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2020年12月14日

【アートライティングコース】「芸術とは、人間の生存という根本的な問題に向かい合う上で不可欠なものであり、特に今のように、確実性が崩壊し、社会的基盤の脆さが露呈し始めている時代には欠くことができないものである。」(モニカ・グリュッタース)

こんにちは。アートライティングコース教員の大辻都です。

世の中すべてが新型コロナウィルスに翻弄されたまま、2020年が終わろうとしています。オンラインで学べるアートライティングコースにも、顔を合わせてのイベントは本来少なくないのですが、今年にかぎってはそれらもすべてオンライン。人との対面が減った分、皆さん同様、私もこの一年はひとりで過ごす時間がいつもより多かった気がします。

異例尽くしの年の終わりに、今日は私自身がひとりの時間に読んだもの、観たものなどをふりかえり、2020年の回顧をしてみたいと思います。

まずは本から。私の専門は文学なので、もともと文学作品や批評を読むことが多かったのですが、最近はそれも含めて、アートライティング的発見を意識しての読書が増えてきました。そのことで、読みながら自分自身の考えがさまざまなレベルで作動しやすくなったという自覚があります。アートライティングコースで学びを得るのは学生だけではなく、教員もまた日々学んでいるということです。

以下の2作品はいずれも最近読んだもので、複数の著者による論集ですが、それぞれがアートライティングとして興味深い切り口だと思ったものです。

・三浦倫平・武岡暢編『変容する都市のゆくえ 複眼の都市論』(文遊社、2020年)

新宿・歌舞伎町や沖縄のコザなど、都市の変容を社会学、人文地理学、美学芸術学などさまざまな位相から読み解いてゆく論集です。個人的にもっともスリリングだったのは、松田法子「さいたま大地の「め」」でした。この論考では、人間ではなく大地が自身の成り立ちと変容を語るという驚くべき設定のもと、さいたま(見沼田んぼという重要な水場を中心に抱くさいたま市)という場所が解き明かされてゆきます。私自身、子ども時代を過ごしながら、平板で無個性な土地として愛着を持てなかったさいたま市に、歴史的にも地形的にもこれほど興味深い要素が詰まっていたとは、まさに目から鱗でした。

・上羽陽子・山崎明子編『現代手芸考 ものづくりの意味を問い直す』(フィルムアート社、2020年)

「手芸」というと、一般には芸術とは見做されず、趣味的なものとして工芸より低く見られがちなのではないでしょうか。それゆえか知的に語られる機会はこれまであまりなかったようにも感じます。本書も論集ですが、アイヌなど地域独特の伝統的な刺繍や織物から現代の手芸ブーム、ファッションとの比較まで、「つくる・教える・仕分ける・稼ぐ・飾る・つながる」という六つの視点によるアプローチがされており、服づくりなど手仕事好きとしては手に取らずにいられませんでした。アートライティングのテーマとしても手芸は開拓の余地があり、批評的な対象として大いに深めていけそうな気がしています。私も何か書きたくなってきました。

と、ここまで書いたところで、すばらしく力強い新刊書に出会ってしまいました。藤本和子『ブルースだってただの唄 黒人女性の仕事と生活』(ちくま文庫、2020年)です。筆者は『塩を食う女たち』はじめ、「聞き書き」という手法にこだわり、長年北米の黒人女性たちに話を聞きながら、その集団としての心性や意思を浮かび上がらせることに挑んできた人です。聞き書き、あるいはインタビューはアートライティングの重要な方法論ですが、そこには話を引き出す聞き手自身の経験と想像力が大きく関わっていることをこの本からあらためて感じています。
映画を配信で観るスタイルは「おうち時間」にますます広まったようですが、私の場合、空いている小さな映画館が家のすぐ近所にあるため、映画館での鑑賞の機会はむしろ増えました。そしてどうも今年は、重厚な作品を選んでしまう傾向にあったようです。

