芸術時間

芸術とは美術館の中にあるものだけではありません。実は我々の身近な生活空間にもいくつも潜んでいるものでして、この村の住人は常にそれを探求しています。ここでは本学教員がそれぞれ見つけた「芸術時間」をコラムにしてご紹介します。
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唐招提寺金堂


平成の甍


 小説『天平の甍』に登場する鑑真和上は寡黙で多くを語らない。山のように大きい存在である。
 私がはじめてこの小説を読んだのは、確か中学生の頃だっただろうか。いま思い返すと、「鑑真」というすごい人物がいたのだ、という程度の認識しか持たなかったように思う。しかしいま、和上が渡日を決意した年齢に自分が近づくにつれ、その信念と覚悟が如何に大きく強いものであったかを感じざるを得ないようになってきた。
 小説中の普照の描かれ方も、とても共感できるようになった。つねに師を想い、自らのためではなく、仏法のために異国の地で生き抜く彼は、決して身勝手ではない。いかなる困難に遭おうとも、立ち向かいそれを乗り越えていく。小説を読み進めながら、いつしか自分を普照にオーバーラップさせるようになってしまう。井上靖氏の術中に見事にはまってしまうのである。
 多くの人がそうであるように、少なからず人生を重ねてくると、心から師と呼べる人に出会う。いまの自分をかたちづくっていただいたのみならず、その人と過ごした時間は永遠の宝物だ。必至になって背中を追いかけ、みとめていただこうとがむしゃらに研究を続けた。はじめて、「よく頑張ったね」と言っていただいたときは本当に嬉しかった。
 いま、唐招提寺の山門に立つと、金堂の屋根には新調したばかりの「平成の甍」がまぶしい。本尊は奈良時代に制作された国宝《盧舎那仏坐像》だ。脱活乾漆造の技法でつくられている、のように書いてしまうと、あたかも美術史の教科書の一項目のようになってしまう。しかしそこには、鑑真和上の決意と信念、唐招提寺を支え続けた多くの僧侶たち、あるいは技術的に大変難しい鴟尾を見事に復元した職人魂など、それぞれの時代を本気で生きた、多くの人びとの思いと時間が積み重ねられている。人びとのいとなみがあっての芸術であることはいうまでもない。研究者として、それらを正確に読み解き、明らかにして行くことをつねに心に刻んでいる。