加したり、マンデイプロジェクトを映像として記録するアーカイブスタッフとして活動したりと大忙しで、想像していた大学生活とは良い意味で全く違いました。地元にいた頃は想像もしなかったような充実した毎日です。

プロジェクトなどで他学科の学生と共に活動していると、ある人は建築のデザインをしていて、ある人は文章を書いていて、ある人は映画を撮影していたりと、色々な学生がいます。そんな学生のほとんどが私と同じ普通科からの入学だということは、話題に上がらないほど当たり前でびっくりしました。芸大生は「個性の強い人」や「得意分野を持っている人」が集まるイメージを周りから持たれていて、入学前の私もそんな偏見から受験を迷っていた部分もありました。ですが入学して違う事に気づきました。個性や技術を持っている人が集まるのではなく、芸術大学に入って、制作や他の学生との交流の中で、すでに持っている「個性や技術に気づく」ということです。

やりたいことがたくさんあって、毎日忙しいけれど「忙しくて楽しい」という感覚は大学に入って初めて体験しました。高校生までは考えられませんでしたが、今となっては夏休みや春休みが早く終わってほしいほど大学生活が楽しいです。

情報デザイン学科
クロステックデザインコース
3年生
橿原学院高校出身
玉置 賢太郎

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VOL.26

好きなことを
とことん学べるチャンス

中学2年生の時にアメリカの親戚の家に行く機会がありました。日本と違う文化に触れて、世界をもっと知りたいと思ったことと同時に、日本のことをもっと知って発信したいと思うようになりました。その後、中学3年生の時に学校で自分の好きなことについて研究し、70枚のレポートにまとめるという課題がありました。私は日本のことをもっと知れるテーマが良いと思い、日本の色とおせち料理の色合いの関係性について研究しました。日本の素晴らしい文化に触れる中で「色」にとても魅力を感じました。その頃から心のどこかで美術を学んでみたいと思っていました。

高校生になり、進路について考えなければいけない時期に、先生から有名な私立の総合大学への推薦を勧められました。美術を学びたい気持ちもありましたが、その頃勉強を頑張っていた私は、就職率のことや、将来安定した生活を送ることばかりを考えていました。しかし、私の場合は、芸術大学を受験する人たちの中では珍しく、父が芸術大学への進学を強く勧めてくれました。

父は、昔から欲しいものは自分で工夫して作っていた私を見て、どこかものづくりに興味があるのでは? と思っていたと思います。また、建築士で領域が近いということも大きいかもしれませんが、何より父は、自分の娘に自分と同じ失敗をさせたくなかったのだと思います。父は高校生の時に推薦で大学を決めたのですが、進学後にもっと興味のあることを専攻するべきだったと後悔をし、大学卒業後に夜間の建築学校を卒業して一級建築士になりました。父は私にいつも「自分の好きなことを学びなさい」と言っていました。その言葉があって、私は芸術大学を受験しようと決断することができたのだと思います。

絵を描くことが苦手だった私は画塾に通い始めましたが、デッサンは一向に上達せず、周りの生徒と自分を比べては落ち込む毎日でした。しかし、それでも色彩の作品をつくるときはワクワクして、色が大好きだと改めて強く感じました。中学3年生の時に研究した日本の色が忘れられず、日本の伝統や文化が残る京都で学びたいという思いがあり、進学先を探していたところ、たまたま見つけた京都芸術大学の紹介動画の中で「色の好きな人に入ってきてほしい」と言っていたコースがありました。私はこのコースだ!と強く思いました。

そして今こうして染織テキスタイルコースで学ぶことができています。いまだにデッサンや絵を描くことに苦手意識はありますが、毎日自分の好きな色に触れて楽しく勉強できています。さまざまな経験や機会を与えてくれた両親にとても感謝しています。周りの人から、芸術大学に入ったら将来就職できないなどと言われることもあるかもしれませんが、実際は1年生からキャリアの授業があったり、企業や自治体の仕事に取り組むプロジェクトがあったりと、実はそんなことは全然ないし、仮にそうだとしても人生は一度きりで、自分の人生です。大学は自分の好きなことをとことん追求して、楽しんでさまざな人と出会える最後の機会だと思います。まだ入学して2ヶ月ですが、今は、イギリスへの交換留学を目標に、自分の専攻の勉強はもちろん、オープンキャンパスのスタッフや学生会に所属したり、留学生と交流できるワークショップに参加したり、とても充実した毎日を送っています。

美術工芸学科
染織テキスタイルコース
1年生
不二聖心女子学院高校出身
織田 じゅん

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VOL.25

自分の「個性」が
好きになれる場所

高校2年生の春、担任の先生から「卒業後の進路はどうするんだ。」と聞かれました。私は「とにかく大学進学」とは考えていましたが、どんな大学に行き、何を学びたいのかまでは全く考えていませんでした。私は昔から、何をしても長く続かない飽きっぽい性格で、勉強も苦手でした。そこから、「自分の夢や興味のあることってなんだろう?」と考える日々が続きました。

それから約1年経った高校3年生のある晩、ドラマを観ていると、ふと画面に白い住宅模型が出てきました。その瞬間「なにこれ!」と興味をそそられ、私は母にこれがどんな分野で学べるものなのかを聞きました。母から「空間デザイン」という分野にあたると教えてもらい、そこから空間デザインが学べる大学を調べ始めました。しかし、私立の中でも工業系か芸術系が主な進学先で、工業系なら数学が必須、芸術系ならデッサンが必須の大学が多く、その後の課題も山積みでした。ただ1つ、救われたのは、母から言われた「自分の好きなことをしなさい。」という一言でした。美術の勉強をちゃんとしてこなかった人間が芸術大学の道に進んでいいのかという葛藤もあったし、今好きなことでも、飽きっぽい性格の私が4年間もその気持ちを貫き通せるのかすごく不安でもありましたが、母から言われたその一言で私は芸術大学の道に進む決心をしました。

その後、母といろんな大学のオープンキャンパスに参加しましたが、特に京都芸術大学の雰囲気は、在学生がオープンキャンパスに参加していることもあって全体的に明るい印象を受けました。笑顔で気さくに挨拶してくれ、緊張していた気持ちが一気にほぐれた感覚を今でも覚えています。その後、空間演出デザイン学科の先生とお話して、入学後の授業の内容を聞いてワクワク感に包まれました。そのほかにも、私は芸術大学の就職先に対してイメージができていなかったのですが、学科の就職率が90%代と高かったことも印象深く残りました。その後、母とも再度話し合い、京都芸術大学へ進学を決めました。

入学する前は、デッサンが描けないといけないのではないか、独創的な考え方がないといけないのではないかなど、勝手な思い込みで「芸術大学」という言葉にプレッシャーを感じていました。しかし入学後、授業や周りの友達と過ごしていく中で、1人ひとりの「感性」や「自由さ」が引き立つことで、自分自身の今まで気づけなかった特徴を知ることができました。そこで、芸術大学という場所は、自分の「個性」が好きになれる場所だと気づきました。また、空間演出デザイン学科に入学したことで様々な学びを得ました。入学した1年生の頃は、スチレンボードを切るだけでも大変で、それに加えてパソコンでの制作に慣れるのにもすごく苦労して、課題がでるたびに挫折しそうになりました。しかし、そうやって身に付けた技術を使って、学科の課題以外にも、大学パンフレットのイラストを担当できたりと貴重な経験も増えました。現在は就職活動に悩まされてはいますが、空間演出デザイン学科で様々な経験ができたからこそ、インテリア・空間ディスプレイ・グラフィック・他にも様々な業種に興味を持つことができています。

人見知りでも、引っ込み思案な性格でも、性格なんて何でも良くて、自然と在学中に自分の好きな事・自由な事ができる。芸術大学はそういう場所だと私は思います。

空間演出デザイン学科
空間デザインコース
4年生
土佐女子高校出身
植田 遥菜

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VOL.24

知っていたはずの
未知の世界

むかしはみんなこどもだった。
こんな当たり前のことに気づけたのは京都芸術大学に入学してからでした。

こどもの頃から絵も音楽も踊りも大好きでした。きっと「ことば」以外で自分を表現できる手段が私には合っていたのだと思います。そんな思いが感覚的にあったのか高校は美術科に進学し、日本画を学んでいました。制服や校則のない自由な校風で一緒に学ぶ友達からもたくさんの刺激を受けました。日本画を選んだ理由もはっきり言えば直感です。岩絵具のきらきらした感じや、混色とは異なる画面の上での色の混ざり方が好きで、美しいと感じました。

高校3年生、みんなが自分の進路を見つめていました。美術科ということもあり、同級生のほとんどは美大・芸大への進学を考え、さらに日本画を専攻している子のほとんどは日本画コースを志望していました。しかし、私はデッサンも上手なわけじゃなかったし、日本画専攻の中でも絵のレベルは高くありませんでした。「私の画力では芸大は無理だ」と逃げていたのかもしれません。でも、自分を表現できるのは絵だけじゃない、もっともっとたくさんある!!そう思い、日本画以外の分野にも広げて大学を調べ始めました。

