芸術時間

芸術とは美術館の中にあるものだけではありません。実は我々の身近な生活空間にもいくつも潜んでいるものでして、この村の住人は常にそれを探求しています。ここでは本学教員がそれぞれ見つけた「芸術時間」をコラムにしてご紹介します。
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「一冊の本」朝日新聞社刊 AD:原研哉


余白


 真白な画面に文字や図形、図像といったオブジェクトを配置する。すると、そこには「余白」と呼ばれる「白」が存在をはじめる。
 大学時代、ある教師から「デザインは画面を埋めていくことではない。配置された要素によって、美しく意味を持った余白を作り上げることだ。」と教えられたことがある。何かを施し飾ることがデザインだと考
えていた私にとっては、とても印象的な言葉だった。無駄な要素を排除し、必要不可欠なものだけでシンプルにメッセージを語るためには、伝えるべきものとしっかりと対峙しなければならず、レイアウトといった表現手法だけでなく情報との向き合い方を学ばされたように思う。
 その後、社会に出て、一人のグラフィックデザイナーとの出会いが二度目の「余白」との出会いとなった。そのデザイナーとは原研哉氏である。無印良品のアートディレクションをはじめ、長野オリンピックの開・閉会式プログラムや、愛知万博のプロモーションなど、深く日本文化に根ざしたデザインを展開している。氏の作品はまさしく「余白の美」と呼ぶにふさわしく、古来からの日本独特の美学を現代の表現の中に更新している。また、デザインワークとともに、「白」に関する論考を数多くの著書にもまとめている。
 「西洋的な余白と日本的な余白では、別の白を生み出している。西洋は余白というものがルールで規定されている。対して、日本の余白というのはオーダーに入らない、急に発生したものの前にある余白であり、
長谷川等伯の水墨画や小野道風の仮名の書などに日本の余白を発見することができる。」と氏は語る。日本文化の「間」とも呼べる「余白」は、緊張と緩和によって作り出される「白」の美しさであることを知らされた。