芸術時間

芸術とは美術館の中にあるものだけではありません。実は我々の身近な生活空間にもいくつも潜んでいるものでして、この村の住人は常にそれを探求しています。ここでは本学教員がそれぞれ見つけた「芸術時間」をコラムにしてご紹介します。
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坪内祐三『古くさいぞ私は』(晶文社 2000 年)


「特別な展望」


 「大学時代のことを回想すると楽しかった思い出しか浮かんでこない」。 今年急逝された評論家・坪内祐三さんのエッセイ『「早稲田」大学で私が学んだもの』(『古くさいぞ私は』晶文社二年)はこんな書き出しで始まります。そして文章はこう続きます。
 「しかし、何が楽しかったんだと問いただされても、うまく具体的に答えることはできない。ただ、なんとなく、なんとなく、楽しかっただけだ。大いなる無駄を味わったことが。」
 この「大いなる無駄」は坪内さんにとって「寄り道の楽しさ」とイコールのものでした。
キャンパスへ行く間にある古本屋、そしてそこにある棚、名画座、美味しさだとか、雰囲気だとかに関係なく学生同士で話ができる喫茶店……。坪内さんは「直線的に流れる時間から逸脱を可能にしてくれる、ヤミだまり的空間」へ寄り道に寄り道を重ね無駄の楽しさを味わいます。 そして寄り道をすることによって「まっすぐの道を歩いていては気がつかない展望」に出会うことになります。それは「寄り道した者だけが知る特別の展望」でした。
 この「特別な展望」を坪内さんの担当編集者だった私は何度も垣間見ることが出来ました。阪急百貨店の大食堂、藤井寺球場、紅テント、中之島図書館、浅草の名画座、そして数々の酒場……。 「まっすぐの道を歩いている時に見えるものは、もし見落としたとしても、いつでもガイドブックが教えてくれる。しかし、寄り道で見える特別の展望は、そうはいかない」と教えて頂きながら一緒に歩いた日々と、訪れた場所。
 「選択と集中」することが最適だと言われる世の中で、「寄り道」をしていては遅れをとるのかもしれません。その遅れを「無駄」というのかもしれません。でも……。 特別な展望を覗き込む瞬間の誘惑に、私は今日も勝てない気がしています。