芸術時間

芸術とは美術館の中にあるものだけではありません。実は我々の身近な生活空間にもいくつも潜んでいるものでして、この村の住人は常にそれを探求しています。ここでは本学教員がそれぞれ見つけた「芸術時間」をコラムにしてご紹介します。
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この仕事に感動


心に響く石工の情念


 石造美術に魅せられて四十年余り、鎌倉期の遺品を中心にひたすら見て歩いたものだ。まずは全体の雰囲気をじっくりと味わったあと、おもむろに近づいて細部に目を凝らす。これが恩師である川勝政太郎先生の教えであった。
 ある時、ある所で、私はベンチに坐っていた。ふと二〜三十メートル先の木陰に目をやると江戸末期を遡らないことが一目でわかる石燈籠が立っている。どうして、この格調高い施設にこのようなものが?と不思議に思って近づいてみると、驚いたことに「鎌倉時代」と書かれた立札が添えられているではないか。石材は白川のボソ石で、周囲には白い粉が落ちている。もちろん意匠も江戸末期〜近代。
 一方、鎌倉的に見えるものが近代の模作であったりすることも度々。それは石造美術品が超高値で取引されていた時代の反映にほかならない。しかし、柄をしっかりと造り出すなどの構造的な面まで真似たものはごく稀だし、何百年という自然の風化具合は人の手を超えている。それでも模作がまかり通るのはどうしたことだろうか。
 「芸術」的には少々次元の低い話をしてしまったが、宇治・平等院鳳凰堂前の石燈籠を実測したときの感動は格別であった。平安後期の基礎に、思いもかけず絶妙な仕事の痕跡を発見したからである。
 石燈籠の基礎は平面円形で、側面を細い線刻で六区に分けている。各区は横長の矩形の彫り込みで輪郭をとり、その中に張りのある曲線の格狭間を起りをもたせて刻む。また、上端には各区に一つの割合で幅広くおおらかな複弁反花と、それぞれの間に小花が彫出されている。時代を表わす見事な造形だが、そのうちの一ヶ所に原石の傷を気にせず、石の歪に添うように反花と格狭間を巧みに刻み出している点に注目していただきたい(写真)。
 これは宇治石(硬砂岩)が決して豊富な石材でなかったことの証であるとともに、それを当然のように受けとめつつ発揮された石工の創意工夫といえよう。滲み出る石工の情念に私の胸はときめくのであった。