進路研究を進めていくなかで、候補のひとつに挙がったのがこの京都芸術大学でした。立体か絵画かなど、一つの領域に縛られず、自由な表現ができるこども芸術学科に惹かれました。また、社会実装プロジェクトを通じて自分の表現が誰かの役に立てるんじゃないかと希望を持ち、入学を決意しました。

こども芸術学科では、新しい発見が毎日あります。「むかしはみんなこどもだった」、そんな当たり前のことにも気付くことができました。授業では大学のある瓜生山から葉っぱや枝を拾い集めたり、色や線、光などあらゆる素材に触れます。こどもだったらどんなことがおもしろい?わくわくする?と考えながら、素材の可能性をどんどん広げていきます。大人にできないことがこどもにできることだってあるし、こどもにしかできない表現や持っている世界がある。自分もこどものときに経験したはず、知っていたはずの未知の世界を私は今改めて学んでいます。まだまだ分からないこともたくさんありますが、だからこそこれからの発見もたくさんある、そんなわくわくの連続です。

また学科の学びだけでなく、1年生の時には入学前から興味のあった社会実装プロジェクトの一つ、ホスピタルアートにも挑戦しました。生まれたばかりの赤ちゃんが治療や回復をするための病院内の空間にアートを施すことで、医療従事者の方・赤ちゃん・ご家族を繋ぐ、そして希望を紡ぐ。そんなアートの力を強く感じることができました。

どんなことでも「やりたい」と思ったことをすべてやろうと決めています。今はマンデイプロジェクトのアシスタントスタッフを通して、答えのない問いに対する「考え方」を考え続けています。毎日考えて考えて、考え続けることでふとした瞬間に自分の答えにたどり着くことがあります。そうやって見つけた自分なりの答えや発見を、これからもこの大学で少しずつ拾い集めていこうと思います。

こども芸術学科
こども芸術コース
2年生
宮城県宮城野高校出身
佐藤 文音

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VOL.23

諦めかけた
夢だったけど

私は幼い頃から芸能界に強い憧れを持っていました。アイドルや俳優になりたいと思ってオーディションに応募したこともあります。結局思い通りにはいかなかったのですが、時が経つにつれ、芸能人がキラキラして見えるのは裏方の人の支えがあるからだと考えるようになり、間接的でもいいから人を幸せにできることがしたい、輝かせられる存在になりたいと思うようになりました。高校2年生の時、自分で考えてみた衣装デザインを当時好きだったアイドルの衣装デザイナーさんに何気なくSNSで送るとメッセージが返ってきました。プロのデザイナーさんからの応援で、「自分のデザインした衣装を着てほしい」、そんな願望に現実味が出始めました。 でも、私の家は時々ガスすら止まるような状況で、服飾学校に行きたいなんて言い出すことすら難しい状況でした。そもそもデザインができる画力も、飽きずに学び続けられる自信もなかったので、この夢もいずれ自然消滅するんだろうなと思っていました。やりたいことはあるのにできないと決めつけた私は、自分の進路がわからなくなり、半ばなげやりに母に勧められたまま一般大学へ進むことにして受験勉強を始めました。

そんな中、京都芸術大学を知ったきっかけは、「服飾とか映像とかがしたい」と私が独り言のように言ったことです。しばらくして母が携帯の画面に映った京都芸術大学のホームページを見せてきました。気になって調べてみると、面白そうな学科がたくさんあり、なげやりになっていた自分の進路に光がさしてきました。ここで学んでみたい、ここなら学びつづけることもできると強く感じ、親には一般大学の受験勉強も続けるという約束で、京都芸術大学の受験を許可してもらいました。

12月、この大学の、自分の受験番号が載った合格発表のスクリーンショットを母に見せた時、祝福よりも「お金ないのにどうするの、絵も上手くないのに大丈夫なの」などため息まじりの言葉が返ってきました。翌年2月に一般大学の受験が終わり、結果として母の期待に応えることはできませんでしたが、同時に「私は芸大で自分のやりたいことを学んでいく」と決意が固まりました。

入学して1年はとにかく余裕がなく、すぐに周りと比べては自分を卑下していました。絵やものづくりが得意な人、積極的に行動する人の中で、私は突出した能力も特になく、新しい何かに飛び込む勇気も積極性も欠けていました。台襟付きシャツ制作やパターンの授業はついていくのがやっとで、遅くまで教室に残って体をのけぞり、「もう無理だーー」と嘆く日々でした。芸大に入ったからにはすごい作品を作らないといけない、他と違う何かをしないといけないなど、勝手な固定観念で自分自身を苦しめることは正直今でもあります。でも、普通科の普通の高校生だった私が芸大で頑張れているのは、切磋琢磨できる友達、私の作品に助言をくれたり肯定してくれたりする先生や副手さんが固定観念に縛られた私に、特別で完璧な人間じゃなくていいことを教えてくれたからです。2年生になった今、1年生の時の話をすると、余裕そうに見えていた人も実は不安でいっぱいだったことを知って、結局みんな一緒だったのかなと思いました。

入学当初は不安そうにしていた母も、授業の課題作品が投票で一番人気だったことを伝えると、「ほんまに頑張ってるんやね」と言ってくれ、陰で親戚に自慢するくらい喜んでくれました。 この大学生活で自分の考えを見つめ直す時間が増えたけれど、誰かの幸せを作れるような人になるという目標が変わることはなかったし、この先も変わらないと思います。

空間演出デザイン学科
ファッションデザインコース
2年生
京都市立塔南高校出身
辺 ハリミ

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VOL.22

諦めの悪さが
掴んだもの

幼い頃から、発表会や授業参観、国語の音読など、普段物静かで目立たない私が目立つことができる瞬間が大好きでした。小学生の時に英会話教室で、将来の夢を聞かれた時に「actress(女優)」と書かれたカードを見て「これだ!」と思いました。女優になりたいと言うと大人には大抵笑われたので、あまり人には言えませんでしたが、この頃から私は女優という仕事を目指すようになりました。

中高一貫の女子校に進学してすぐに、ミュージカルを上演している音楽部に入部を決め、実際にお芝居に触れ始めました。ただお芝居を楽しんでいた私は、褒められることもなければ、オーディションでなりたい役を勝ち取れたこともなかったけど、自分の温度とペースで舞台に立つことを楽しんでいました。ただ、5年続けた部活を引退した時、心にポッカリ大きな穴が空いて、私からお芝居を取ると何も残らないことに初めて気付きました。でも、才能のある子たちに囲まれていたので、簡単にお芝居を続けたいとはなかなか言えませんでした。そんな時に、当時の美術の先生が私の引退公演を見て感動したらしく、本気で演劇の道を勧めてくれました。真剣に夢を肯定してくれる大人がいたことが本当に嬉しかったです。

本気でお芝居を続けるために、舞台演技よりも興味があった映像演技を学べる京都芸術大学の映画学科を受験することに決めましたが、初めて両親に相談した時、母に猛反対されました。はっきり「なれるわけない」と言われ、学費のことや一人暮らしのことなど甘くない現実を突きつけられ、決まっていたはずの意志はボロボロになりました。それでも、何度も何度も話し合ってなんとか母を説得し、受験を許してもらいました。でも、もともとの控えめで人見知りな性格から、試験で思ったように力を出せず、結果は2回連続不合格。もう何もかも嫌になりました。

弱りきった私を力強く引き上げてくれたのは、夢を追い続けるきっかけをくれた美術の先生でした。泣きながら「もう否定されたくない、もうやめたい」と懇願する私を引き留め、もう一度頑張ってみないか、と声をかけてくれました。最後にもう一度だけ頑張ってみたいと面接型入試の受験を決め、先生とたくさん練習を積み、やっと合格を掴み取りました。

⼤学での学びは本当に刺激的なものばかりだし、これまでなりたいものを周りに言えなかった私にとって、同じ夢を持つ仲間がすぐそばにいる安⼼感や楽しさは計り知れません。対⾯授業になってからは、ゼミでの映画制作に企画段階から関わり、俳優以外の側⾯からも映画に触れています。俳優コースと映画製作コースの壁はあってないようなもので、誰もが学びたいことを⾃由に学ぶことができる環境です。演技経験にかかわらず、普段の⽣活や今までの経験において、何を感じ、どこまで⾃分と向き合うことができるか、どこまで相⼿のことを思いやることができるかが⼤切なんだと感じることばかりです。これから、もっと沢⼭の感情に出会って、絶え間なく思考を続けるなかで、自分の⾊を⾒つけることが今の私の⽬標です。いいことにもいやなことにも出会い、そこで生まれるグチャグチャな感情と向き合ったことがある人ほど、創作活動において広くて深い視野を持てると信じています。諦めの悪い私の夢への道はまだまだ続いていますが、これまでの様々な経験が私の味方をしてくれると思っています。

