芸術時間

芸術とは美術館の中にあるものだけではありません。実は我々の身近な生活空間にもいくつも潜んでいるものでして、この村の住人は常にそれを探求しています。ここでは本学教員がそれぞれ見つけた「芸術時間」をコラムにしてご紹介します。
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「地球の背びれ」2003年制作隠岐の島の海中にて 材料’ 綿布、竹、ロープ、鎖、フロート、土嚢など 綿布と竹で「のぽり」のようなものを作り連結させている。漁具のフロートで浮力を与え、土嚢で海底に 固定している。 地球の上に背びれをつけることで地球を実感してもらう作品。鑑賞者はスキューバダイピング、シュノー ケリングなどで見る。


地球の呼吸


 以前参加していた屋外の展覧会で海中に設饂する作品の組み立てをしていた時のことです。屋内作品とは違い大きさも必要なため、展示会場近くに制作場所を提供してもらっていました。8月の炎天下、白い布を地面に広げて鳩目鋲を打ちこんだり、ロープを通したり、骨組みを組み立てたりしていました。快晴の日差しが白い布に反射してほとんど目が開けられないくらいでした。はかどらない作業を一日続け、日が暮れてきました。少しは涼しくなってきたなふと空を見上げ、ふと布を触ってみたらびっしょりと濡れていたのです。雨も降っていないし霧も出ていない、もちろん水もかけていません。暑さと布からの強烈な反射でまぼろしを見ているのかと思いました。
濡れた布に触ってみたり布をめくって地面を見てみたりしているうちに、もしかしたら地面から水蒸気が上がってきて布を濡らしたのではないか、と思い当たりました。よく乾いた洗濯物も夕方まで取り込み忘れると湿ってしまいます。気温が下がる夕方は水蒸気が水滴になり、布を湿らせます。それと同じ現象のようでした。地面の上で濡れた布は「湿った」というより水を打ったようでした。夜露というと水滴が上から降ってくるように想像しますが、布を濡らした現象は地表から上がる水蒸気が布に遮られて起こったようでした。目に見えない水蒸気が地面から大量に上がっていると実感した瞬間、地球全体が猛烈な勢いで水蒸気を吹き出し、また水を吸い込んでいる様子を思い浮かべました。呼吸する地球、その上にいる自分を実感しました。
都市では地面をコンクリートやアスファルトで覆っています。建物が取り壊されて更地になっているのを見ると「地面だ!」と妙な感動を覚えることがあります。地面を見かけなくなっているのです。コンクリートやアスファルトの下で呼吸している地球は蒸れて苦しいことでしょう。環境についての苦言を呈するつもりはありません。私は都市の便利さや快適さを亨受して生活しています。地面の上に這って布と格闘し、自分の汗とともに地球から吹き出す水蒸気を体感した日のことを今でも時々思い出します。