・ヴァツラフ・マルホウル『異端の鳥』(チェコ・スロバキア・ウクライナ合作、2019年)

どこにいても忌み嫌われ、迫害され続けるユダヤ人の少年の旅。首まで土に埋められ、大きな鴉に見つめられる主人公のポスターからして不穏ですが、じっさい3時間に渡り、これでもかというほど不当で残酷な仕打ちが続き、鑑賞しながらこちらが打ちのめされます。では見ない方がいいかと言われればむしろ逆で、見ることで世界の本質の理解が促されると感じました。自然状態の人間がいかに異質な者を排除しようとするか、その愚かさの記憶を刻みつけられるとともに、人間たちを取り囲む自然の風景の静けさ、美しさが目に心に沁みます。

・小田香『セノーテ』(日本、メキシコ、2019年)、『鉱ARAGANE』(ボスニア・ヘルツェゴビナ、日本、2015年)

セノーテとは、メキシコ・ユカタン半島に点在する地下の泉のことです。マヤ文明では、この世と天上をつなぐ場所とも信じられ、昔から生贄が投じられることもあったとか。とにかく水の表面と水中の映像が圧巻で、水面ギリギリに置かれたカメラが捉える水面に落ちる雨粒、水底で揺らぐ光、散らばる獣の骨、激しく湧き上がり画面を撹乱する泡などは、恐ろしさと惹き込まれるような魅力を兼ね備えていました。

一方、同じ監督によるより古い作品『鉱ARAGANE』はボスニアの鉱山とそこで働く労働者たちを扱った作品で、『セノーテ』とはまったく異なる対象でありながら、対象への距離の取り方には共通するスタイルを感じました。

他にも、ペドロ・コスタ『ヴィタリナ』(ポルトガル)、ペドロ・アルモドバル『ペイン・アンド・グローリー』(スペイン)も、記憶、痕跡をめぐる作品として印象に残っています。

舞台は中止になるものが多く、一方で無料や有料での配信が盛んに行われていました。春の自粛期間はバレエや歌舞伎の舞台などが密かな楽しみでしたが、配信で観たなかでもよかった作品として挙げられるのは、太田省吾の作品をインドのシャンカル・ヴェンカテーシュワランが演出し、数年前春秋座で上演された『水の駅』です。2時間あまりの沈黙劇の中、暗い舞台の中央に浮かび上がるように水場の蛇口があり、そこから継続的に流れる水の音だけが耳につきます。この水場の周囲に、非常にゆっくりとそれぞれ異なる多様な人々が現れ、そしてまた消えてゆく、それだけの舞台ですが、ざわついた五感が洗い清められるような感覚がありました。

同様に、台湾をベースに活動するクラウドゲイト・ダンスカンパニーによる『水月』も挙げたくなります。バッハのチェロ曲をバックに、まさに水が流れるような身体の動きが印象に残りました。

こう書いてきて、水場や水の流れに惹きつけられることが多かったと気づきました。美術展などに触れる余裕がなくなりましたが、京セラ美術館に杉本博司「瑠璃の浄土」を観に行ったときは、庭園の池に浮かぶガラスの茶室《聞鳥庵》を眺めながら、池端でぼんやりしていましたし、オラファー・エリアソン「ときに川は橋となる」展の虹のかかるミストをやはり長い間ぼんやり浴びていました。水で浄化されたいと願う心理の表れでしょうか。

それはともかくあらためて振り返ると、大変な一年と言いながら、触れることでこちらの糧になるような豊かな作品にも出会えたのだと喜びも感じます。それぞれの作品から教えてもらった世界の見方を苦しい時期を生き延びる方図に役立て、来年も元気に過ごしていきたいと思います。こんな時期だからこそ、皆さんも日々の小さな出会いを見逃さず、未来を生きていく知恵へと変えていってください。どなたもどうぞよいお年を!

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1/10(日)、11(月・祝)、16(土)、17(日)



 

 

 

 

 

 

 

 

 

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