文芸表現学科

教員がいま語りたい、いくつかのこと――ここには『場』がある――【第二回・辻井南青紀先生】

こんにちは、文芸表現学科です!

 

 

文芸表現学科の先生に記事を執筆してもらう「先生ブログ」。

第二回目である今回は、小説家・辻井南青紀先生です。小説の執筆についてはもちろんのこと、創作について幅広い観点で教えてくださいます。

 

 

「物語を書く」ということから、大学生活のヒントまで。

読み終えたときには、きっと新たな視点が見つかると思います。

 

 

(以下、辻井先生による執筆)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「ここには『場』がある」

 

みなさん、こんにちは。私はこの学科で、主に物語創作についての授業を行っています。文学研究や文芸理論とはまた少しちがって、実際に小説や物語を書くという観点から、「いったい何をどうすれば書けるようになるのか」ということを考えていく、実践的な講義や演習です。

 

▲映画学科との共同授業「映画と文芸/クリエイティブ・ライティング特講Ⅳ」の授業風景

 

 

大学で、物語や文学を勉強する学科や授業というと、過去の優れた作品などを読んで研究する、いわゆる「文学部」というところが、社会一般ではよく知られていますよね。

ずいぶんと昔のことですが、私たちの世代が大学生だった頃は、物語や文学やことばについて大学で専門的に学びたいと思ったら、「文学部」か外国語学部か、と、だいたい相場が決まっていました。

大学に進学した当時の私は、こうした事情をあまり理解していませんでした。昔の作家の多くはどうやら「文学部」を卒業しているらしい、ということくらいは知っていましたけれども、では、具体的にはいったいどこで何をどう勉強したら、物語づくりについて実践的に学ぶことができるのか、全然わからないままで入学しました。

何をどうすればいいのか、ほんとうに不安なままでしたが、でもその頃は、私と同じようなことを考えているひとは、みんな似たような状態だったのではないかと思います。

 

 

学年をひとつひとつ進級していっても、物語づくりを実践的に学ぶという段階に全然至ることができず、大学三年生のときにはしびれを切らして、大学の近くにあったシナリオ講座に通ったこともありました。

キャンパスからは徒歩で二十分程度、夕刻、授業を終えて講座に向かう落ち葉の道のりを、今も思い出します。

あの頃学んだことは、実は今も、物語づくりの生きた技術知として、私の中にあります。

もしもあの時期に実践的なことを何も学ばなかったとしたら、果たして今はこういうことをやっていただろうか、とも思います。

 

 

先日、お笑い芸人のオール巨人さんがTVで、要約するとおおよそ以下のようなことをおっしゃっていました。

 

「今の時代の若手芸人はすごい。もしも彼らが、自分たちが若いころに同世代でいたとしたら、自分たちは完全に負けている。NSC(*吉本興行の若手芸人育成のための学校)一期生のダウンタウンやハイヒール以来、彼らは師匠を持たず弟子入りもせず、その代わりお互いにものすごく切磋琢磨をして、お互いから学びあい、磨きあって今に至っている。センスもすごい。かれらには到底かなわない」・・・。

 

 

小説の世界には別段、弟子入りとか師匠とか、そういう師弟関係は何もありません。誰かが何かを教えてくれるということも、通常はほとんどありません。

「やりたいなら自分で学んで、自分でとことんがんばって」というのが、今も偽らざるところの実情ではあります。

でも、もしも「独学で苦労して学ぶ十年間」を、「大学での、それ相応のカリキュラムを通してバランスよく、専門的な知識や知恵を吸収する四年間」に代えることができるとしたら、これはまず端的に、小説家になりたいひとにとってのいわゆる「修業時代」を、濃密に圧縮することにもつながりえます。言い換えれば、自分の創作に邁進する人生の時間を増やせます。

 

 

作家をめざすというのは、ほとんど先の見えない、まったく保証されていないことですから、不合理に見える苦労や心労、非常に陥りやすい無力感のループ、そして迷宮入りしかねない自問自答のプロセスに見舞われがちです。けれど、大学で専門的に学ぶということは、このように困難で不毛、むやみやたらな精神的苦痛に満ちた独学の道のりから、志あるひとたちを、一定程度解放するということにもなりえます。

 

学科が出来て以来の卒業生たちを見渡してみると、こうした場で真剣に学ぶ作家志望のひとたちは、確実に自分の小説を(良し悪しはまた別としても)書けるようになっています。

 

 

そうしたことを可能にするさまざまなカリキュラムが複合的に機能しているのがこの学科で、ここにいれば、少なくとも書けるようにはなるのでしょう。

ただし、書かれたものの価値については、もうこれはおひとりおひとりの生きざまの問題でもありますから、大学が一律に保証するということでは全然ありません(当然ですけれども)。

 

 

上述した吉本芸人の学校、NSCを例に挙げるまでもなく、やはり大切なのは「学びの場があるかどうか」ということだと思います。

ひとりで学び続けることも、同じ志のひと同士が集まって切磋琢磨することも、どちらもともに価値がありますが、しかし、表現も、学ぶことも、「場」を持たねば成立しない、ということがおそらくあり、これは、私自身が長い時間をかけ身をもって経験してきたこと、そのものです。

私にはこれまで、そのような「場」が、ほとんどありませんでした。しかしながら、この文芸表現学科には、そうした「場」が確かにある、と感じます。

 

 

 

 

 

 

 

 

(文芸表現学科 教員・辻井南青紀/構成:学生ブログライター 1年・麝嶋彩夏)

 

 

 

 

 

 

 

 

<34567>