映画学科
俳優コース
3年生
福岡女学院高校出身
林 ひより

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VOL.21

芸大へ行くとは
思ってもみなかった

中学生の時、ある日夕方にテレビをつけると有名なリフォーム番組がやっていました。普段は見ていても、「ボロボロだった家がこんなに綺麗になって良いな」くらいにしか思っていなかったのですが、その日はなぜか建築士という職業が目に留まり、漠然と建築というものが気になり始めました。一緒に観ていた両親にぼそっと「建築士ってかっこいいよね」と言うと、「おじいちゃんがこういうことやっているよ」と教えてくれ、次に会った時におじいちゃんから建築について色々な話を聞くことができました。そこから一層興味を持ち、建築士になりたいと思うようになりました。

高校生になってもずっと建築士という夢は変わらず、進路を考えていく中で建築学科があるさまざまな大学を調べていました。数学が好きだったことや、高校に入学した時から建築士になりたいと先生に話していたこともあって、学校推薦で国公立の大学も勧められました。そんな時に、地元だし一応、と軽い気持ちで京都芸術大学のオープンキャンパスに行きました。建築学科はいろんな大学にあるので、私の中で芸大は考えたこともなかったです。デッサンもできないし、芸術にもあまり触れてこなかった私でも大丈夫なのかという気持ちが心の隅にありました。先輩たちの作品展示を見ていたら、ある1人の先輩が声をかけてくれて、やりたいことや気になることの相談に乗ってくれました。話を聞くなかで、この大学の環境デザイン学科は私が思っていた建築学科とは違って、住宅などの建築、椅子やテーブルなどのインテリア、公園やまちづくりのランドスケープなど、建築環境を取り巻くほとんどの領域を学び、最終的に自分の好きな領域を突き詰めていけるということを知り、私もここで学び、力をつけていきたいと強く思いました。また京都芸術大学ならではのマンデイプロジェクトや、ウルトラファクトリーなどの施設に非常に興味を持ち、高校の先生を納得させ、推薦のお話もお断りし、この大学に入学を決めました。

入学してからはやっとやりたかった建築に触れることができ、毎日充実していると実感しています。建築士になりたいと思って入学したのですがさまざまな領域を学んできた結果、まちや環境をデザインできるランドスケープデザイナーになるという新しい夢を持つことができました。日々の課題に取り組む中でいくつもの壁にぶつかることもあります。環境をデザインするうえで私たちが実際に求めるものは何なのか。将来はどのような環境が求められるのか。実現性の高い課題解決を考える必要があります。環境デザイン学科の先生たちは経験豊富な方ばかりなので私たちにさまざまな経験の場やアドバイスを与えてくれます。授業内容も興味深く、個性的な周りの学生たちも刺激になって、毎日頑張ろうと思えます。忙しいなかでも大学のプロジェクトなどにも参加し、さまざまな学科の人たちとも関わりあえました。改めてこの大学に入学して良かったなと思っています。

環境デザイン学科
建築・インテリア・環境デザインコース
4年生
京都市立京都工学院高校出身
下野美和

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VOL.20

これまで
眠っていた気持ち

昔から楽観的な性格だと言われてきました。 迷子になっても泣かずに自力で帰ってきたこともあったし、一人でも周りを気にせず遊んでいました。上級生に誘われて、小学2年生から始めたバレーボール。勝負事は正直面倒くさくて、「楽しくみんなでバレーができればそれでいいじゃん」と、気楽に高校3年生まで続けました。バレーは楽しかったけど、高校3年生になり進路を考えたときに、将来バレーを仕事にしたいとは思いませんでした。

高校進学の時はスポーツ科への推薦があり、なんとなくで進路を決めてしまいましたが、このままずるずるとバレーを続けるのではなく、これからは自分の意志で人生のレールを敷いていきたいと考えたからです。でも、今までバレーしかしてこなかったし、勉強の成績も中の下。となると道は就職か、他の好きなことで進学するか。別のスポーツで体育大学に行くことや、昔から興味のあった生き物について学ぶ道も考えましたが、中途半端な「好きなこと」で大学を選ぶのも難しく、迷っていました。

そんな僕が今こうやって京都芸術大学に進学した決め手はかなり単純で、「今までの学生生活とは違って、芸術大学だといろいろな個性を持った人たちがいる。その中に自分がいたら、僕もその個性のひとつとして毎日新鮮に過ごせて楽しいだろうなあ」と、思ったからです。芸術大学の中でも特にマンデイプロジェクトや社会実装プロジェクトを通じていろんな学科の人たちとの交流の機会が多く、楽しそうなこの大学を選びました。

プロダクトデザイン学科に入学し、大学生活も1年半が過ぎようとしてますが、気づけば入学したときの気持ちは別の気持ちに変化しました。課題や制作は実力主義で、自分を磨くために、クラスメイトとも時にはケンカのようなディスカッションをしたりもします。わかりやすいプレゼンのためにスケッチを繰り返したり、作品のクオリティを上げるために試行錯誤を重ねる日々。その過程を通して、これまで僕にはないと思っていた、勝負事にも向かっていく気持ちや制作に対するプライド、仲間と切磋琢磨する向上心が芽生えてきました。そうしてやっと、自分のしていることに対して手ごたえを感じることが増えてきました。周りから作品のデザインについてのアドバイスを求められることが多くなったり、展覧会に出展しないかとお誘いを受けたり、たくさんの制作や作業をこなして周りから「仕事人」と呼ばれたり。入学するまで思い描いていた、ただ「楽しい」だけの芸大生とはかけ離れているものの、充実した人生の一歩を自分の選択によって歩めていると思います。

今の僕の目標は家具デザイナーになること。それから海外留学すること、学食の唐マヨ丼を2分15秒で食べきること、卒業制作展で賞をとること、演出家の小林賢太郎さんとお友達になること、月に行くこと。現実的じゃない目標もあるかもしれませんが、それでいいと思っています。いろんなことに興味を持ち、楽しみながら試行錯誤を重ねていきたいです。「引き出しが多い方がアイデアに活かせる」と、大学の先生からもお墨付きをいただいているので。

プロダクトデザイン学科
プロダクトデザインコース
2年生
S.Y

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VOL.19

無駄なものなんて
ひとつもない

やりたいことはやればいいし、食べたいものは食べればいいし、自分で決めたことなら、いつでも進んでいけると思います。そうした自分の素直な気持ちに耳を傾け、たくさんの選択を繰り返して私は今、文芸表現学科に進学し、この文章を書いています。

高校は理数科に進学し、みんなと数学の問題をたくさん解くことに夢中になる一方で、生活の中のいろんなものに心が動かされていました。複雑な関数を解いている友達の眼差しに胸がどきどきしたり、水筒のお茶が美味しかった時、知らない家の洗濯物の香りがいい匂いだった時にも心がときめきました。そんな気持ちを何かに残したくなって、次第に「書きたい」という気持ちが溢れてきました。好きな作家がいるわけでもなく、物語を書いた経験もありません。でもふと芽生えたこの熱い想いはどんどん膨らんでいきました。

小さな頃から本をたくさん読むような子どもではなかった私が、文章を書くことを進路に選ぶなんて思ってもみなかったことだったので、どんな大学に行くべきなのかとても悩みました。総合大学へ行っても、新たな発見や喜びに出会えるかもしれないけど、「書きたい」という新しく湧いてきた気持ちを失くしたくなくて、素直に「書くこと」が学べる大学を探し始めました。

そんなとき京都芸術大学を見つけ、まずパンフレットのデザインのかわいさに惹かれ、大学のことを調べるうちにさらに興味を持ちました。文芸表現学科の授業内容が魅力的だったのはもちろん、マンデイプロジェクトや社会実装プロジェクトなど、学科の垣根を越えた取り組みからも刺激を受けられる点に関心を持ちました。さまざまなチャンネルから吸収したことを書くことにつなげ、可能性を広げていけるのではないかと思いました。

でも、物語を書いた経験もなく、昔からの夢だったわけでもないのに大丈夫なのかなという不安はずっと心の中にありました。オンラインオープンキャンパスに参加したときに、先生に質問できる時間があったので、私は緊張しながらも「本をたくさん読んできたわけではなく、何かをしっかり書いたこともないのですが大丈夫でしょうか?」と聞きました。先生は「あなたが本を読んでいない間にしてきたことは本を読むこととは別の力・経験になっているから大丈夫だよ」と言ってくださり、ほっとしました。これまでやってきた勉強も、友達と一緒に帰ることも、毎週好きなドラマを観ることも、どんなことでも芸術には繋がっていく、無駄なものなんてひとつもないと知りました。誰もが自分しか持っていない経験があって、そうした経験が自分だけの表現に活かされていく気がしました。

入学してからはより一層発見の毎日で、本もたくさん読むようになりました。まだ大学で学び始めたばかりで、何をどんな形で書きたいのかも分かりません。それもまた普段の生活や私だけの経験の中から見つけていこうと思います。今は少しずつ世界が広がっていくことへの感謝と喜びを噛み締めています。

文芸表現学科
クリエイティブ・ライティングコース
1年生
H.M

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VOL.18

普通な私だからこそ
できること

朝も放課後も土日も部活に打ち込む高校生活でした。受験期には、塾に通って勉強もしたし、よくいる「普通の高校生」だったのだと思います。でも、高校3年生になってもどうしても進路を決めることができず、両親に頼み込み、1年の猶予をもらうことになりました。

