芸術時間

芸術とは美術館の中にあるものだけではありません。実は我々の身近な生活空間にもいくつも潜んでいるものでして、この村の住人は常にそれを探求しています。ここでは本学教員がそれぞれ見つけた「芸術時間」をコラムにしてご紹介します。
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エクゼター図書館


不思議な感動


 それは自分でも予期せぬ不思議な感動だった。ルイス・カーンが設計したエクゼター図書館を見に行った時のことである。
 今から35年前、私は大学を卒業し、アメリカの東海岸のボストンで留学生活を始めたばかりだった。日本の大学で建築の勉強をしたものの、当時最先端だったポストモダンの建築にどうもなじむことができず、自分が将来どのような建築をやっていったら良いのか、その方向性を見出せずに悶々としていた。その迷いを払拭するために、留学してしばらくの間はとにかく最先端のアメリカ建築をこの目で見て回ることにしたが、その結果は期待はずれと落胆の連続だった。エクゼター図書館に出会ったのはこのような時期だった。
 図書館の外観は東海岸の都市部にはどこでもある赤レンガの倉庫のようなもので、周辺の同じく赤レンガの校舎群に調和し、とてもひかえ目な第一印象だった。それはむしろ無愛想とも感じられるほどで、目立つ玄関らしいものもなく、1階の低い回廊を進んでいくと、ようやく両開きの小さな入口にたどりつくといった具合だ。しかしそこからゆるやかに弧を描く階段を上がると、急に視界が開け、建物の中央にある正方形の吹抜空間に包まれる。私が不思議な感動を覚えたのはこの時だった。
 それは衝撃的でもなく、背筋がぞくぞくするものでもなく、鳥肌が立つものでも、胸が高鳴るものでもなかった。それを正直に言うなら「ああ、自分は建築をやっていて本当によかったな」という悦びの感覚であり、何かもやもやとしたものが消え、腑に落ちたような静かな感動だった。もう少し専門的に言うなら、現代の建築でもこのように古典と通じる普遍性を表現できるのだという驚きだったかも知れない。ひかえ目な外観ながらその中心には大宇宙の真理を追究すべしという人類の存在意味が壮大に表現されていて、しかもそれは木とレンガとコンクリートというしごくあたりまえの素材でつくられているのだった。
 この建築を離れる時、自分はこのまま自分が良いと思う建築を続けて行けば良いと励まされているように感じ、自信がわいてきて、とてもうれしかった。と同時に、私もいつかこのような不思議な感動を与えることができるような建築家になりたいと思ったことを今でもよく覚えている。