芸術時間

芸術とは美術館の中にあるものだけではありません。実は我々の身近な生活空間にもいくつも潜んでいるものでして、この村の住人は常にそれを探求しています。ここでは本学教員がそれぞれ見つけた「芸術時間」をコラムにしてご紹介します。
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題:『ゲルニカ』のある部屋 撮影 2009年8月6日 筆者


『ゲルニカ』の前で


 芸術の力で世界平和をという理念のもとで仕事することになりました。もともと私は、戦争が生理的に嫌いです。戦争のない世界がすぐ実現するとは思いませんが、あきらめることのない目標として、実現させることを考える過程に意味があると、私は思っています。
 「芸術と平和」という課題を考えるとき、私は2人の「パブロ」を思い浮かべます。1人はパブロ・ピカソ、もう1人は、パブロ・カザルスです。ピカソの『ゲルニカ』を見るため、マドリッドの美術館のその部屋に入ったとたんに、私は感動を覚えて、しばらく立ちすくんでしまいました。やはりその絵には、それだけの力があるのです。また、カザルスが国連本部で「鳥の歌」を演奏したのを偶然の機会に聞き、こころから平和の大切さを感じました。
 芸術に平和をもたらせる直接の力はないかもしれません。しかし、作品に触れた人のこころに、平和へ向かう強い意志を持たせる力があるのでしょう。『ゲルニカ』は、地下鉄の駅を出てすぐの、国立ソフィア王妃芸術センターにあります。その建物も印象的です。順路は4階からで、スペイン現代絵画の歴史をたどります。
 『ゲルニカ』は2階の展示室です。手の届くところにあります。日本の多くの美術館では不満が残りますが、ここでは自由に撮影ができます。構想から1ヶ月で完成したといわれる縦3.5m、横7.8mの絵です。人の目の牛、子供を亡くした母、馬、泣き顔などを、じっと見つめるたくさんの人がそこを動きません。 
ナチスによるゲルニカ空爆と同じ1937年の8月15日から、南京が日本軍により空爆を受けました。対イラク侵攻を控えた2003年2月5日、パウエル米国国務長官が国連本部で記者会見するとき、背景の『ゲルニカ』のタピストリーにカーテンをかけて、人びとから抗議をうけました。そんなことも考えながら、私はその絵の前に立っていました。