芸術時間

芸術とは美術館の中にあるものだけではありません。実は我々の身近な生活空間にもいくつも潜んでいるものでして、この村の住人は常にそれを探求しています。ここでは本学教員がそれぞれ見つけた「芸術時間」をコラムにしてご紹介します。
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作業台の上の二つの貝殻


ライムグリーンのサザエ


 陶工だった父の作業台には昔から貝殻が二つ飾られている。一つは美しい光彩を放つ巻貝。すべすべの肌をしていてオパールのように輝いている。もう一つはライムグリーンに塗られたサザエ。彩色したのは幼少期のわたしだ。岩のごときサザエの殻をもう一つの貝のように彩りたかった。そう考えてわたしは絵筆を握り、パレットの上の絵具を塗ったのだが、なぜこの色を選んだのかは覚えていない。鮮やかな若葉色で覆われたその姿は、こどもの目には上々のできに見えたが、大人にとっては遊びか悪戯に類する行為に映ったことだろう。一般的には価値のない邪魔なゴミと言えるが、父にとっては息子の作品、あるいは成長の記録らしく今でも大切にしてくれている。ありがたいことである。
 わたしと芸術との付き合いは遊びのなかでこうして始まった。もちろん厳密には芸術と遊びとは区別されるべきである。芸術も遊びも、その行為自体が目的化する点では共通しているが、その度合いは後者の方がはるかに高い。だが、遊びにも、行為だけではなく結果が重要となる場合がある。たとえばゲームのように。芸術において制作という行為の結果である作品がより大きな意味をもつことはあらためて述べるまでもない。いずれにせよ、この時のわたしの目的はサザエに着彩する行為にあったというよりも、その結果、すなわちサザエの外観を変化させることにあった。
 このサザエが芸術の名にふさわしいかはともかくとして、芸術とは世間で考えられているよりも幅広い概念である。それは美術館やコンサートホールに行かないと経験できないものではないし、天才にしか許されていない行為でもない。高尚な創作活動や表現、前に立つと、その美しい形式や精神性豊かな内容に圧倒されるような芸術作品というものは確かに存在する。しかし、そもそも芸術とは洋の東西を問わず広く技芸一般を意味する語であった。したがって芸術との付き合い方もいろいろあっていい。制作においても鑑賞においても、多様な関わり方、体験の仕方は認められているのだから。