芸術時間

芸術とは美術館の中にあるものだけではありません。実は我々の身近な生活空間にもいくつも潜んでいるものでして、この村の住人は常にそれを探求しています。ここでは本学教員がそれぞれ見つけた「芸術時間」をコラムにしてご紹介します。
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安住柴風さんのさまざまな茶杓


伝統文化を維持するもの


 先日、淡交社から「伝統文化」に関する新書を上梓する機会を得た。歴史学で考えると「伝統」とは造られた物語である。個別の「文化」がいつから「伝統文化」と呼ばれるようになるのかには、それぞれの経緯がある。ただ、伝統と聞いてしまうと、我々現代人は「昔からある」ように思い込みがちだ。例えば伝統文化の代表ともいうべき茶道に関しても、喫茶文化が発展していく中世の頃には、未だ伝統とは言いがたい。近代になってから茶道に存続の危機が訪れて、「伝統文化」に昇華される。伝統文化とは、単純に古くからあるもの、それが古色蒼然と墨守されるものではなく、時代々々の人々によって創意工夫がなされて維持・継承されて今日に至るものだ。
拙著の執筆にあたり茶杓師の安住棄風さんの茶杓を拝見させていただいた。茶杓とは抹茶を掬う匙である。薬匙が転用され、佗び茶の祖といわれる珠光が今日の形である竹材を用いたと伝えられている。写真は安住さんが造られた茶杓の数々である。古い形を模したものや、新たに造ったものまでさまざまである。一っとして同じものがない。時代や茶人の思い、また茶杓師の創意工夫によってさまざまな「なり」が生み出されていることがよく分かる。文化とは、それを愛好する人の想いによって維持され、積み重ねられていく。私はこの茶杓を見たときにオーストリアの建築家、ハンス・ホライン(1934,2014)が1976年主催した展覧会『ManTrabsFORMS』で列べられたハンマーの数々を想起した。ハンマーは人間が何かを叩く・打っために発明した道具であり、もとは石か鉄の塊であったものが、デザインの改良を経て今日の姿に辿り着く。これも言葉を変えれば、創意工夫の賜物である。
創意工夫とはデザインにとても近い思考である。こうした思考は普遍的なものといえよう。「伝統文化」とは文化が創意工夫によって、普遍的な価値を持つに至り評価されたものといえるだろう。