芸術時間

芸術とは美術館の中にあるものだけではありません。実は我々の身近な生活空間にもいくつも潜んでいるものでして、この村の住人は常にそれを探求しています。ここでは本学教員がそれぞれ見つけた「芸術時間」をコラムにしてご紹介します。
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旧前川國男自邸の北側外観


看送る家


 建築家という職業柄、人の家に招かれたりするとその家の間取りとか細部とかが気になってしげしげと観察するのが癖になってしまっている。
 ある知人の京都下鴨にある家を訪れた時のことである。その家は築100年くらいの瓦屋根の古い日本家屋で、100坪ほどの敷地は南北に長く、北側の道路から門屋の格子戸をくぐって中に入るという昔ながらの構えだった。門をくぐると家との間に松や椿が植えられた奥行が7mほどの北庭があり、そこを通って玄関に至る。家の中に入ると左手に南北二間続きの和室があり、そこからは北庭と南庭の両方を望むことができた。しかしふと気が付くとその南庭があまり広くないのである。一般的には日当たりをよくするために家を北側に寄せて南に広い庭をとるのが定石なのだが、その家は南庭と北庭がほぼ同じくらいの大きさだったのだ。その後その家を訪れるたびに玄関脇の北庭のゆったりした広さと静かな佇まいが気に掛かっていたのであるが、ある日その理由が明らかになる。
 それは知人の妻が亡くなり、その家で葬儀が行われた時だった。
 北庭には黒白の幕が張られ、参列者は門をくぐると左手の露地道を通って二間続きの座敷の北側の縁側で焼香をすませ、御家族にお悔やみを申し上げる。そして再び庭を歩いて玄関先に戻る。驚いたのは門から縁側に至るまでに何度か折れ曲がるようにつけられている露地道が、死を悼む参列者が心の準備をするために実に丁度いい長さとなっていて、さらにはすべての飛び石がまるでこの時のために用意されていたかのごとく庭をひとまわりできるように打たれていたのである。以前は気が付かなかったが、その日は北庭が見事に機能していた。知人に聞くとその家は夫人の御実家であり、そこで生まれ育ち、御両親も同じように看送ったので、彼女の葬儀も家で行うことにしたという。利便性を優先して葬儀場で行うことがあたりまえになりつつある中で、たくさんの思い出が詰まった家で看送られるというのは故人にとってなんと幸せなことだろうか。人の死の尊厳と家との関係の大切さを自問しながらその日は知人の家を後にした。
 思えば昔はすべてを家の中で行っていた。家で子供を産み、育て、家で客をもてなし、結婚式さえも家で行っていた。病気になれば家で看病し、年寄りは家で看取って、家で葬式をあげた。しかし今はどうだろう。そのほとんどが家の外に出て行ってしまい、家には日々の生活以外何も残っていない。昔の家には二間続きの座敷が必ずあって、非日常時にはそれが見事に機能するように出来ていた。そこには日常と非日常の両者を引き受ける余裕と寛容さがあり、それにより人生は豊かになり、家はすべての思い出の舞台となった。
 利便性がすべてに優先しがちな中、それにより失われつつある豊かさについても注意深く考えなければならないと、その家は私に語りかけていた気がした。