芸術時間

芸術とは美術館の中にあるものだけではありません。実は我々の身近な生活空間にもいくつも潜んでいるものでして、この村の住人は常にそれを探求しています。ここでは本学教員がそれぞれ見つけた「芸術時間」をコラムにしてご紹介します。
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観世寿夫「心より心に伝ふる花」(白水社、1979年)


思い出の本


 高校三年生の夏、『心より心に伝ふる花』(白水社、一九七九年)という本に出会った。著者は観世寿夫(一九二五〜一九七八)という能役者で、「能」という芸能の世界で名人と謳われた人物である。
その頃、私は大学入試を控え、希望する学科を受験する人が集う個人塾に通っていた。そこで小論文の課題図書に指定されたのがこの本だった。当時私は能を観たことがなく知識もなかったので、この課題に困惑したように思う。
しかし、読み始めるとすぐに、困惑は衝撃へと変わった。著者の寿夫の文章は凄まじく情熱的で、その気魂は読み手を圧倒するほどなのに、自分に実感として曹くものがまったくなかったからである。私は内容を理解できなかった。
たとえば、寿夫は役者が舞台に立つことを「人間の前後左右上下といったあらゆる方向から目に見えない力で無限に引っぱられていて、その力の均衡の中に立つ」という。そして、「自分の中の内的な力によって、劇空間の巾の不確定なものを、いかにして極限にまで切りつめ」るのかにより、役者は「固有の個性から無認証的な」存在になると。それらの言葉はどれも、私が知っている演劇の演劇性とはかけ離れていた。能の役者はまるで無人格的で没個性的のようであり、能は、演劇として逆説的な美を求めているように感じられた。
果たして、能とはどういうものなのかを知りたくなり、すぐに能楽堂へ足を運んだ。しかし、初めて観た舞台から、寿夫のいうところを掴むのは叶わなかった。
本書の内容を少し理解できたように思えたのは、舞台を観るようになってずいぶん経ってからである。本書が病床で綴られた、口述筆記による絶筆であることも後に知った。寿夫以後に寿夫に影響を受けなかった能役者はいないといわれるが、寿夫の記した文章もまた、多くの人に感銘を与えてきた。能の本質を説いた寿夫が舞台で舞う姿を、一度でいいからじっさいに観てみたかったと思う。