芸術時間

芸術とは美術館の中にあるものだけではありません。実は我々の身近な生活空間にもいくつも潜んでいるものでして、この村の住人は常にそれを探求しています。ここでは本学教員がそれぞれ見つけた「芸術時間」をコラムにしてご紹介します。
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先生の授業が行われた演習室にて


「先生とりんごの絵ー画家のまなざしを知るー」


 私が、芸大に通う学生だったころのお話です。
「ヒットメーカーだね」、私の絵を見た指導教員の吉仲正直先生が一言つぶやきました。「りんご」という課題に、指で描いた蜜色の絵を提出し、その講評を受けた時のことです。その場では理解できずにいたのですが、後に「ヒットメーカー」という言葉の意味に気づき、改めて絵に向かう姿勢を学ぶ事になります。今回は恩師との芸術体験についてお話したいと思います。
大学での吉仲先生の絵画の授業はとにか<難解でした。言葉が難しく断片的で、頭の中はいつも疑問ばかりです。しかし先生の見方や考え方は刺激的で楽しい時間でもありました。なかでも私はデッサンの授業が好きでした。鴨居玲やエゴンシーレの素描を好んで見るようになったのもこの授業がきっかけです。
大学を卒業して数年後、私は神戸で学芸員の仕事に就きました。鴨居玲ら神戸の美術家の作品に触れ、先生を懐かしく思いお手紙を書きました。「いい仕事に就いたね」と一言、返信にはあたたかい助言も添えられていました。二0一三年に定年で大学を退任後、二年ほどして、先生は突然この世を去りました。事実は暫く伏せられ、私たち教え子は、一年近くが経過してから、先生が亡くなったことを認識しました。私たちを煙に巻き、思弁には終わりがないとでも言うような、その去り方があまりにも先生らしくて、教え子の間には涙の後につい笑いが零れました。
かつて研究室で、先生の素描を見たことがあります。紙に幾重にも刻まれた鋭い線、緊張感の漂う画面には裸婦(のようなフォルム)と文字か暗号のようなものも見えました。眼と思考が線となり画面を走る、独自の視点で捉えられた素描に魅了されました。そして先生の表現に触れようやく私は、「ヒットメーカー」の意味に気づきました。あの言葉は「いかに描くか」ではなく「なぜ描くのか」が大切である、即ち「描くこと自体を問え」と指摘する言葉だったのだと、遅ればせながら理解したのです。私が絵に対峙するとき、今も時折先生の声が聞こえる気がします。独自の眼で絵画表現を問い続けた先生は私の芸術体験そのものです。