卒業生紹介

京都芸術大学を卒業し、
活躍している先輩を紹介します。
卒業生インタビュー

松岡建次郎さん

株式会社ナナメ 代表取締役

手を動かし続けた分だけ、積み上がっていく。
―映画、アイドル活動、20人との卒業制作。常に誰かとものをつくってきた経験が、今をつくっている。

コミュニケーションの一環として、ものづくりをする。

映像制作に興味を持ったのは、いつごろだったんですか?

松岡
中高と音楽をやっていて、映像に興味を持ったのはミュージックビデオからですね。高校のときは月に1枚CDをつくって、学校で売るっていう活動をしていたんです。

自分でつくったCDを売ってたんですか?

松岡
音楽が好きな友だちを連れてきて、歌詞を書いてもらって、音をつくって、歌ってもらって、その友だちのつながりで売り歩くっていう(笑)。

すごい。つくるだけじゃなくて売るところまで!

松岡
自分だけで音楽をつくりたいというよりは、そういうコミュニケーションの一環として、ものづくりを仕事にできればいいなというのを、なんとなく思っていました。

はじめは、音楽だったんですね。

松岡
最初はそうですね。ただ音楽で食べていきたいというのはあまり思っていなくて。音楽でアーティストとしてデビューするよりは、つぶしが効くだろうということで映像に目を向けて、大学に入ったら映画を撮って、自分の好きなことをやり切ってから社会に出て行こうと思っていました。

大学はどうやって選んだんですか?

松岡
当時好きだったアーティストのMVを撮っている作家さんが京都芸術大学の教授をされていることを知って。その人がいるなら行ってみたいな、と思ったのが興味のきっかけです。

リスペクトしている作家さんが、先生の中にいたんですね。

松岡
でも正直、学校はどこでもいいと思ってて、自分が何をやるかが大事だと思っていました。オープンキャンパスも行ってなくて、受験のときに初めて京都芸術大学のキャンパスに行って。そしたら、鴨川が良すぎて(笑)。

鴨川が良すぎた(笑)。

松岡
秋に推薦入試を受けて、そのあと他の美大も受けようと思ってたんですけど、もう環境が良すぎるし、ここで生活できることがすごくいいなと。

心惹かれるものがあったんですね。

松岡
今は関東で暮らしていますが、正月に弟と京都をまわる機会があって。自転車を借りて巡ったんですけど、やっぱり改めて、ものすごくいい街だなと思いましたね。 まだ行ったことのない人は、ぜひ出町柳の駅で降りて、街や鴨川の風景を見てみるといいんじゃないかな。

 

となりの席の学生が、今では仕事のパートナーに。

大学で印象的だった出来事はありますか?

松岡
今、株式会社 ナナメという映像制作の会社を経営しているんですけど、右腕として経営を支えてくれている宮入祐輔というメンバーが、同じ学科でとなりの席だったんです。入試の番号が前後で。

となりの席に座った人と、今一緒に会社を!

松岡
何だかやばい奴いるなぁと思っていて(笑)。気づいたら今、一緒に会社をやっている。 昨日も平日にも関わらず、インド映画を一緒に観に行ってきました。宮入が結婚したメンバーもうちのプロデューサーとして働いてくれてるんですが、彼女も同級生なので、3人で。

今も仲が良いんですね。めちゃくちゃいいですね。

松岡
そうですね。同じようなものが好きなので。

今も、一緒にいる。

松岡
宮入とは入学して最初の1週間で友達になって、次の週には、自分のつくりたい映画の主役をやってほしいと頼んでいた記憶があります。

入学して一週間でもう映画をつくりはじめてたんですね!

松岡
なんか面白いことをやりたいという気持ちがあって。一人でつくるんだったらそれでもいいんですけど、みんなでないとできないことって、映画だと多いので。

映画づくりを通して、一人じゃできないような面白いことにチャレンジしようと?

