芸術時間

芸術とは美術館の中にあるものだけではありません。実は我々の身近な生活空間にもいくつも潜んでいるものでして、この村の住人は常にそれを探求しています。ここでは本学教員がそれぞれ見つけた「芸術時間」をコラムにしてご紹介します。
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すこし視点を変えてみると


 上の写真、何だかわかりますでしょうか?小さなこどもが1冊ずつ本を持って行ってはなにやらやっている様子。あまりに熱心に続けていたので見に行ってみると、夏に少しだけ見た打ち上げ花火なんだそうな。意外な素材でできた造形に、思わずシャッターをきってしまいました。こどもの視点というのは予想外の連続で、日常使いのものから遊びを見つける天才です。そしてそれは、たいてい、その一般的な使い方ではない方法で発見された遊び方だったりします。
話は変わりますが、ここ数年に訪れた場所で、久しぶりに感動的な空間体験をした建築のひとつに「軽井沢千住博美術館」(設計:西沢立衛)があります。美術館なのに開放的で透明感があり、軽井沢の森の中を歩くように作品をめぐるワンルーム空間です。周到に計画されたベンチに腰掛けたりしながら自然光で作品をじっくりと楽しめるのですが、屋内にいるのか屋外にいるのかがわからなくなる感覚にたびたび襲われるという、新しい経験をもちました。この建築が他とは異なる時空を提供している理由のひとつは、「床」にあるように思います。普段は意識されること自体が少ないと思われますし、意識してもそれは素材だったり足触りだったりするかもしれません。この美術館の床はコンクリートでできているので素材としてはそれほど珍しいものではありませんが、ただ、床が緩やかに傾斜しています。一般的には水平であったり、規則的に傾斜していたりするはずの床が元の地形に寄り添って不規則に傾斜しているだけといえばそれだけですが、扱い方をほんの少し変えることで、これほど大きな影響を建築の空間とその空間体験に与えるという、わくわくする時間を持ちました。(もちろん床だけでこの空間が特別なわけではなく、すべての要素が考えつくされ統合されているからこそ、素晴らしい建築になっていることを申し添えておきます。)
こうあるべきと信じていたものを疑ってみること、既成概念を取り払って考えてみることの重要性は度々言われていますが、2つの出来事は、改めてそれを実践することの難しさと大切さを教えてくれました。