芸術時間

芸術とは美術館の中にあるものだけではありません。実は我々の身近な生活空間にもいくつも潜んでいるものでして、この村の住人は常にそれを探求しています。ここでは本学教員がそれぞれ見つけた「芸術時間」をコラムにしてご紹介します。
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河井寛次郎《鉄辰砂草花図壺》1935年、30.5x28.5cm、バリ万博グランプリ受賞(1937年)、京都国立近代美術館蔵


河井寛次郎作《鉄辰砂草花図壺》との出会い


 河井寛次郎(一八九〇〜一九六六)は、島根県安来(やすぎ)出身の陶芸家です。柳宗悦と出会い、柳の思想と民芸の魅力に導かれつつ、個性的な作品を作りました。
私が最初に惹かれた河井作品は《鉄辰砂草花図壺》です。簡潔な筆で草花文様が一気に描かれており、あたたかみのある白地に辰砂の赤、呉須の青と鉄の茶が印象的でした。
河井は「雑器の美」という文章(-九――七年)で「鳥を思わずに島を描き草を思わずに草を描きついには牛を思いつつ馬をさえ描く」と、無名陶が日々の営みの中で繰り返し無心に描くことで意図しない美の生まれることを、独特の文体で表現しています。その前年、河井は柳、濱田庄司、富本憲吉と「日本民芸美術館設宣趣意書」を刊行しており、それまで目指していた東洋古陶磁から民芸の美へと大きく創作の方向性を転換させました。《鉄辰砂草花図壺》の潔い線も、こうした境地から引かれたのでしょう。大学時代、陶芸倶楽部で本作品を真似て湯飲みを作ったのですが、当時は河井が本作品に込めた思いを全く知らず、しかも湯飲みは安定が悪く、展示会で所望してくださった方にも申し訳ない気持ちです。
その後改めて美術史を学ぶなかで、河井の初期から晩年までの作風を調べると、特に初期には同時代の陶磁史研究から河井が強く影響を受けていたこと、細川護立ら東洋陶磁器コレクターと関係が深かったことを知り、現在は河井の初期作品の検討を進め、河井寛次郎記念館でも調査等でお世話になっています。京都五条坂馬町にある同館では、河井が設計した自宅と窯が作品とともに公開されています。河井の個性的な陶磁器、木彫、書画が木材を豊富に使った室内空閲と実にしつくりなじんでおり、ここを学生時代に初めて母と訪れた時、作品の生まれた場にいることが改めて実感され、とても感動しました。《鉄辰砂草花図壺》との出会い以来、河井作品の豊かな世界に魅了されています。