手を動かし続けないと、経験として貯まっていかない。

松岡
すごく良かったのが、1年生のころ、いろんな学科のみんなが集まって2週間くらいかけて一緒に巨大な“ねぶた”をつくる「瓜生山ねぶた」という恒例行事があるんですけど、そこで一気にいろんな仲間と出会うことができたんです。建築を学んでいるメンバーに、撮影用の小屋を建ててもらったり。

すごい。建築の人も巻き込んで。

松岡
最終的には30人くらいを巻き込んで、たくさんの人に手伝ってもらいましたね。

どんな内容の映画だったんでしょう。

松岡
一応賞はもらったんですけど、今ふり返ると無駄なシーンも多くて下手くそな映画です。でも、15人くらいの会社を経営していて今思うのが、友だちを巻き込んでCDを売ったり映画を撮ったりしてきた経験が、チームビルディングの練習になっていたんだなと。

チームビルディングの練習に。

松岡
それともうひとつ意識していたことが、「手を動かし続けないと、絶対に自分の経験として貯まっていかない」ということです。

手を動かし続けないと貯まっていかない。

松岡
今でもそう思っています。よく「面白そう」「こんなことをできたらいいよね」と友だちと言ってても、実際にやらないことっていっぱいあるじゃないですか。

「面白そう」で終わっちゃうっていう。

松岡
どんなしょうもないことでも、かたちにすることがものすごく大事だと思っています。

実際に手を動かし続けてきた松岡さんだからこそ言える言葉ですね。

松岡
つくったものを誰かに見せると、フィードバックがもらえる。その積み重ねが、スキルの向上につながって、自分自身の人生にも積み上がっていくと思っていて。

かたちにするからこそ、周りからのフィードバックをもらうことができるんですね。

松岡
その点、京都芸術大学に入ってすごく面白いな思ったのが、社会とつながりをもってものづくりをする場面が多いんですね。

たしかに。つくって終わりではなく、社会とどう接続するかということを考えるプロジェクトが多いように感じます。

みんなが乗っかると、自分だけじゃ出せないパワーが出せる。

松岡
1年生で映画を撮りきった後、「情デKIDS」っていう大学公認アイドルみたいなチームを立ち上げたのですが、その頃、秋元康さんが副学長としていらっしゃって。まだAKB48が大ブレイクする前、春秋座(京都芸術劇場の大劇場)での公演の前座を僕たちがやらせてもらって。

すごいですね!どういうきっかけでアイドル活動を?

松岡
授業で、何つくってもいいよ的な課題があったんですけど、それを本当に好きにやらせてもらって(笑)。映像の技術を実験することが目的で、ミュージックビデオのようなものをつくったんです。先生たちや他の学科のみんなにも協力してもらって、いろんな人を巻き込んで映像を撮ってました。

課題として押さえておくべき技術も、ちゃんと取り入れつつ。

松岡
そうですね。「情デKIDS」のように、大学の取り組みとして面白い実験をして、そこにみんなが乗っかっていくことで、自分だけじゃ出せないパワーが出せるなと。自分のつくりたいものがあったというよりも、その時々で面白いと思ったことをやっていた学生時代でした。

卒業制作も映像を?

松岡
30分の映画を撮りました。

1年生のときに撮った作品とは別に?

松岡
別で、廃墟を舞台に。廃墟に住み着いた人をそこから追い出すというストーリー。廃墟が「大学」で、そこから出ていくことを「卒業」に見立ててつくりました。撮ってて楽しくて、瓜生山賞ももらったんですけど、実は僕のなかではしっくり来てなくて、やっぱり伝わらないなと思って。

伝わらないもどかしさがあったんですね。

松岡
自分の卒業制作はそんな感じだったんですけど、実は20人ぐらいの卒業制作を手伝っていて。

20人!??

松岡
かなりの量をやりましたね。僕が半分ぐらいつくるというのもあって。一番面白かったのは、頼んできた子も瓜生山賞をもらったんですけど、「自分が主役のドキュメンタリーを撮りたい」ってことで、構成と撮影と編集を僕がやるっていう。ほぼ僕のやつやんみたいな(笑)。

20人から、自分の卒業制作も手伝ってくれっていうオーダーが舞い込んできたんですか。

松岡
面白いことを僕と一緒にやりたいと言ってくれて、じゃあ卒制でやろうかと。

じゃあ学生の頃から、みんなの意見のまとめ役とかもしていたんですか。

松岡
そんなことはないです。好きなことをやりたいので、面白がってくれる人は一緒にやろうという温度感でした。

ほんとにずっと手を動かし続けていたんですね。いろんな人の作品も手伝いながら。

「情デKIDS」の映像を見せてくれました。

 

自分の持っているスキルで、社会で使えるものは何か。

仕事として、「これでやっていこう」と思ったタイミングはあったんですか?

