
この作品は、茶道において炉(ろ)で使用する「灰」をつくる作業について、その過程とともに、今は亡き茶道の師匠に思いを馳せながら、灰に対する思い入れをつづったものです。
この灰は、湯を沸かすための道具である風炉(ふろ)や炉の中に入れ、燃料となる炭に対し、火床の役割を果たす欠かせないものです。
しかし、電熱式の風炉や炉の普及により、灰づくりは非日常となりました。茶道文化の中で炭や灰は息づいていますが、扱う人や知る人が減ることで、やがて消えゆくものになるかもしれないという危機感から、灰づくりの記録を残したいと思いました。
手探りの状態で始まった灰づくりは、どちらかといえば失敗例といってもいいほど、改善の余地が大いにある出来であり、師匠に遠く及びません。それでも、自分たちが今できる精一杯をもってつくった灰は愛着があり、私にとって、師匠や仲間と積み重ねてきた日々がつまった「唯一無二の灰」なのです。
※表紙画像:仲間と協力して仕上げることができた炉のぬれ灰
芸術学科 - アートライティングコース
長谷川渚【同窓会賞】
静岡県
唯一無二の灰 ――茶道における炉の灰づくり
【本文】
灰づくりのきっかけ
もし誰かに「一番思い入れのある茶道具は何か」と聞かれたら、「灰」と答えるだろう。風炉(ふろ)や炉(ろ)は、茶釜をかけて湯を沸かすための道具であり、灰は、その中に入れて燃料となる炭の火床の役割を果たす欠かせないものである(写真1、2)。そして、その茶道用の灰は一朝一夕にはできない。市販の灰を購入することもできるが、基本的に自らの手でつくるものだ。風炉は主に立夏から立冬の頃までのものとして使い(1)、立冬の頃に炉を開く(2)。そのため、立夏前に風炉の灰の準備、夏に炉の灰の下準備、立冬前に炉の灰の準備と、少なくとも年に3回は灰づくりの作業が生じる。私自身は、師匠がつくった灰を使わせていただいていたため、自分で灰づくりをする必要はなかった。しかし、2017年に師匠が亡くなった。師匠も稽古場も失った私たちは、しばらくの間、電熱式の炉や風炉を使用していたものの、それでは炭と灰を用いた炭点前ができない。点前に必要な灰をつくるべく、私たちの灰づくりが始まった。
炉の灰づくり
そよ風が心地よい2022年10月下旬の秋晴れに、茶道仲間3人で炉の灰づくりを行った(写真3)。炭の燃えかすを尉(じょう)というが、これが茶道用の灰の原料となる。集めておいた尉は、灰篩(はいふるい)で余計なごみを取り除き、ぬるま湯でアクを抜き、ある程度乾かしておく。夏の間に下準備として、炉で使用した灰は、アク抜きした灰とともに作業用の樽(たる)に入れ、まんべんなく番茶をかけ、よく練った後は寝かせて自然乾燥させる。今回は、その保管していた灰をかき起こし、篩にかけて、炉で使用する「ぬれ灰」をつくる作業を行う。
茶道を始めた頃、灰づくりで疑問に思ったことがある。そもそも、なぜ灰に番茶をかけるのか。番茶ではなく水でもいいのではないか。炭が燃え尽きてできた灰は白に近いグレー色をしているのに、炉中の灰はなぜベージュ色なのかといった疑問だ。
それは、番茶をかけることで灰を染めると同時に、茶汁にはタンニンなど収斂性のある物質が含まれているため、灰を適当な硬さに固める作用があるからだ(3)。灰の上に五徳や茶釜をのせることを考えるとひきしまった灰が適しており、水だけでは灰がしまらない。毎年、番茶をかけて練ることによって灰がしまっていき、年を重ねるごとに薄いベージュ色から徐々に濃さを増し、深みある黄褐色へと染まっていく。そして、一連の灰づくりを最低10年繰り返して、ようやくある程度の灰ができあがるという(4)。つまり、黄褐色の灰というのは、よくしまった理想的な灰の証なのである。
その理想的な灰を目標に、灰づくりの作業を手分けして行う。本来、ぬれ灰として適度な水分量の状態であれば、3ミリ四方のマス目の網に灰をこしていくのだが、今回は灰が乾きすぎてしまったため調整作業を加えた。ひとりは、樽の中の乾いて固くなった灰を削るようにかき起こしていき、もうひとりは、かき起こした灰を細かく砕いていく。私は、乾いた灰と番茶で練っておいた灰を混ぜ、適度な湿り気を帯びた状態にしていく。灰づくりは点前ではなく、裏の仕事のため細かい決まりごとはない。しかし、この調整作業はいささか邪道かもしれないと心の片隅で思いつつ、これも作り手の工夫だと開きなおって、ぬれた灰に少しずつ乾いた灰を加えながら、しゃもじを使ってひたすらかき混ぜていった。
