芸術時間

芸術とは美術館の中にあるものだけではありません。実は我々の身近な生活空間にもいくつも潜んでいるものでして、この村の住人は常にそれを探求しています。ここでは本学教員がそれぞれ見つけた「芸術時間」をコラムにしてご紹介します。
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清水家展示室


陶芸とふれあった瞬間


 私の家には30畳ほどの歴代の作品を展示する部屋がある。戦後、元料亭だった家が空き家になっているのを 祖父である六代六兵衞が買い取り、広間だった部屋を展示室に改装したものである。その部屋は私が生まれる前から歴代六兵衞の作品を展示してきた。物心ついたころから誰もいないその部屋に入ると、何か厳粛な気がしたものである。その時が、私が陶芸とふれあった瞬間なのかもしれない。その作品たちが何を呼び掛けてくれていたのかその時は全く知る由もないし、ただそこに花瓶や大きな壺があると映っただけである。
 いつもその部屋に行けば同じ陶器たちに会えるが、来客があるとき以外は誰も行かない部屋なので頭の中からは、ほとんどその存在が消えていた。たまにその部屋を訪れてもいつもと同じようにそれらはそこにあった。身近な存在というわけでもなく、かといって自分から全く遠い存在でもない。そんな作品たちは私の中に徐々にその存在感を深めて行ったようだ。
 その展示室もだんだん古くなり、改装することになったのが小学生の頃であっただろうか、徐々に新しく生まれ変わっていく部屋やその新しい建材である木の香りが私に建築家への憧れを生じさせた一因かもしれない。東京にいた大学時代は建築学科に在籍しほとんど陶芸のことは自分の中では希薄になっていた。ところが帰省したときに再び会う展示室の作品たちがひょっとすると私を陶芸の道に引き戻したのかもしれないと思うことがある。壺の形、描かれている絵、それらがあたかも染料が布を染めるように自然と私の感性の中にしみ込んでいたようだ。 
陶芸を始めて数年たったある時、私が作ったぐい呑みの形が六代の大きな口広の花器の形にそっくりだったのに気がついたときは、自分の中に出来上がっていた感性のルーツを見るようで驚いたのを覚えている。