芸術時間

芸術とは美術館の中にあるものだけではありません。実は我々の身近な生活空間にもいくつも潜んでいるものでして、この村の住人は常にそれを探求しています。ここでは本学教員がそれぞれ見つけた「芸術時間」をコラムにしてご紹介します。
backnumber

沖縄 伊是名島 “銘苅家住宅”


沖縄の民家


 建築は、はたして進歩しているのだろうか? むしろ後退しているのではないか? そんな事を思わざるを得ない時がある。特に 工期短縮のための技術は飛躍的に向上したけれども、それを獲得するために失ったことも同じぐらいあるだろう。では後退していると感じる決定的に今の建築が失った事。 それを一言で表せば〝謙虚さ〞だと思う。 この謙虚さの欠如が建築をわかりにくくし、 醜くしているように思えてならない。風土 や風景に対応する誠実さ、先人の技術や教えに対する敬意、自分だけではなく他のものとの関係を考えた利他的な視点、それら を失った建築の織りなす世界に可能性と先 進性を感じる事はできない。  沖縄の古い民家が好きだ。もちろん世界中の古い民家にも興味があり感動するけれ ど、なぜか沖縄の民家を見ると興味や感動の域を超えて、〝そう、そう、これだ!〞と いうような自分の精神と肉体との自然な一 体感を覚える。そして自分の追い求めている建築の有り様や佇まいの理想をそこに見出す事ができる。朴訥として優美、おおらかで緻密、あたたかくてシャープ、気高くて寛容。なかでも好きなのは伊是名島にある 〝銘苅家住宅〞だ。とても不便な場所にあるけれども、はじめてこの美しい民家の佇まいを見た時にはその旅の疲れも一気に 吹っ飛ぶくらいの高揚感を覚えた。はたしてこの気高く優美な美しさはどこからくるのだろう。沖縄は夏から秋にかけて頻繁に 台風がやってくる。その強い風雨から守るために石垣を周囲に巡らせ、限りなく軒を下げて屋根を低くしている。この姿がどこか自然に対して頭を垂れているような、屈しているような、そんなふうに見える。そ んな謙虚さが実はこの美しさと気高さ、そ して長持ちにつながっているのだと思う。  3.1 1を経験した今、私たちは建築の限界と真の可能性を考え直さなければならない。そして人間の欲望を少しずつ畳んでゆかなければならない。そのヒントをこの古い民家に見る事ができる。