「このまま勉強をして総合大学に入って就職して、それで本当に良いのかな?」「どんな大学だと自分は納得できるのかな?」もらった1年間は、自分の人生を考える、とても良い時間となりました。進路を総合大学だけでなく視野を広げて考えるようになった頃、たまたま見ていたテレビに京都芸術大学の卒業生が出演していました。テロップに出ていたその卒業生の出身大学をふと検索し、開いたWEBサイトで目に留まったのがこの「I HAVE NO SENSE」です。「特別な人だけが芸大を目指すんじゃない」という言葉に惹かれてそのまま大学の資料請求をしたことを覚えています。受験をするまではこの大学はおろか、京都にすら行ったことがありませんでしたが、直感で惹かれるものがあり、勢いのまま母親に京都へ体験授業型選抜を受けに行くと言っていました。さらに入試でクロステックデザインコースの先生に言われた「あなたはまだ何にもなっていないから、なんにでもなれるんだよ。」という言葉に「ここしかない」と確信。無事に合格して両親を説得し、地元の神奈川を出て、気が付いたら京都で芸大生になっていました。

入学してすぐは、デッサンをしたこともなければパソコンすら触ったことのない私と、個性あふれる周りの同級生を比較して、自分が普通過ぎることに悩みました。 でも、悩みながらも1年間グループ制作などを経験するうち、今では少し自信もついてきたのか、芸大という個性あふれる空間の中ではむしろ“普通”こそが貴重な個性なのではないかと思っています。 今は、クロステックデザインコースで、さまざまな分野を横断して新しい物事を生み出す考え方を勉強しています。私は授業のグループワークなどで何か新しい物事を考えるとき、“利用する人の目線に立つこと”を大切にしています。それは、普通な私だからこそできることだと思っています。

オンライン授業から始まった大学生活ですが、さまざまな経験をしたいと思い、どんなチャンスにも飛び込んでいこうと心がけました。今は、KYOTO T5という社会実装プロジェクトに参加して伝統文化に触れたり、同じコースの先輩たちが起業し経営するawabar Kyoto(cafe&bar)の企画広報の仕事をしたりしています。そしてその活動の中、ご縁があってこの大学に入るきっかけの一つとなった、この「I HAVE NO SENSE」の文章を書かせてもらうことになりました。私は誰よりも普通です。芸術大学で学んでいても、手を動かすことよりも考えることの方が好きです。でも、考えることもとても大事なプロセスだと思っているし、これからもチャンスに飛び込むことをやめずにがんばりたいです。

情報デザイン学科
クロステックデザインコース
2年生
A.M

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VOL.17

こどもたちが
きっかけで
見えた進路

高校時代、オーストラリアとカナダに留学をしていました。 私は、中学生の頃から美術の授業が好きで、オーストラリアとカナダの高校では美術の授業を取り、自分が描いた絵で賞をもらった経験もありました。そのことから高校卒業後の進路を考えた際に芸大へ行きたいと思うようになりましたが、私はこれまで美術の授業を取っていただけで美術の知識やデッサンなどの技術もありませんでした。

帰国後に美術系の予備校へ行ってみましたが、周りのレベルは高く、もう手遅れだと正直思いました。私は逃げたくなり、2ヶ月も保たずにその予備校をやめてしまいました。その後、芸大を一旦諦めて一般の大学も視野に入れ、様々な大学のオープンキャンパスに行きましたが、自分の中でしっくりくる大学を見つけることはできませんでした。やはり心のどこかで、芸大で芸術を学びたいと思っていたのかもしれません。そんな時、母に「こども関係の大学はどう?」と言われました。

私は留学を経て、苦手だったこどものことが好きになっていました。オーストラリアのホームステイ先に7歳と8歳の兄弟がいて、私はその兄弟達と放課後遊ぶのが日課でした。最初はこどもと遊ぶのが苦手でしたし、ホームシックということもあり、一人にしてほしいと心の中で思っていたのですが、毎日その兄弟と遊ぶにつれこども達が話す英語やお父さん、お母さんの英語が聞き取れるようになり、私はその遊びを通して、英語を教わっていたんだと気付きました。感謝しかありません。それからこどもに対しての見方が変わり、こどもに関することも大学を選ぶ基準に入れました。

そんな時、京都芸術大学に「こども芸術学科」があるというのを知り、次の日に一人で東京から京都に日帰りで行きました。大学にはアポイントメントもなしに伺ったのにも関わらず、担当の方はとても丁寧に対応をしてくれましたし、気になっていたこども芸術大学(学内にある保育園)の施設も見学させてくれました。私はこの大学の雰囲気や人、こども芸術学科というこどもと関わりながら芸術のことを学べる場、そしてオシャレな京都という街に一目惚れしました。さらに、体験授業型選抜という、体験授業を通して専門課題に取り組む入試があることを知り、デッサンなどの技術に不安のある私でも受験できると思い、この大学に入ることを決めました。

「こども芸術学科はどんな事をしている学科なの?」と聞かれるたび入学当初は疑問がいっぱいありすぐには答えられませんでしたが、この学科で学ぶにつれ、こどもに関する勉強だけでなく、色彩や工作、絵本を作ってこども達に読み聞かせしたり、ピアノや歌の発表など大学生なのにまるで少年に戻った気分になれる授業がたくさんあることに気づかされました。

大学生になれば大人という見方がありますが、私達自身がこどもと同じ立場になって、アイデアを出し制作したりするのが、こども芸術学科なのではないかと私は思います。今では、京都市東部文化会館で行われるイベントのこども向けの遊びを学科の人たちと企画したりしていて、毎日楽しく充実した大学生活を送っています。

こども芸術学科
こども芸術コース
4年生
K.M

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VOL.16

行動から
生まれたこと

「美大に行きたいです。」
高校3年生の夏、希望する進路が他にあったのに担任の先生へ私が言った言葉です。

島根県の離島で自然に囲まれながらのびのびと育った私は、幼い頃から絵を描くことが好きでした。美大に行きたいかも、とぼんやり考えていた時期もありましたが、14歳の頃、画塾もないこの島に住んでいる私が、美大を受けるのは不可能だと思い、その道を諦めました。高校生になってからは野球部のマネージャーをしていたこともあり、スポーツに関わる人の栄養を管理する仕事に憧れて栄養士の資格が取れる大学への進学を希望していました。

ですがある日、京都芸術大学に通っていた従姉がSNSに、授業の課題で制作した物の投稿にとても惹かれて興味をもち、思い切って資料請求をしました。届いた資料の封を切ってみると中には魅力的なパンフレットが2冊入っていて、その冊子を読んでいるうちに、この大学は絶対に面白い。と確信し、従姉に電話をかけて授業のことや大学の様々なことを教えてもらいました。もともと従姉がこの大学に通っていることは知っていましたが、こんなに詳しく聞いたのは初めてのことで、ますます行きたいという気持ちが強くなっていき、この大学への受験を決意しました。

担任の先生に進路変更のお話をすると、みるみる先生の表情は硬くなりました。厳しい言葉も沢山いただきましたが、自分の行きたいという気持ちを精一杯伝えたことで、先生にも理解してもらい、秋のAO入試を受けることになりました。デッサンのいらない入試でしたが、入学できてからのことも考えて放課後に美術室に通い、自分なりにデッサンを何枚も描いてから受験に挑みました。結果は合格。無事に入学が決まったものの、画塾には行ったことがなかったし、デザインなんて知識もなくて「できないこと」が多いのではないかと不安だらけでした。

入学後、やはりたくさんの「できないこと」に直面しました。2029年のカップヌードルのデザインを考え展示までするという課題では、デザインの技術的な面だけでなくリサーチすること、プロセスを考えることなど、難しくてなかなか上手くできないことも多かったです。でも、その「できないこと」にぶつかるたびに丁寧に向き合い、何度も失敗しながらも再び挑み続けました。すると次第に「できないこと」が「できること」になって、自分のものになっていきました。今では、学科のクラスで一つの雑誌の作るという課題でも、リサーチした上でプロセスを考え、Illustratorを使いこなして一つの特集ページを作れるようになっています。

電車も画塾もない島で育った私ですが、今では京都のこの大学でデザインを学んでいます。でもきっと、美大に行きたいけど…と、ただ考えているだけでは実現できていなかったと思います。本当にやりたいことがあるのであれば、頭の中にしまっておくのではなく、誰かに話してみたり、行動に移してみることが大切なのだと今、実感しています。

情報デザイン学科
ビジュアルコミュニケーションデザインコース
2年
K.N

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VOL.15

入試ではじめて
気づけたこと

私がこの大学に関心を抱くようになったのは、高校2年生のときに訪れた体験授業がきっかけでした。元々美術高校の油画を専攻していたので、いくつかの芸大をまわって進路を探っていたのですが、たくさんの芸大の中でもこの大学は他とは少し違うなと感じました。

芸大というものは「高校生までに努力をして技術を身に付けた人」や「選ばれた才能のある人」が入るものだと思っていて、才能のない私は周りの受験生よりも努力をする必要があると焦っていました。この大学を志望する前は、焦りから夜中に目が覚めてデッサンを描き始めることもありましたし、自分より優れた作品をつくる友達に嫉妬して悩んだりしました。

