芸術時間

芸術とは美術館の中にあるものだけではありません。実は我々の身近な生活空間にもいくつも潜んでいるものでして、この村の住人は常にそれを探求しています。ここでは本学教員がそれぞれ見つけた「芸術時間」をコラムにしてご紹介します。
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「東岡崎の芸術的な餡かけうどん」 ©Keijiro Suga


餡の下の世界


 あいちトリエンナーレの一環としておこなわれた「香りのパレット」というワークショップに参加した。会場に並べられた何十種ものスパイスのなかから好きなにおいのものを皿で混ぜ合わせ、自分のうちに喚起される物語をかたり合うという趣向だった。
会場に充満する幾層もの異なるにおいとかたり合いの興奮にやや陶然となり、終了後、ひと休みしようと小さな蕎麦屋に入った。はじめて歩く岡崎の裏道のなんの変哲もない蕎麦屋である。昼下がりとあってほかに客は誰もいない。
「餡かけうどんを食べたい」と主張したのは私だが、それは「餡かけスパゲティ」ではなく「餡かけ」が名古屋名物なのだと勘違いしていたからで、それ以上のこだわりや期待があったわけでもない。だがほどなく運ばれてきた器を見て、私たちはその美しさに息を呑むことになる。
器の円のなかに満たされた琥珀色の餡。そのもっちりした半透明をとおして見えるかまぼこ、鶏、肉
厚のしいたけ。おそらくうどんはさらに奥深く沈んでいる。まるで時間が止まったかのような静謡さがそこにあった。
ふとV.ウルフの小説に描写されたテムズ川の光景が連想されるー。稀に見る寒波がロンドンを襲った十七世紀のとある冬。川底は、凍りついた不思議の世界として俯職的に描かれており、沈んだ舟やりんご売りの老婆が動きの途中のままの姿で凝固していた。小説の背景に近い一六◯八年、ロンドンで大寒波があったのは史実のようだが、氷の下で沈黙する別世界というのは作家の想像力が生み出したイメージだろう。
氷のイメージすら呼び起こすこの静けさは、しかし割り箸を入れかき混ぜたとたん、器の底から猛然と上がる湯気により一瞬にしてうち破られてしまう。熱い餡をくぐり抜け白い麺がようやく姿を現す。ワークショップで話題になった、ボストン糖蜜災害のことが思い出される。
一九一九年、ボストン港湾部で糖蜜の巨大な貯蔵庫が破裂し、大量の糖蜜が町を流れ出したのだ。その時速は六◯キロあったと言われ、建造物や列車を次々に破壊しただけでなく、二十人を超える死者出した。透明な水でなく粘り気のある糊蜜に呑み込まれたら、いくらもがいても浮かび上がることはできないだろう。糖蜜の賠い色と質感がよく似た熱い餡に溺れる自分をつい思い浮かべてしまう。
美味しいもの(味も七百円とは思えない絶品だったのだ)を前に恐ろしい想像はやめておこう。ワークショップの影轡で、連想の喚起力が高まりすぎたようだ。