芸術時間
芸術とは美術館の中にあるものだけではありません。実は我々の身近な生活空間にもいくつも潜んでいるものでして、この村の住人は常にそれを探求しています。ここでは本学教員がそれぞれ見つけた「芸術時間」をコラムにしてご紹介します。画廊オーナー Mr. Tilman Rothemel
「現実に向き合うという理想」
昨年、紙作品によるグループ展のためブレーメンを訪れた。ドクメンタやミュンスターの彫刻プロジェクトもお目当てで、勿論、硯代の芸術動向を体感できた貴重な機会にもなったが、
一番記憶に残ったのがドイツ人の理想と現実に対する態度である。
まず何より不思議だったのが、展覧会企画がイスラエル人、画廊オーナーが生粋のゲルマン人という組合せで、その企画者の独善性は見ていてハラハラしたが、オーナー夫妻はじっと黙って見ているのである。苦い過去の記憶がそうさせるのかと謁ったが、それは勝手な憶測で、彼等は展覧会という現実に対し単に誠実であろうとしているのだ、と接していく中で次第に理解できた。
移民や難民を受け入れてきたドイツは、現在トルコ人だけでも17%を超え、町中の至るところで移民らしき人たちが働き、スーパーではターキッシュフードが1/3以上を占めている。
小学校教師の女性は、どの学校も多国籍で中には移民間もなく英単語すら知らぬ子も居り、親の要請を拒絶できないのがドイツの実情だ、と教えてくれた。日本では考えられない話である。
ある日オーナーから展覧会パンフの売上を差出され、画廊収入にと応えると、物乞いにあげても良いかと間かれ呆然とした。しかしそれが犯罪を防ぎ移民とも暮らしていく彼らの方法だともとれる。
実に彼等の生活は無駄なく慎ましやかであり、荷物を滅らしトラムで出かけようとすると、奥さんに無駄をせぬようにと、トートバッグ満杯のランチを持たされ駅まで車で送られる始末。外食?旅行以外には殆どないね、といった体である。街には頑丈で無骨な自転車が行き交い、トラムや列車に乗る際もそれらを持ち込む。誰も大きな荷物を邪魔扱いしない。結果はともかく、理想のために無駄を省きできることをする。それが彼等の芸術をも生み出してきた哲学なのかもしれないと思った。
30数年前の美術館巡りだけでは知る由もなかったが、彼等の態度から学んだ今、ドイツ芸術の秘密も少し垣間見えたように思えた。