芸術時間

芸術とは美術館の中にあるものだけではありません。実は我々の身近な生活空間にもいくつも潜んでいるものでして、この村の住人は常にそれを探求しています。ここでは本学教員がそれぞれ見つけた「芸術時間」をコラムにしてご紹介します。
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亡き母の絵手紙


芸術を楽しむ


 私事である。昨年、一人暮らしだった母が亡くなり、ようやく重い腰を上げ遺品整理を始めたが、多趣味だった母の残した遺品の山に未だ片付かず、途方に暮れている。母の多趣味は、社交ダンスに始まり、読書に絵画鑑賞、ちぎり絵、陶器収集などと彼女の旺盛な好奇心には、今になって関心させられる。
 このところは絵手紙にはまり、絵手紙教室に通い、日々、日記のように作品を描いていたようで、遺品のなかからたくさんの作品が見つかった。そういえば、新しい絵の具を手に入れたり、お気に入りの筆が見つかると、うれしそうに私に見せびらかしていたのを思い出す。
 どちらかというと不器用で、別に芸術に素養があった人ではなのだが、とにかく自分の人生を楽しみたいという思いで、いろいろなことやものに首を突っ込むように興味を持っていた。
 絵手紙の仲間との旅先での急死だったが、趣味を通して知り合った仲間との出会いや語らいも、彼女にとっては芸術から得られる大切なものだったのだろう。亡くなる前日、旅先からの送られてきた写真には、彼女の誕生日を祝うたくさんの笑顔に囲まれた満面の笑顔が写っていた。
 今思えば、そんな母の姿には、本学通信教育課程に在学している学生のみなさんを重ね合わせることができる。決して上手くはない彼女の作品だが、それを観ていると「生まれ持った素養?センス?そんなことはどうでもいい。自分の人生が楽しく豊かになれば、稚拙であろうが無骨であろうがそんなことはどうでもいい」という母の声が聞こえてくるようで、芸術大学の教員として、何を学生のみなさんに教えなければならないのか、あらためて考えさせられた。
 在学生のみなさんも大いに芸術を楽しみ、学生生活を謳歌してもらいたいと思う。私も初心に戻って、芸術の楽しさをみなさんに伝えていきたい。