私たちが手にしている灰は、師匠から分けてもらった灰がもとになっている。稽古のたびに炭を使わせてもらい、そこで生じた尉が加わって、年月を重ねて少しずつ増えてきたものだ。灰に触れていると、自然と師匠のことを思い出す。師匠は、凛とした佇まいの女性だった。稽古日は常に着物姿で、姿勢を崩すことなく半日もの間正座し、次々とやってくる弟子を相手に指導された。稽古の開始時間である午後1時に伺うと、玄関からほのかにお香の香りが漂い、稽古場はすぐにお点前が始められるよう万全に整えられていた。灰づくりに関しては、灰を保管している倉庫の様子をみせながら、「本当に灰づくりは大変なのよ」とつくり方を口頭で教えてくれたものの、実際の灰づくりは、師匠と一番付き合いの長い、気心の知れた弟子とふたりだけで行っていた。
そんなふうに師匠に思いを馳せているのは、私だけではなかった。やがて、師匠との思い出話がぽつりぽつりとあがってくる。姉弟子が師匠の灰づくりに関して、「先生は一番弟子を除いて、弟子に頼る人ではなかったよね。恰好悪い姿を弟子にみせたくなかったのかもしれないね」と語る。自分たちの姿をみれば、汚れてもよい作業着に目深に帽子をかぶり、マスク着用のうえ、ビニール手袋をはめた手で一心不乱に灰をかき混ぜている。灰にまみれ、汗をかきながら作業する姿は確かに人にみられたくないけれど、弟子としては少し寂しく、一方でそういうところが師匠らしいとも思う。
やがて話題は灰の湿り具合に移る。「先生のつくったぬれ灰は湿り気が多かった気がする」「そこまで湿っていなくてもいいけど、乾きすぎると灰が舞ってしまうし加減がむずかしい」「粒の大きさは、先生のつくった灰の方が細かかったよ」。程よい加減になるよう、姉弟子に灰の状態をみてもらいながら進めていく。この灰の湿り具合というのが、火加減を左右する。炉の炭点前では炭をつぐ前に、炉中の乾いた灰の上へ、ぬれ灰を全体にまく。習いたて当初は、かえって火がつきにくくなるのではないかと思っていた。しかし、実際のところ、わずかな水分を含んだ灰をまくことで、炭の燃焼にともない熱せられた灰から蒸気があがり、生じた上昇気流によって炭の間に風がおこり火がついていく(5)。そして火がまわればあっという間に灰も乾いてしまう。
手元の灰が程よい湿り具合になってくると、やがて小さな粒の塊ができる(写真4)。その塊を灰篩にかけて粒の大きさを振り分けていく。灰篩には、網目の大きさの異なるメッシュがあり、まず約6~7ミリ四方のマス目の網で篩にかける(写真5)。篩にかけた灰を、さらに網目の細かい篩にかけて細かい灰を落とし、篩の中に残った粒の大きさがそろったものを、炭点前で使用するぬれ灰とした(写真6)。ぬれ灰としては若干粒が大きくなってしまったものの、1時間半程でなんとかぬれ灰を仕上げることができた。
仕上がった灰を使ってみて
仕上がった灰の一部を炉に入れ灰形を整えたところで、やっと炉が使えるようになる(写真7)。早速、私たちが作ったぬれ灰を、灰さじにたっぷりすくって炉の中へまいていく。長年慣れ親しんできた師匠のぬれ灰の感覚で灰をまいたところ、少しの傾きで勢いよくこぼれ落ちてしまった。師匠のどっしりとした灰に比べ、私たちの灰はずいぶんと軽やかだ。あまりの使用感覚の差に、今後この灰と付き合っていくことを思うとため息がこぼれそうになる。20年近くなじんだ感覚を捨て、新たな感覚を身につけるには思いのほか時間がかかるからだ。それ以外にも、灰が変わったことによって炭のつぎ方にも注意が必要となる。師匠の炉につがれた炭は、少し火がつきにくい反面ゆっくりと火がまわり、火の持ちがよかった。私たちの炉に組まれた炭は、火がつきやすい反面、火持ちが悪い。炭のつぎ方にもよるが、灰のつくり手が変わるだけで、火のつき方から火のまわり方、灰の質感までがこんなにも変わってしまうものなのかと驚かずにはいられない。
