ひみつのアトリエ

この村に生息する本学教員は皆個性豊かな表現者であり研究者です。彼らにとって大切な「ひみつのアトリエ」を紹介します。普段なかなか見ることのできない先生方の素顔、意外な一面が見られるかもしれません。また、みなさんにとって何かしらのヒントが見つかるかもしれませんね。
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奥田輝芳

洋画コース


 窓からの眺めが気持ちよくて、ここへ越してきました。もともと琵琶湖の東の平たい土地に生まれて、毎日大きく広がる空を眺めながら育ちました。絵を描くようになって、真面目に描写の勉強をしていたのですが、学校で生意気になって、なんだか突っ張って現代美術などという言葉に引っ張られ、それでも大した学習もせず、したがって現代美術という言葉に憧れているだけ、現代美術とうそぶいているだけのトウのたった青春を送りました。どうあがいても、もっぱら僕の絵は視覚に頼ったもので、政治的、社会的、思想的、宗教的背景など一切持たず、描く側の心地よさだけで、ある意味浮世離れを目指したものでした。「絵画とは何か」といった問題意識こそ持ってはいるものの、そう言った大きな問題は絵を描く人なら誰もが持つ問題意識ですから、ある意味全く人並みの考えしか無く、今現在よく大学で人を教えているものだと我ながら感心しています。こんな書き方をすると授業を受けている人たちに大変に失礼と思うのですが、その失礼をなんとか免れようと、日々絵を描いて、創作することの焼けるような困難を体験しながら、描く側の気持ちを理解することに努めております。従って、この大学へ来てからは美術のこと、絵画のことを益々勉強するようになりました。人に教えることは自分自身も勉強することで、それこそ美術史や様々な作家について、本を読み画集を紐解き、実戦で描くことを喜びに変える技を少しずつ身につけました。正確に言うと、この大学へ来るまでに描く喜びについては人一倍味わっていましたので自然とその技は身についていたのかも知れません。お陰様で毎日画室に入ると、新しい描きっぱなしの絵が私を待っていて、ああ描いてくれ、こう描いてくれと僕を誘います。
 ここへ引っ越した時は、既に現代美術という大それた野望はなく、全く隠居ができれば、好きに描くだけの毎日が送れればいいかと多少期待もしていました。しかし世の中そうは問屋が卸しませんでした。引っ越した季節は9月。暮らしが落ち着きはじめると、窓から見える比叡山は日に日に色を変え、紅葉に染まる近くの樹々は、ここにいるだけでも幸せを感じさせてくれますが、やはり飯を食う生活があります。仙人は霞を食べて生きていけますが、引っ越した時生まれた子供はまだ1ヶ月、上の子も5歳で幼稚園。大きくするにはやはりご飯を食べさせないといけないのです。「誤落塵網中(誤って塵網の中に落ち)」「一去三十年(一たび去って三十年)」これは陶淵明の「帰田園居」の一説ですが、そんな気持ちでなんか、、、、、、いや、とんでもない、とんでもない。そんなこと言うとバチが当たります。今はまだ三十年は経っていませんし、きっとこれからしばらくは網の中でもがかないといけないのでしょう。網が破けるのが先かこちらの命の燃え尽きるのが先か、妙な競争を企図もう少しするのでしょう。
 話が随分脱線してしまいましたが僕の「秘密のアトリエ」はそう言った生活をスーと忘れさせてくれる場所なのです。描くことは手足を動かす運動です。本能でキャンバスに向かい頭の血の巡りを良くしてドーパミンを出す快楽です。単純な作業の繰り返しで、色を置くごと形を引くごとに新鮮な風が画面に吹くのです。嗚呼良かったこんな環境で毎日絵と向き会える。奇をてらう必要もなく、ここにいてじっと絵を見て、描いて、潰して、また描いて。画室で待っている絵がああ描いてくれ、こう描いてくれとどんどん話しかけてくる。胸が潰れそうで、苦しみにのたうちまわる日もないわけではありませんが、それでも描いて、潰して、また描いて。絵を描く人も描かない人もこんなことを書いてきっと嘘のように思われるかもしれませんが、僕にとって絵を描くことはこんなことなのです。そしてアトリエは極楽なのです。