しかし、この大学の説明会で教えてもらった代表的な受験形態は「受験するコースの授業を実際に2日間ほど受け、課題の成果物だけでなく授業に取り組む姿勢や制作のプロセスを総合的に見て合否を決める」というものでした。後に入学することになる基礎美術コースの先生からは「しっかり話を聞いて作ることができたのなら歪なものでも構わない。大学での学びは気づきを活かすことが大切だから、最初から上手くできなくて当たり前だよ。」と言われました。

基礎美術コースが幅広い日本の伝統文化を学ぶことができると知り、体験授業を受けてみることにしました。基礎美術の体験授業では、茶杓という抹茶を茶器からすくって茶碗に入れるための匙を作ると言われました。一般的な芸大の受験では、椅子に1人座って黙々と石膏像を描くようなものも多いですが、実際に受験したときのことを思い出すと、先生から茶杓の歴史や素材についての知識を聞き、コミュニケーションをとりながら作り方を教わり制作したように思います。結果は合格でした。

この体験授業を受けて今まで工芸品には関心を持っていませんでしたが、自分が知らずにいた美的感覚を教えてくれる場所のように感じ、この大学の基礎美術コースに入学することに決めました。当時はあまり深く考えていなかったのですが、今思うと「すでに努力をして技術を身に付けた人」や「選ばれた才能のある人」だけが芸術をするのではないと、あの時の体験授業で気付かされたのかもしれません。

入学後は茶道など、初めて体験することばかりで何も分からない状態でしたが、先生の教えから得た気づきを活かして自分で試行錯誤を繰り返し、歪な形でも簡単な作法ができるようになってきました。その他にも、大学にある京都伝統文化イノベーション研究センター(KYOTO T5)の活動にも参加し、漆の精製などのたくさんの京都の職人さんを取材し、ネット記事を制作することを通じて伝統文化の魅力をどう発信するのかを考えています。

色々な企画やプロジェクトを授業と掛け持ちすることもあって忙しい日々ですが、学ぶことが多く、とても楽しい毎日です。精一杯今のうちにいろいろなものを見て学びたいと思っています。

美術工芸学科
基礎美術コース 2年
Y.T

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VOL.14

少しずつ
繋がっている。

高校生の頃、進路に悩んでいました。将来の夢とまではいきませんが、私は地元の高知県がとても大好きで、地震や災害が起きてしまったとき、なにか自分にできることはないかと考えていました。でも実際に自分が地元のために何ができるのか分かっていませんでした。

そんな時、高校に京都芸術大学の方が説明会を開きに来てくださり、授業内容や通っている学生たちのことを聞き、とても興味が湧きました。お話を聞いている際に、大学パンフレットを見せてもらったのですが、他大学のパンフレットとは全く違ったお洒落で面白いデザインにとても惹かれました。それを学生が作っていることを知り、この頃の私には一生懸命何かに取り組んで夢中になっている大学生がとてもキラキラして見え、この大学なら自分のやりたいことに一生懸命になれると感じました。

このことがきっかけで初めて自分から率先して大学を調べて、この大学のオープンキャンパスに何度も参加しました。その際に空間演出デザイン学科があることを知り、ここならソーシャルデザインや地域のデザインが学べ、その学んだ力を地元のために何か活かすことができるかもしれないと感じました。

また、芸術大学って才能ある人がいっぱい集まっていて個人制作が多いのかなあと想像していましたが、実際話を聞いてみると、この大学には私と同じ普通科出身の子もたくさんいて、マンデイプロジェクトという本来関わりが少ない他学科の学生たちと一緒に授業を受けることができたり、学年関係なく参加できる数多くのプロジェクトがあったりと、全然想像していたものとは違い、私はこの大学のこの学科で4年間学んでみたいと強く思いました。

大学生になった今、この大学に興味を持ったきっかけの一つでもある大学パンフレットを今年作ることができました。その中でどれだけ頑張っても報われないことは必ずあって、美術系の高校出身の手先をうまく使える子との差があったりと、自分が本当に情けない時もありました。

でもやる気だけは誰にも負けないという気持ちで取り組んだパンフレットが出来上がったときの達成感は、今まで経験した事がないもので、私の中でかけがえのない経験になりました。

学科の授業では、実際に地域デザインをしている先生のもとでアドバイスを受けたり、デザインの見せ方を学ぶことで、少しずつではありますがこれはきっと将来「地元のためにできること」に繋がっているなと感じることが増えてきました。これからの3年間もたくさんの経験をし、将来のために繋げていきたいと思います。

空間演出デザイン学科
空間デザインコース 2年
A.N

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VOL.13

たとえスタートが
遅くても

憧れの弓道部に入部して、後先考えずただがむしゃらに練習する日々。親に呆れられる程の部活馬鹿で、放課後も土日の休みも部活をする。私の高校生活はそんな毎日の繰り返しでした。

3年生になり部活を引退する時期が近づくと、周りの人たちはそれぞれの進路に向けての準備を始めていました。みんなが行動している中、私はまだ何もしていませんでした。特に行きたい大学があるわけでもなく、学びたいことがあるわけでもなく、それ程までに私は『進路』というものに無関心でした。とりあえず、モノを作ることが好きだったので、「進学するなら美大か芸大がいいかな」と思い、部活の引退後から親の勧めでようやくデッサン教室に通い始めました。

美大、芸大に進学すると言っても、大学によって学べることは様々です。だから、まず私は何について学びたいのかを明確にする必要がありました。先生や友人に相談したり、大学について調べていると、自分の「好きなこと」を仕事にしている人たちの存在を知りました。私が「好きなこと」と聞かれて思い浮かぶのはゲームやアニメです。

兄妹が多かったおかげで、たくさんの作品と出会いました。まだそれが本当にやりたいことなのかは分かりませんでしたが、とにかく動き出そうと思い、いくつかの大学を調べ、オープンキャンパスや体験入学に何度も参加しました。その中で一番興味を引かれたのがこの大学でした。

学科の枠を超えたワークショップ型授業のマンデイプロジェクト、全ての学生が使用できる工房ウルトラファクトリーなど、この大学にしかない取り組みが魅力的で、私は進学を決意しました。念願の大学に入学してすぐの頃は、周りとのレベルの違いを強く感じました。これまでデザイン系の勉強をしていなかった分、初めて覚えることばかりで大変でした。時間をかけた作品も必ずいい評価がもらえるわけでもなく、自分の実力不足を痛感させられることもたくさんありました。でも、それと同時に学ぶこともたくさんあります。周りの人やモノから刺激を受け、吸収し、自分の糧になっていると思います。授業外でも展覧会のプロジェクトに参加しました。そこでは実際に展覧会が開催される地域に行ってリサーチをしたりと、デザインの過程を一から学ぶ事ができたし、グループワークでの制作活動に携わることで達成感を得ることもできました。

私には他人より秀でた能力なんてありません。いつも動き出すのが遅く後悔ばかりですが、今はデザインの勉強のスタートの遅れを取り戻すため、目の前にある一つ一つのことに全力で取り組んでいます。先のことはまだ分からないけれど、まずは自分がやれることからコツコツと。この大学でなら将来やりたいことを見つけられる。そんな気がします。

キャラクターデザイン学科
キャラクターデザインコース 2年
B.Y

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VOL.12

得意なことか、
やりたいことか

私は昔から運動が得意で、体育の成績はほとんどオール5で、高校ではボクシングをしていました。高校3年の6月頃までは「周りのみんなが進学するし私も進学でいいか」くらいの考えで、どこの大学に進むかは全く考えていませんでした。体育祭が終わった頃に友達が進路を本気で考え始めたことをきっかけに、私も大学を調べたり先生のアドバイスを受けたりして、体育大学か芸術大学のどちらかに行こうと思うようになりました。体育大学は得意な運動がそのまま続けられるし、芸術大学は小さい頃からテレビが好きで、映像のカメラマンに憧れていたからです。

進学相談会や合同説明会でいろんな大学の話を聞きましたが、ある時、話を聞きたかったブースが混んでいたので、とりあえず聞いておくか、くらいの軽い気持ちで京都芸術大学のブースに入りました。いざ話を聞いたら、マンデイプロジェクトでのねぶた制作や社会実装プロジェクトなど、専門分野にとどまらず幅広くいろんなことを学べるところが魅力的で、すぐに京都芸術大学について自分でも調べ、体験授業オープンキャンパスにも行き、夏期AO入試を受けました。

普段の私だったらきっと、得意なことをそのままやっていくことのできる体育大学を選んでいたと思います。ですが、この時だけはどうしても、自分の興味のある芸術大学に挑戦したいと思えた。「得意なこと」と「やりたいこと」は違うんじゃないかという気持ちがあったからです。

AO入試では、映画と空間演出デザインの2学科を受けました。カメラを持たせてもらったり、模型を制作してみたり、実際に授業を体験してみてわかることも多く、それぞれの学びから改めて進路について考え直しました。そして、先生や先輩たちの雰囲気が自分に合っていると感じたことと、デザインに関して幅広くいろんなことを学べ、何でもできるし、何にでもなれると思えた空間デザインコースを選びました。

