芸術時間

芸術とは美術館の中にあるものだけではありません。実は我々の身近な生活空間にもいくつも潜んでいるものでして、この村の住人は常にそれを探求しています。ここでは本学教員がそれぞれ見つけた「芸術時間」をコラムにしてご紹介します。
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東京藝術学舎「感性を鍛えるワークショップ」のひとコマ


道程


 ダイバーシティ=性質の異なるものが尊重し合い存在すること。
1960年〜70年代の東京・高田馬場は、混沌とした町だった。線路沿いには闇市の名残のバラックが立ち並び、駅前のロータリーでは学生運動の集団がヘルメットにマスクで占拠している中、目貫通りの商店
街は呑気に店を営み、貧乏とお金持ちがはっきりしている、そんな町で私は生まれた。
 美しい風景ではなかった。というよりも、風景の記憶自体がおぼろげで曖昧だ。覚えているのは、どこに誰がいた、どんな人だった、という登場人物の設定だ。決して笑わない主人の営む鶏肉屋の店先には、何時間も空を見上げている青年がよく立っていた。青森から出稼ぎに来て帰りそびれたホームレスのおじさんは、公園のベンチでふるさとの話をしてくれた。子ども嫌いのおばあさんがいるペンキ屋の前はかけ足で通り過ぎるのが鉄則だった。家業の飲食店の従業員にもそれぞれ味わい深い人生を見た。一滴の水を投じればひろがる波紋のように、お互いが違いを知りつつおせっかいに関わり合う世界がそこにはあった。そう、人間の生のその生々しさが、私の幼い頃の記憶である。
 何故こんなことを思い出したのかといえば、自分の価値観のルーツを考えていたからだった。多様な人との関わりを大切にすること。人を愛すること。これは幼い頃の体験から学んだことだ。長年、実績を積み重ねてきたデザイナーから、大学の教員になることも、私の中では必定だった。自分は人間に関わりたくて、デザインを志し、そして教育をめざしたのだ。デザインした空間で過ごしている人々を眺める喜びは格別だったが、構想したプログラムで変容していく学生の方々を目の当たりにする喜びはさらに大きい。学生の方々は多様で、その学びに関わることのできることは、なんて創造的な行為だろうと感じている。通信教育課程が、多様な人々が集う学びのダイバーシティとして、もっと楽しく刺激的な場となるよう支えていくことが自分の役目であり喜びであると確信している。