芸術時間

芸術とは美術館の中にあるものだけではありません。実は我々の身近な生活空間にもいくつも潜んでいるものでして、この村の住人は常にそれを探求しています。ここでは本学教員がそれぞれ見つけた「芸術時間」をコラムにしてご紹介します。
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画像作品名:『拈華観音像』村上華岳


拈華の像


 村上華岳は大正から昭和にかけて活躍した日本画家ですが、文展に出品・受賞などを繰り返した後に、その審査のあり方に疑問を抱くようになり、西洋と東洋の美術の融合による新たな絵画の創造を目指して国画創作協会の設立に参加しました。この活動は近代日本画革新運動の代表的なものでしたが、やがて華岳はその立場からも去り、持病の喘息に苦しみながら、画壇の「離れ星」的な存在として独自に精神性の高い絵画世界を追求していきました。
 華岳の遺した「画論」は私たち世代の学生にとってもバイブル的な存在で、絵は富や名声のために描くのではなく、対象の内外にある宇宙との一体を目指すものであるという華岳の崇高な理想に胸を打たれたものです。私自身も、いつかはそんな境地を実感したいという願いを抱いて絵を描いてきました。
 この華岳の作品は『拈華観音像』というタイトルですが、おそらく禅宗でも語られることのある「拈華微笑(ねんげみしょう)」という意味に通じるものと思われます。拈華微笑というのは、釈迦が霊鷲山というところで会衆を前にして蓮華を黙ってねじった時、誰もそれを見て反応しなかったのに弟子である迦葉(かしょう)だけが微笑し、釈迦はそれを見て自身の心中にあった仏教の真理を彼だけが感得したのだと気付いたという伝承です。これが転じて、現在は言葉を使わずに心から心へと伝わる、以心伝心という意味で使われる言葉でもあります。
 華岳のこの絵に描かれた観音にはインドの影が濃く表れ、彫りが深くエキゾチックです。ポーズに多少の不自然さを残しながらも、むしろそのことが生身の人間ではなく神聖でシンボリックな存在である観音の印象を強く伝えています。不可思議な空間から出現したばかりのような観音は花をねじることにより、一体どんな真理を伝えよ
うとしているのでしょうか。それを知り得た迦葉という人は私の憧れでもあります。そしてそんな憧れを絵にしようとした華岳の在り方にも思慕の情を感じています。