入学してすぐの頃は、これまで芸術やデザインの勉強をしてなかった分、何をするにも初めてのことばかりでとても大変でしたが、それでもやってみたいこと、思ったことにはすぐに挑戦できる環境で日々刺激を受けながら今も学ぶことができています。一人暮らしをはじめて、疲れてても家事とかをしなくちゃならないのが大変だし、得意な運動と違って思い通りに行かないこともありますが、課題や自主制作など、工房も使いながら楽しく制作しています。

何でもできて何にでもなれそうな分、最近では本来は学科の専門ではない照明の仕事にも興味が湧いてきました。卒業後の進路に悩むこともありますが、まずは自分のできることや得意なことをもっと増やしていきたいと思っています。

空間演出デザイン学科
空間デザインコース 2年
T.S

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VOL.11

絵を描くことを通して

私は小さな頃から内気な性格で、学校でも外で体を動かして遊ぶより部屋の中で絵を描くことの方が好きでした。芸大に行きたいと思い始めたのは、中学の友だちが芸術系の高校に進学したときからです。絵が上手で、これからもきっと芸術の道に進み続けるその子を羨ましいなと思っていましたが、小さい時から絵画教室に通っていたその子と、絵を描くのがただ好きなだけの私では絵と向き合う本気さが違って、私ではとても芸大を目指せるとは思っていませんでした。それならいっそ一般大学に進学して就職した方が将来のために良いんじゃないかとか、今思うと、諦める理由を自分で作っていました。でも、自分がちゃんと良かったと思える4年間を過ごしたかったし、後悔したくなかった。大学くらいは自分で選んで自分でやりたいことを積極的に見つけたいという思いも捨てきれず、芸大生のブログを覗いたり芸大の試験内容を見たり、こそこそ調べられるだけ調べていました。そんな私の背中を押してくれたのは母でした。画塾に行くことを勧めてくれ、芸大に進学する、という目標に真正面から向かうことができ、この大学に入ることができました。

3年生になった今、絵よりも版画に夢中になったり、日本画専攻なのにイラストを描いていたりと色々なことに手を出しています。また、入学前は外で活動することなんて滅多になかったけど、最近ではSNSで見つけたイラストやデザインを仕事にしている人たちのドローイング会や勉強会に参加するなど、知らない人たちの中に一人で飛び込んでいっています。高校生の時の自分が今の私を見たら、あなた誰?ってなりそうです。

なんでこんなに自分が変われたのか、振り返ってみると、授業や活動を通して周りの人たちからの影響を受けたからだと思っています。みんな自分の意見をしっかり持っていてそれを大事にしているし、はっきりと意見を言える人も多くて初めはびっくりしたけど、吸収できることがたくさんあって面白いし勉強になります。価値観が違いすぎて日本人同士なのに異国の人と喋っている気分になる時もあります。これまでは周りに共感しなきゃとか、合わせなきゃいけないっていう気持ちが強かったけど、そうでなくてもいいんだと周りのみんなから教わりました。

私にとって絵を描くことは自分を変えていくことにつながっていました。3年かけて少しずつ、なりたい自分に近づけているように思います。内気だった自分が、思っていることを伝えられるようになってきたように、これからも絵を描くことを通して、さらに成長していきたいと思っています。

美術工芸学科
日本画コース 3年
F.A

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VOL.10

きっかけは
ささいなこと

私は、中学生の頃からなんとなくですが「芸術系の学校に進めたら良いな」と思っていました。ノートの端っこに落書きしたり、物を作ることが好きだったからです。

高校2年生の進路相談で、将来どんな方面に進みたいか考えたとき、興味のあったCGやアニメーション等を勉強したいと思いました。美術の知識が少ない私は、できるだけ幅広いことにたくさん挑戦して将来やりたいことを見つけたいと思っていました。いくつかの大学を調べてみましたが、専門的に1つのことだけを学ぶところが多く、どの大学に進学するのがいいのか悩みました。また、そもそも美術を学んでいない(高校は美術の授業がありませんでした)自分が芸術系の大学にいけるのか、と不安もありました。そんな時、京都芸術大学という大学にキャラクターデザイン学科という、CGやグラフィック、アニメーション、企画・プロデュース、ゲームなど様々な分野を学べる学科があることを知りました。

オープンキャンパスで、学科の先生に詳しい話を聞いたり、実際に自分の目で大学を見て、ここなら自分がやってみたいことも学べるし、将来自分が本当にやりたいことが見つかるのではないかと思いました。

それに加え、日本の文化が詰まった京都という土地にも惹かれたこと、デッサン未経験者へのサポートがあることを知れたことで、この大学への受験を決めました。

ノートの落書きなんて、きっと誰もがしていたことのような、ささいなきっかけからこの大学に来たけれど、今では多くのことに挑戦でき、学科を超えたつながりができるこの環境で充実した生活を過ごせていると思います。課題でも、まだ教わっていないことにも挑戦してみたり、企業と一緒にイベントの企画やプロデュースをするプロジェクトに参加したりと、自分が学びたいことを学べています。

勿論、楽しいことだけではなく、思い通りのものが作れなかったり、作れたと思っても合評でまだまだ力が足りないことを思い知らされたりと、悩んだり苦しいこともありますが、それ以上に周囲の人やモノに刺激を受け、学び、吸収できることが楽しいし、少しずつですが将来やりたいことも見えてきました。まだ教わっていないことにも挑戦してみたり、企業と一緒にイベントの企画やプロデュースをするプロジェクトに参加したりと、自分が学びたいことを学べています。

今後も目標に向かって学び続けること、やりたいことに挑戦していくことを忘れずに続けていきます。笑顔で元気に頑張ります!

キャラクターデザイン学科
キャラクターデザインコース 3年
T.N

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VOL.9

好きなもの

僕は、地元が北海道です。普通科出身で、絵も描けなければ、デザインの勉強も一切したことがありませんでした。高校で一番頑張ったことといえば部活が一番に思い浮かぶ、そんな高校生活でした。

しかし、部活も引退し、いよいよ周りも進路に向けて考え始めたころ、僕も他の人のように進路に悩んでいました。小さい頃から一緒の奴らとこのまま北海道で楽しく普通の大学に行き、そのままどこか適当なところに就職してそのまま死ぬまで働く人生。面白くないなぁと思っていました。そんな時、好きなことを仕事にしている人や好きなことに一生懸命な人にとても憧れました。そして、せっかくなら地元を飛び出して新たな人たちに出会っていこうと思い、まずは進学を本州に決めました。

もちろん地元は大好きですが、本州の人たちと話してみたいと思い、まず考えたのは東京。いや、人多すぎるし怖いなと思い、次は大阪はどうかなと思いましたが、正直もっと怖いなと思いました。結果、ちょうどいいと感じた京都に決めました。普通の大学に行くか、勇気を出して芸大に行くかについてもとても迷いました。でも、憧れた人たちのように、好きなものを突き詰めてみたい。何も知らない、できないけれどこれから知っていけばいい、これからできるようになればいいと思って、思い切って芸大に決めました。

何も知らない、できない自分だからこそできるものを作り上げていきたいと思って入学しましたが、最初は、まったく授業についていけませんでした。周りのセンスの塊のような人たちにおいていかれないように日々頑張りました。

大学に入って仲良くなった人たちはみんな一癖も二癖以上もある人たちでした。そんなみんなにはそれぞれ好きなものがあって、一緒に話しているうちに、僕自身に好きなものが増えました。それは「面白いこと」です。入学する前、ファッションデザインがしたいけど、まずはそれに必要な布のことから学びたいとテキスタイルコースを選んだように、自分が面白いと思うことを突き詰めることで、新しい何かに広がっていく、これこそが僕の求めていた面白い人生なのだと気づきました。実力がついてこないうちはやりたいことがあっても評価されず悔しい思いもしますが、次の制作に繋がると思えば、それすらもだんだん楽しくなってきます。この大学で、自分の好きなことをまずは精一杯頑張りたいです。

美術工芸学科
染織テキスタイルコース 2年
F.K

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VOL.8

目の前のことを
がんばるだけ。

「とりあえず手を動かして、モノを作るのがすき」。入学した理由といえばそれくらいで、私には特別な制作技術なんてなにもなくて、好きなデザイナー、クリエイターやアーティストもいなければ、美術やデザインの知識もほとんどありませんでした。今思えばそんな状態で入学を決めた自分に驚くし、そのせいか大学のスタートはあまり楽しいものではなかったです。作ることは好きだったけれど、1年生の頃によく周りに言われたのは「報われないキャラ」(笑)。ほんとにどれだけ努力して制作したとしても、課題の作品に関してはあまりいい評価をもらえませんでした。

周囲の美術をずっと勉強してきた子たちとの違いを強く感じてしまい、何をどうすればいいのかわからなくて、悔しかった時期は長かったです。技術もセンスもない自分にはなにができるだろう。考え続けた末に「がんばること」ならできるとやっと気づきました。それに加え好奇心旺盛で負けず嫌いな性格がプラスになったのか、いろんなことに挑戦して周りの人よりも努力して、たくさん経験を積みました。その一つにイギリスへの交換留学があります。一番悩みが多かった2年生の頃に留学をしたことは私にとってすごく大きな経験で、今までの考え方や物事の見方が変わるきっかけになり、それまでのネガティブ思考を捨てることができました。