松岡
実は大学生の時、社会に出るイメージがあんまりできなかったんです。映像制作会社との接点もあまりなかったし。3年目の人がどうとか、5年目の人がどうしてるとか、そこまで全然想像できなかった。大学出る直前まで、映像で食っていこうって思ってなかったかもしれないですね。

それくらい、厳しい世界だと思っていた?

松岡
ふり返ってみると大学を出たタイミングで、東日本大震災もあった。どうやって社会で役に立てるのか。自分の持っているスキルで、社会で使えるものって考えたときに映像だった。

卒業して、フリーランスになって、どんな感じで今の仕事につながっていったんですか。

松岡
なんでもやるっていうだけです。特別なことがあるというより。

なんでもやる。

松岡
自分のつくりたいものだけをつくっているわけじゃない。それは社員にも伝えていますね。お金を出しているのはクライアントの方なので、そのお手伝いをするというマインドじゃないと続かないのかなと。好きなことをやって得たスキルで、仕事をしているという感じですね。

自分の好きな作品をつくることと、仕事で映像をつくることは、松岡さんの中で切り離している感じですか?

松岡
自分のやりたいことをやっているというよりは、お客様のやりたいことをやっているという感覚ですね。「そっちの方がいいよな」と自分は思っても、お客様が「こっち」って言ったら、そうですよね、と。クリエイターとして社会でやっていくんだったら、優先度はお客様にしないと、けっこう苦しいというか。そこは普通のサービス業と同じなのかなと。

仕事されている中で、大学時代のこういう経験が活きているなと思うところはありますか。

松岡
活かせるスキルは時代ごとに変わっていくと思います。僕はもともと、実写の映像を撮っていたけど、今需要として多いのは後から修正もできて比較的手頃な価格で作れるモーショングラフィックなので、宮入に教わりつくれるようにしました。逆に、そのとき必要じゃないと思っても、後から使えるスキルや人のつながりもある。それは自分に積み重なった経験があるから。そうなるには、自分で手を動かしてやり続けるというのが一番手っ取り早いなと思います。

なるほど。

松岡
つくって、ダメ出しをくらいまくるのが一番。大学では、それを学びとして得られたと思いますね。意外とみんな興味をもってくれないとか、全然伝わらないとか。いっぱいつくったから、学べたことだと思います。

つくったものに反応をもらうことが、一番の学びになるんですね。

松岡
教授や友だちからフィードバックをもらって。口で説明したら伝わるけど、ものでは伝わらないことがめちゃくちゃあった。伝えるにはスキルがいるんだというのが大きな学びですね。

今、一般の大学か、美術大学を目指すか、迷っている人がいるとしたら、どんなアドバイスを贈りますか?

松岡
僕がかけられる言葉としては、社会に出て、たくさん稼いで成功することは、美大を卒業してもできる。ただ、茨の道だと思います。好きなことにしばられちゃう。普通の大学に行って、いい会社に行くほうが安定した結果になる気がします。高校生活を違和感なく送れてるんだったら、そのまま行っちゃってもいいと思う。

なるほど。

松岡
美大をおすすめする人は、その道に絞りたい人。好きなことがすぐに共有できて、似たようなものが好きで、向かいたい方向も近い、という環境を求めている人には、美大をおすすめしたいと思います。迷っている人は、人をつなぐ力でものをつくる人もいるので、そういうポジションもあるかなと思います。

人をつなぐ、という役割もものづくりの中で重要なんですね。

松岡
やっぱりコミュニケーションを大量にとるんです。ものをつくるときって。ものづくりが好きで、人と接するのも好きな人は、そういうポジションを経験するために美大に行くというのもありだと思います。

とても貴重なお話を、ありがとうございます。

 

 

取材・記事|久岡 崇裕(株式会社parks)

卒業年度・学科
2011年
情報デザイン学科 卒業
出身高校
三重県立桑名高校
プロフィール
大学卒業後、広告制作会社やフリーランスでの活動を経て、大学時代の友人たちと株式会社 ナナメを設立。「鋭く広く」を理念として掲げ、ABEMAやJR 東日本、ソフトバンク、Ado『ウタカタララバイ』MV など、多くの映像制作を手がけている。

作品

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Pokémon GO 5周年記念映像 モーショングラフィックスを担当。国内外の制作会社と共作。

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Yahoo! JAPAN CI モーショングラフィックスを担当。 Yahoo! JAPANの社内ブランディングチームのデザインを元にさまざまなサービス毎の映像も制作。

株式会社ナナメ

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