「うまい人のお点前をよくみておきなさい。人のお点前をみることも稽古のうちよ」と師匠によくいわれた。お点前とは異なるが、もし師匠と一緒に灰づくりができていたら少しは違っただろうか。「普段からできないことは、稽古場でもできないのよ。茶の湯は日常の延長にあるの」という師匠の言葉が浮かんでくる。灰づくりに限らず、私にとって茶の湯はいまだ非日常だが、師匠にとっては日常だった。いうなれば茶道用の灰は、これまで惜しみなく費やしてきた時間や経験の蓄積が、具現化したものである。そうしてみると私たちの灰は、費やしてきた時間も短く、経験不足による未熟さがよく表れている。60年近く灰をつくり続けてきた師匠と比べれば差は歴然であり、己の未熟さを痛感する。そして、灰づくりは否応なしに茶道にまつわる記憶を揺さぶってくる。来年はきっと、師匠の思い出とともに、今回の灰づくりについて思い出すだろう。他人からみれば、たいした価値のない灰に過ぎない。しかし、私にとってこの灰は、師匠との思い出や、仲間と積み重ねてきた日々がつまった「唯一無二の灰」である。
【要約】
簡潔な内容
茶道の師匠が亡くなったことをきっかけに、炭と灰を用いた炭点前で必要となる灰をつくるべく、私たちの灰づくりが始まった。
仲間とともに行った灰づくりの作業を通して、師匠に思いを馳せ、灰づくりで疑問に思ったことなどを思い出しながら、灰を仕上げていく。
仕上がった灰を使ってみると、師匠がつくった灰と、自分たちがつくった灰は、だいぶ異なることに気づく。つくり手が変わるだけで、火のつき方から火のまわり方、質感まで変わることに驚嘆する。
いうなれば茶道用の灰は、灰づくりに費やしてきた時間や経験の蓄積が、具現化したものである。その結果、己の未熟さを知ることになる。そして、灰づくりは、否応なしに茶道にまつわる記憶を揺さぶってくる。私にとってこの灰は、師匠や仲間と積み重ねてきた日々がつまった「唯一無二の灰」である。
意図と目的
灰づくりは点前ではないため、細かい決まりごとはない。故につくり手の事情や環境などの都合から、創意工夫の余地があり、そこに面白さがある。
電熱式の風炉や炉の普及により、灰づくりは非日常となった。茶道文化の中で炭や灰は息づいているが、扱う人や知る人が減ることで、やがて消えゆくものになるかもしれない。その危機感から、灰づくりの記録を残したいと思った。
全体の構成
(序論)
灰づくりのきっかけ
導入として、茶道用の灰についての説明と、灰づくりに至ったきっかけについて述べる。
(本論)
炉の灰づくり
灰づくりの大まかな流れを簡単に説明したあと、灰づくりで疑問に思ったことをあげ、その答えとともに、これからつくる灰の理想的な状態について述べる。そして、灰づくりの作業の様子と師匠についての回想を織り交ぜながら、灰を仕上げていく様子を描く。
(結論)
仕上がった灰を使ってみて
仕上がった灰を使用した様子と、その感想を述べる。次に、師匠がつくった灰と自分たちがつくった灰を比較し、その結果として己の未熟さを自覚するに至る。そして、この灰が自分にとっていかに特別であるかを述べ締めくくる。
【註】
註(1)千宗左『表千家茶の湯入門 上 風炉編』主婦の友社、2001年、31頁
註(2)千宗左『表千家茶の湯入門 上 風炉編』主婦の友社、2001年、32頁
註(3)『灰形と灰の作り方(表千家流) 』堀内宗心監修、世界文化社、2004年、4頁
註(4)『灰形と灰の作り方(表千家流) 』堀内宗心監修、世界文化社、2004年、74頁
註(5)『灰形と灰の作り方(表千家流) 』堀内宗心監修、世界文化社、2004年、4~5頁
【参考文献】
千宗左『表千家茶の湯入門 下 炉編』主婦の友社、2001年
千宗左『定本 茶の湯表千家 上・下巻』主婦の友社、1986年
千宗左『即中茶記 第一分冊』河原書店、1949年
千宗左『即中茶記 第二分冊』河原書店、1950年
『教授者講習会講座用教本』不審庵、2008年
久田宗也『口切の茶事』千宗左監修、茶と美舎、1993年
『よくわかる炭点前と灰の扱い(表千家流)』堀内宗心、堀内宗完監修、2019年
『且坐と廻り花(表千家流)』堀内宗心監修、世界文化社、2005年
『炉の正午の茶事と夜咄(表千家流)』堀内宗心監修、世界文化社、2004年
『はじめて学ぶ水屋仕事』堀内宗心監修、世界文化社、2001年
堀内宗心『表千家の茶懐石――亭主と客の心得』世界文化社、2000年
『茶の湯 表千家 掃径迎良友』日本放送協会NHK出版編集、NHK出版、2022年
『茶の湯 表千家 清流無間断』日本放送協会NHK出版編集、NHK出版、2018年
熊倉功『茶の湯の歴史 千利休まで』朝日新聞社、1991年
熊倉功『近代茶道史の研究』日本放送出版協会、1982年