帰国後、まずは目の前のことを頑張り、考えて行動することを心がけていると、少しずつですが物事がいい方向に進み始めました。韓国の大学生を相手に言葉が通じなくてもコミュニケーションがとれるワークショップを5日間行ったり、台湾の灯籠祭の為に現地制作に行ったりしているうちに、学科内でも作品に関していい評価がもらえるようになってきました。最近では大学で優秀学生賞の一人に選んでいただきました。まだ「自信がついた」とは言い切れないけれど、以前よりずっと楽しい大学生活を過ごせています。

この大学では、望めば、やりたいことはどんなことでもできると思います。できることの数、できないことの数は人によって違うけれど、まずそんな自分を理解し、認めてあげることが大事ではないでしょうか。そこから次のステップをひとつずつ踏んでいく。特別なものなんて私はもってなかったけれど、努力を重ね経験を積むことで一歩を踏み出せたのだと思います。なんだかんだやれているし「楽しい」と言い切れます。

空間演出デザイン学科
空間デザインコース 4年
N.M

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VOL.7

そういえば
得意だったこと

私は高校を途中で辞めて働いていました。頭も良くないし、学校に行くのは苦手だし、きっとこのままずっと働いて暮らしていくんだろう。そう思っていました。でも、「もし自分が大学に行っていたら、何かおもしろいことがあったんだろうか」。そう考え始めると、大学に行ってみたいという思いが日増しに強くなっていきました。様々な大学について調べる中でこの大学の存在を知り、マンデイプロジェクトというワークショップ型の授業やねぶたの制作に興味を持ち、この学校に行ってみたいと思うようになりました。

でも私は絵が描けないしデザインもわからなければ演技も出来ません。そんな私がどの学科に進めばいいのか悩んでいたときに思い出したことが、「私はクラスで作文を書くのが一番早かったな」ということ。遠足に行った後の感想文、読書感想文、どれも全部クラスで一番早く書き終わりました。自分の思いをどんどん文章にしていく行為がとても楽しかったし、早く書き終わればその分自由に本を読んでよかったからです。本を読むのが大好きだったことや、妄想をするのが好きだったこと。当時の楽しい気持ちもよみがえり、小説を書いてみたいと思うようになって、私は文芸表現学科に進むことに決めました。

ただ、入学してすぐに小説は書けませんでした。文章を書くのが上手な同級生が多くいて、「自分はかなわない。自分には小説は書けない」と決めつけてしまったのだと思います。
いつも話の途中で煮つまってしまい、最後まで小説を書ききれないことを学科の先生に相談すると、「それは書けないんじゃなくて、書いてないだけじゃないの?」と言われ、最初から書ききることを諦めていた自分に気付きました。そうして先生に書き方のアドバイスをもらい、考え方を変え、新しいやり方で、初めてちゃんと最後まで書ききった小説が学科の合評で代表に選ばれた時は、本当に嬉しかったです。

私は特別な才能なんて持っていないかもしれないけれど、それでも、自分の直感を信じてこの大学に進んで良かった。「小説を書きたい」なんて柄でもないことを恥ずかしくて周りに言えなかった自分に、あの時素直になれて本当に良かったねと言ってあげたいです。

いま進路に悩んでいる人も、もしかすると、身近なところに自分の得意なこと、夢中になれることがあるのかもしれません。私は今の生活が、結構お気に入りです。

文芸表現学科
クリエイティブ・
ライティングコース 3年
K.Y

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VOL.6

なんとなく、と
妥協せずに決めること

「大学を一本に絞るのもいいけどもっと視野を広げてみたら?」私がこの大学を受験することになったのは高3の時に友達から言われたこの一言がきっかけでした。それまでは、なんとなく照明関係の仕事に興味があったものの、自分は総合大学に行くんだと決めつけていましたが、その一言で芸大も視野に入れてみることにしました。芸大は就職が大変そうなイメージがあったので就職にも力を入れている学校に行こうと全国の芸大を調べて、気になったのが京都芸術大学でした。

私はこれまで勉強も制作も人間関係もバイトもなんとなくでやり過ごして来たから、「これだけは人よりできる!」と自信を持って言えることもあまりありませんでした。でもこの大学なら、全く違うことを学ぶ人たちと大きい作品を作る機会があったり、社会実装プロジェクトとかウルトラファクトリーとか、いろんなことができる機会が用意されているので、たくさんのチャレンジの中から自分に何が一番合っているのか、何に夢中になれるのかを探していけるのではないかと思い、この学校に行きたいと思うようになりました。

京都芸術大学を受験したいことを両親に話すと、自分のやりたいことをしなさいといつも応援してくれていた両親もさすがに一人暮らしは許してくれなかったので、毎晩両親を説得するためのプレゼンをしました。なんとか合格して「一人暮らしは仕送りなしで頑張る。必ず、この大学に行かせてよかったと言ってもらえるように頑張ります。」約2ヶ月に及ぶプレゼンは私のこの言葉で終わりました。今では両親と毎日今日の出来事を電話やLINEで伝えたりして、一番の応援者でいてくれています。

1年間芸大生として生活してきて、周りの人たちの作品がすごく良く見えて自分に自信をなくしたり、作品の出来に納得いかなかったり苦しいこともありますが授業では自分が知らない専門的なことをたくさん学べるし、出会った人の数だけ物事の考え方や見え方があって毎日がとても刺激的です。授業外でも同じ学科の友達と自主制作してみたり、屋上で毎週お昼ご飯を作ってみたり、時には真面目に悩みを相談しあったり、とても充実した日々を過ごせています。

もしあの時何も考えずに進路を選んでいたら、きっとなんとなく進学して、なんとなく就活をしてなんとなく仕事についてたと思います。でも芸大に来たからこそ自分の中にある「なんとなく」を少しずつ振り払うことができていると思っています。今進路に迷っている人は、最初から選択肢を狭めないで、広い視野で考えてほしいと思います。

空間演出デザイン学科
空間デザインコース 2年
N.M

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VOL.5

無我夢中で、
できることから

僕は小さい頃から絵を描くのが好きな少年でした。
きっかけは幼稚園の頃です。母に連れられて家の近くのアトリエに行きました。クレヨンで描いた絵を先生が褒めてくれたのがきっかけで通い始めました。そのあとサッカーを始め、高校は大阪の普通高校に進学しました。

高校3年生になり、進路に悩みましたが、自分の中でやはり絵が描きたい! 学びたい!という漠然とした動機から、いろんな芸大を見てまわりました。高校生の時に訪れたこの大学は先輩たちが元気で、とてもキラキラしていて、胸が踊ったのを覚えています。しかしそれと同時にネガティブな僕は「こんなすごいものは僕にはつくれない」とすごく落ち込みました。もともと僕は自分に自信がありません。得意なことも少なく、自慢できることといえば視力が良いことくらいです。そんな僕でも幼稚園の頃に初めてアトリエの先生に絵を褒めてもらったときのように、自分の描いた絵で誰かを笑顔にしたい!そう思い、勢い任せにこの大学に『挑戦』しました。

大学に入ると全国津々浦々から選りすぐりの変わった人たちが集まって来ていました。周りがそんな人たちばかりで大丈夫かなと心配になりましたが、話してみるとみんな僕と何も変わらないただの18歳で、今の流行がどうとかこのバンドが熱いとか「フツーの話」ばかりしていて安心しました。しかしもちろん僕より絵のうまい人もいっぱいいました。しかし、そんなことはもうどうでも良いのです。みんな最初は下手なんだって思って、なんでもできるこの大学だからこそ、何にでも挑戦しよう!と思い、いろんなことをしてきました。

1年生の時はみんなでねぶたをつくったり、お化け屋敷をつくったり、カフェをつくったり。本当にいろんなものをいろんな学科のみんなで力を合わせて、できないことは補い合ってつくりました。無我夢中にできることからやってきたらいつの間にか1年が過ぎ、入学当初の心配はなくなっていました。
その後も「学生が作る大学パンフレット」制作チームのリーダーに任命されたり、大学のプロジェクトで青森トリエンナーレの運営にも関わったり、カレーをつくってオープンキャンパスで振る舞ったりと「こいつ大学で何してんねん」と周りから思われていそうですが、毎日がすごく忙しくて、すごく楽しいです。

4年生になって、目がいいことだけが自慢だった僕にもいくつか自慢できるものができたような気がします。センスなんか必要ないです。必要なのは笑顔となんでもやってみることです。

情報デザイン学科
イラストレーションコース 4年
S.K

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VOL.4

やりたいことは
まだ決まってない。

私は油画コースに所属しています。芸大と聞いて一番に思い浮かぶようなコースですが、そんな私も、高校は親の勧めで行った地元ではそこそこの進学校の普通科で、授業の後は部活をして、週末には友達とカラオケに行く、よくある普通の高校生活を送っていました。

