芸術時間

芸術とは美術館の中にあるものだけではありません。実は我々の身近な生活空間にもいくつも潜んでいるものでして、この村の住人は常にそれを探求しています。ここでは本学教員がそれぞれ見つけた「芸術時間」をコラムにしてご紹介します。
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アトリエにて


「赤い静物画」


 この作品で何を表したいのか。という問いは絵を描いている人なら一度は指摘された事があるか、自問自答した経験を持っているのではないだろうか。『星の王子さま』に出てくるイラスト〝象を飲み込んだウワバミ〟のように人によっては帽子にしか見えないウワバミの絵だって存在する。鑑賞者側の解釈の幅がないと読み解けない事もある。その上で作家はどこかにいる(と願いたい)通じ合える鑑賞者を求めているのではないだろうか。求めていないと言ったとしても作品発表をする限り他者の反応がなければ成立しない。じっと鑑賞してくれる人もいれば、足を止めずに素通りされる事もあるし、嫌いだと言われる事もある。
 私がこれまでに一番印象的だった鑑賞者について書きたい。高校生の頃、一枚の静物油彩を描いた。瓶や林檎などのオーソドックスなモチーフを組んだものだったが、全体を赤い色調にまとめた静物画だった。完成した絵をなんとなく壁に立て掛けていたところ、当時部屋で放し飼いにしていたリクガメがまっすぐ絵に向かっていった。そして赤い絵の中から林檎を選んでキャンバスに齧り付こうと噛む動作を繰り返していた。その亀は元々可愛いがっていたがあまり意思疎通はできた事がなかったので、その光景を見て本当に嬉しい気持ちで満たされた事を今でも鮮明に覚えている。私が描いた林檎は亀にとっても林檎だった。
 今も制作を続ける中で私の描く林檎を受け取ってくれる鑑賞者はいるだろうかとふと想う。表象的なリンゴのイメージは仮の姿であり、そこには別のメッセージが含まれている。描きたいものは仮の姿を借りる事で目に見える形として立ち現れる。
 亀の色彩感覚は私にはわからない。亀は私が詩を読み聞かせてもわからないだろう。あなたは私が涙する理由がわからないかもしれない。私もあなたが何に対して笑っているのかわからないかもしれない。けれども、たくさんのすれ違いの中で、齧りつきにくるようにまっすぐ絵に向かってくる誰かの存在を、少し夢見てしまう。