芸術時間
芸術とは美術館の中にあるものだけではありません。実は我々の身近な生活空間にもいくつも潜んでいるものでして、この村の住人は常にそれを探求しています。ここでは本学教員がそれぞれ見つけた「芸術時間」をコラムにしてご紹介します。道標を見つける
写真は「モルトフォンテーヌの想い出」、カ ミーユ・コローの一連の風景画をこのところ眺めています。位饂付けとしては、鑑賞というよりも、道標(みちしるべ)という言葉が近いようです。描き始め、描いている時、誰もがしばしば方向に迷い、方法に迷い、それでも進んでいくのだと思いますが、「なんだか違う」だけで動いていては文字通り道に迷ってしまいます。私の場合、その時々道標となる作品は変わってきましたが、巾にはただ一人の作家や一枚の絵を傍に歩む人もいることでしょう。
コ ローは「真珠の女」という絵が有名で、あわせて多くの風景画を描きました。戸外で下絵を描き、アトリエで仕上げたそうです。描かれた場所やモチーフがタイトルになっていることが多いのですが、この作品のように「…の想い出」と題された作品も見られます。思い出として切り取られた風景は、
アトリエで絵画として秩序立てられ、熟成されて行きます。画面の中で練り上げられた自然のフォルムが、次の時代の目を育みました。私は対象を溢いて描きませんが、平面に繰り広げられる空間に惹かれます。もう随分前のことですが、学生の時に先生から「00は好きですか」と尋ねられた作家の名を、「知りません」と、格段恥ずかしいとも思わずに答えたことを思い出したりします。なぜ自分が進もうとする道の先達の仕事から学ぼうという姿勢を取ることができなかったかとは遅すぎる後悔ですが、画家の名に首をかしげる若い学生にその頃の自分が重なってもきます。「00は好きですか」、そうお尋ねになることで、若い学生が気づかず足を踏み入れている場所がどこなのかと、先生は示そうとされていたのでしょう。
絵を描き始めた頃は何をしたいのか、どこへ行きたいのか、おそらく分からないのが普通かも知れません。けれどもいつのまにか、自分の仕事を支えてくれるような先達の仕事が道標となって、もう少し先へ進みたいと思っていることに気づいているのです。