部活動が一番の佳境を迎える高校2年の秋、同級生が徐々に進路を固め始めていることを知り焦っていた私に、進路指導の先生がスポーツ推薦を勧めてくれました。部活に熱心に取組んでいた私は、うまくいけば有名私立大学に行ける、そう舞い上がっていました。ただ、推薦というからには平均以上の学力も必要になってくることを告げられ、その日以降、最後の内申点の更新日まで少しずつ勉強を始めました。しかし、現実はそう甘くはありませんでした。

推薦の断念を機に私はやる気を喪失し、途方に暮れていました。何をしてもふさぎこんでいた私にこの大学を勧めてくれたのは、これまで二言目には勉強と言い続けてきた両親でした。当時の私の進路選択のなかに芸術大学などあるはずはなく、ましてやあの両親が勧めるなんてと思いつつも、オープンキャンパスに行った私はまんまと芸術大学の選択肢の幅とその新鮮な感覚に魅了され、この大学に入学したいと感じ、入試まで残り2ヶ月という状況で画塾に通い始めて、晴れてこの大学に入学しました。

後から親に芸術大学を勧めた理由を尋ねると、返ってきた答えはなんと『私が小さいころ落書きが好きだったから』。そんな些細な理由から入学して、今年で私も3年生になります。正直なところ、明確にやりたいことは未だに見つかっていません。

油画コースに入学したものの、一歩専門科目の外に足を伸ばせばまた無数に選択肢が広がっていて、3年生になった今もなお日々新たなものに興味をかき立てられています。週末には好きな木工に没頭したり、他学科の先輩や後輩と専門科目とは直接関係のない制作をしたり、振り出しに戻って絵を描いてみたり。そして悩んだり、迷ったり、とことん考えたりするなかで日々自分が本当にしたいことを模索している状況です。ただそれがすごく楽しいんです。もし芸術大学というものに触れないまま他の普通大学に行っていたら、きっと自分の中に隠れていたいろんな可能性に気づかないままだったので、あのときの選択は正しかったのだと感じます。

美術工芸学科 油画コース 3年
M.M

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VOL.3

はじまりは
ただの憧れ。

本当に不思議なもので、オープンキャンパスに来るまではこの大学に入学する予定は何ひとつありませんでした。

小さい頃から絵を描くのが好きで、小学校の頃はCMで見た「芸大」に憧れて、漠然と行きたい気持ちもありましたが、高校に入ってからはサラリーマンになりたくて大学は経済学部を志望していました。塾にも通い、受験勉強をしていた時期に、友達に誘われて、この大学のオープンキャンパスに参加しました。そこでアートプロデュース学科の学科長と話をして、「この人についていったら人生が変わる気がする」と思いました。しかし、両親や高校の担任の先生からは芸術大学に進学することを大反対されたので、結局許しをもらえないままこの大学を受験しました。

無事に合格したものの、やはり芸大ということで担任の先生にもめちゃくちゃ怒られ、親にも大反対されていました。「ここしか大学は受けないし、行かない」と無理やり押し切る形で説得し、なんとか入学させてもらいました。はじめは渋々だった親も、家で「今日は授業でこんなおもしろいことしたんやで!」と話をしたり、制作でヘトヘトになりながらも毎日ちゃんと大学に通う姿を見て、飽き性な息子がこんなに真剣に取り組むなんてと、今では一番の応援者となってくれています。

大学の授業では、普段できない「体験」や「出来事」が山ほどやってきます。その「体験」や「出来事」には、その日、その時、その瞬間にしか味わうことのできない贅沢な時間がたくさん詰まっています。

例えば1年生前期のマンデープロジェクトでは、全学科の1年生で構成されたクラスでワークショップをしたり、クラスで1つのねぶた作品をつくりあげます。僕にとって、この授業も「ねぶた」を40人近くでつくりあげたこと(つくり上げるまでのプロセスも!)も、今では忘れられない大切な思い出となっています。

最後に、大学に入学し通学する上で注意してほしいことがあります。それは、毎日新しいことばかりで、帰りの電車がすごく睡眠に適していて「ぐっすりと眠れる」こと。そのため、最寄駅を2度、3度と乗り過ごすことが多々あるので要注意です。(自分だけだろうか?)

入学が決まるまで、絵を描いたり、作品について学んだりする機会がほぼ無かった僕ですが、本当にあの時無茶をしてでも受験して良かったと思っています。

アートプロデュース学科
アートプロデュースコース 2年
S.K

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VOL.2

小さいセンスの
かけら。

「芸大生らしくないよね。」みんなによくそう言われます。よく遊ぶ友人に、はたまた銭湯のサウナで出会ったおじさんに。大学の近くで、京大生だと間違えられたこともあります。

僕は大阪の普通科の進学校に通い、授業を受けて部活して、同じような毎日を繰り返し消費しているような普通の高校生でした。アートって?デザインって?なにそれ?っていうタイプの人間で、ましてやデッサンなんてこの大学に決めるまでやったことすらなかったです。そもそもこの大学に入ったのも、友人が紹介してくれて、ねぶたを作るのとか面白そうだったし、なんとなく惹かれるものがあって決めたくらいでした。昔からお笑いが好きで、人前に立つことに憧れがあったので舞台芸術学科に入学する事にしましたが、なにも俳優になりたいわけでは全然なかったんです。

なんとなくで大学に来たので、入学してすぐの頃は周りの人のやる気や行動力に圧倒されました。先輩や先生にグイグイ話を聞きに行く友達を見て、「自分にはできない」とよく思ったものです。授業を受けていても、みんな自分より上手く出来ている気がして、とても焦りました。

そしてその焦りの中で気が付きました。このままでは四年間が「なんとなく」になってしまう。僕はそこからここに来た理由を必死に後付けしていこうと決めました。せこいやり方ですが、きっかけはなんでもいいと思ったので。

入学してから二年。学内に限らず様々な舞台に出演する機会をいただき、たくさんの人から学びを得ました。それに舞台だけでなく、色々なことに挑戦しました。京都の商店街の町おこしプロジェクトに参加したり、マンデイプロジェクトの授業アシスタントをしたりと、とても充実した毎日です。どれもこれもこの大学に来なければ出会わなかった事のように思え、きちんとこの大学に来た理由になっていると実感しています。

ここでしか出来ない事、僕にしか出来ない事。そういうものが長い年月を経て、小さいセンスのかけらになるんじゃないかなと、それが「自分らしさ」になるんじゃないかなと思います。僕の後付けはまだまだ終わりません。あと二年、せこいやり方で楽しみます。

舞台芸術学科
演技・演出コース 3年
Y.K

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VOL.1

いちばんの特技は
挨拶。

正直に言うと、この大学に入りたいと思ったのは公募推薦入試の願書を出しに大学に来た時で、その日に受験する学科も選びました。以前聞いた、京都芸術大学に通う高校の先輩の「楽しそうな芸大生活」に惹かれて公募を受けようと決めたものの、申込みに来た日まで大学をちらっと見学したことしかありませんでした。ほとんど芸大へのイメージだけで出願しようとしたんだと思います。願書を提出した時に、大学の職員さんに「この大学に来たのは初めてですか?」と聞かれました。バレました。職員さんから初めて大学の色々な話を聞く中で、特にプロジェクトに興味が出て「あ、私も一緒にやりたい、本当にこの大学に入りたい」と思いました。高校では美術の授業はなく、雰囲気が好きで美術部風の部活に入っていて、特に漫画やアニメが好きなわけでも、バンドが好きなわけでも、好きなデザイナーがいるわけでもなく、趣味といえば飴細工を作ることでした。

高校3年生になり、友達は一般の大学を志望する中、私も4年制の大学へ進学しようと考えるようになりました。その頃、一応美術部ということもあって学校行事のイラストなどを頼まれる機会が増えました。特に絵が上手なわけではないのに、友達や先生は笑顔で喜んでくれて、単純だけどそれがとても嬉しくて、「将来何かを作って人に喜んでもらえる仕事に就きたいなあ」と思いました。だけど、もの作りはもの作りでも、それが何の仕事なのか本当に漠然としすぎて思いつかず、それなら技術を学ぼうと芸大に決めました。

現在、大学に入って3年が経ちました。大学生活では、毎週のように難しかったり不思議な課題が出て、器用にこなせるタイプではない私は休みの日も制作に追われることがあります。中には制作するだけではなく、制作物を大学の外の人に販売したり見てもらう実践的な授業もあって、どうしたら良いのか悩むこともあります。だけど、試行錯誤しながらプレゼンしたり制作したりしていくなかで自分の考えやアイデアが形やデザインになって人の手に触れられているのを見た時はとても感動しました。

大学生活で必要なことは、とにかくやってみることです。今やること、できることを探してとにかくやってみるのが大切だと思います。あとは挨拶ができれば大丈夫です。

ちなみに私は最近、「可愛げあるのは挨拶だけやな!」と言われました。みなさんは愛嬌をつけれるように頑張ってください。大学生活が私より少し楽になるかもしれません。

空間演出デザイン学科
空間デザインコース 3年
S.K