芸術時間

芸術とは美術館の中にあるものだけではありません。実は我々の身近な生活空間にもいくつも潜んでいるものでして、この村の住人は常にそれを探求しています。ここでは本学教員がそれぞれ見つけた「芸術時間」をコラムにしてご紹介します。
backnumber

バウル・クレー《赤いチョッキ(ベスト)》1938年


絵と出会った


 歳の離れた末っ子だった。小学校高学年の頃には姉はもう嫁いで家に居らず、兄も受験を控えた高校生で帰宅が遅い。友達との約束もないような日、そっと兄の部屋に忍び込む。本棚には兄の子供の頃からの本や雑誌が詰まっていて、それを順に引き出しては眺めるのが、退屈な午後の過ごし方だった。
雑誌のバックナンバーが並んでいて、その裏表紙に名画の複製が載っている。―つの号にパウル・クレーの《赤いチョッキ》があった。手に取ってじっと眺める。どれほどの間そうしていたのか分からないが、長い時間が経っていた。特に絵に興味が有った訳でもなく、なぜそこで手が止まったのかも分からない。本棚には他の号もあり、セザンヌや北斎と言った画家達の作品があったが、とにかく、この絵の上でわたしは「止まった」のだ。
それから一年ほどが経ち、一九七◯年大阪万博の美術展にクレーの《美しき女庭師》が展示されると週刊誌で発見した。「同じ人の絵だ」とすぐに分かって、万博の開幕早々、母にあの国立国際美術館だった建物に連れて行ってもらった。思ったより絵は大きく見えた。ポカンとその絵を見上げ、順路に沿って次のフロアヘと続く階段の途中で、もう一度振り返った覚えがある。
《赤いチョッキ》が載っていた雑誌は『月刊子供の科学』だと記憶していて、今回、このことを確かめるために出版元に連絡をしてみたのだが、驚くべきことに、その雑誌の裏表紙に名画が載っていたことはなかったそうだ。兄に訊いても、絵については全く覚えがないと言う。誠に記憶は当てにならず、全ては幻のように思えてくる。
しかし、チョッキを来た人物の肘の下にある「!」マーク、ウィンクしているような画面右下の大きな顔、粗い布目に擦り付けられた絵の具、そして、「赤くない」とよく言われるチョッキが結構赤く見えたこと、絵全体がコロコロと揺れるように動いていたこと…その全てが鮮明で、過ごした時間の手触りがくつきりとした輪郭を持って記憶されているのだ。
結局、そのオリジナルを観ることは今日に至るまでなかった。しかし、この記憶の欠片と共に、あの日からずっとあの絵を見続けているような気もするのだ。