芸術時間

芸術とは美術館の中にあるものだけではありません。実は我々の身近な生活空間にもいくつも潜んでいるものでして、この村の住人は常にそれを探求しています。ここでは本学教員がそれぞれ見つけた「芸術時間」をコラムにしてご紹介します。
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ラウレンツィアーナ図書館 階段


フィレンツェが教えてくれたこと


 フィレンツェ、サンロレンツォ教会の中庭に面した2階回廊にあるミケランジェロ設計のラウレンツィアーナ図書館を初めて訪ねたのは1985年、建築家として独立して活動を開始し、しかし具体的な仕事などほとんど無かった30歳過ぎの頃だった。建築家として仕事を始めるのなら最初に訪ねるべき都市はフィレンツェだと学生時代から決めていた。大学院では建築史の研究室に所属していたので、それこそギリシア、エジプトから20世紀の近代までを平等に俯瞰する目線を持てたこと、その中でルネサンスから近代まで通底するものがあるのではないかと考えはじめ、ルネサンスと近代が自分にとっての主題となったこと、その二点が歴史を学んだことの結果だった。
 当時自分にとってルネサンスと近代が同じに見えた点、それはどちらも建築家としての「個」の成立という視点と、どちらの時代も建築が「秩序」の表現でもあるという時代背景だった。「個」の主観的な表現に溺れること無く―ちなみに当時の自分にとってバロックはそうした主観表現に見えた―、「個」の表現と世界の「秩序」が同時に存在する建築という、一見すると矛盾しているかのような表現に魅せられていた。そして、ミケランジェロ。
ルネサンスに共感を感じていた自分にとって身近なのは従ってルネサンスそのもの、それを体現しているかに感じられたブルネレスキであり、バロック的なミケランジェロではなかった。それほど積極的にでは無く訪ねたラウレンツィアーナ図書館。でもその凄みは体感できた。しかし当時の私はこれは怖すぎる、とりあえずは忘れておこうと考えた。30歳前半の人生の決断だったのだ。それから30年以上の時が過ぎる。 建築家としての活動をそれなりに積み重ねてきたと感じた時、今一度フィレンツェに戻るべき時がきたと思った。そして30数年ぶりにフィレンツェを訪ねる。フィレンツェにあるブルネレスキの建築は全て体験しようと決心して決めた旅だった。
そして再び教会のインテリアをブルネレスキが担当したサンロレンツォを訪ねる。今度はミケランジェロも逃げないで体験しよう、それに顔のないまま何世紀か過ぎたサンロレンツォ、ミケランジェロによるそのファサードの模型が残っていると聞きそれも見たい、そう思って訪ねたサンロレンツォだった。30年ぶりに2階のラウレンツィアーナ図書館を訪ねる。
 そうしたら30年前の怖い思いが嘘のようだった。2階にある例の階段から3階へと上がる。そうしたらあんなに怖かったミケランジェロが三歩先に立っていてこちらを向いて微笑んでくれているかのように、空間が私にとっても理解と共感が可能なものに変化していたのだ。
 どうも建築の神様は実在するらしい、30数年間真面目に建築をやってきたご褒美としてミケランジェロの建築を私に近寄せてくれたのだ、そうとしか思えない、と考えながらラウレンツィアーナ図書館の中で興奮しながら立っていた自分が居た。こんな瞬間が訪れるから、そんな一生に何回もない悦楽の瞬間が訪れるから、建築家という仕事は辞められないのだ。