芸術時間

芸術とは美術館の中にあるものだけではありません。実は我々の身近な生活空間にもいくつも潜んでいるものでして、この村の住人は常にそれを探求しています。ここでは本学教員がそれぞれ見つけた「芸術時間」をコラムにしてご紹介します。
backnumber

第1回3回生展会場(京都文化博物館)


1991年の名文


 静と動が巧みに絡み合った屏風である。室町時代に描かれた「日月山水図屏風」といって、大阪は河内長野の金剛寺に伝わる六曲一双。手前より奥が大きく描かれた桜の山々、うねるような表現の雪山、太陽も月も、全ての風景が流されていく、不思議な図なのだ。
 2007年に、東京のサントリー美術館で開かれた「屏風・日本の美」展でのことだ。巨きな空間と大胆なリズムが印象的だった。
 その「日月山水図屏風」と思いがけない再会が叶った。通常は、春分の日と秋分の日の二回しか拝観できないこの屏風。たまたま一人の大学院生が、金剛寺の座主と知り合いだと聞き、洋画分野のスクーリング中に観せてほしいと無理なお願いをしたのだ。
 「日月山水図屏風」は、清閑な枯山水の庭に面した書院に置かれていた。誰もいない、私たちだけの言わば貸切り。じっくりと観ていると、ビリビリとエネルギーが伝わってくる。刺激的で贅沢なひとときだった。
 この国は、視点を移動して対象を視る。時間の経過も描き出す。大胆に創る構図とともに、西欧の画家に大きな影響を与えたことは周知のことである。
 「京都造形芸術大学の開設に際して」という一文が、1991年度の大学要覧に掲載されている。初代学長の河北倫明氏による、いわば本学の開学宣言である。「西洋の美術は、岩や山のような、具体的結晶体を志向しているが、私たちのそれは、風や水のような形のない流動を志向している」という岡倉天心がわが国に美術学校を作るため、西欧に派遣さ
れた時の感想を引用し、わが国の美術文化は、産業化の潮流の中で、岩や山のような結晶化へのめり込んでしまった。今こそ緑や水のような生きた流動を回復する必要がある。したがってこの新大学の目標は、新鮮な流動と結晶の諧和体を創り出していくことが重要と説いている。
 何でもありの美術界。基軸をしっかり持った「創り手」を育てねばと改めて痛感している。