芸術時間

芸術とは美術館の中にあるものだけではありません。実は我々の身近な生活空間にもいくつも潜んでいるものでして、この村の住人は常にそれを探求しています。ここでは本学教員がそれぞれ見つけた「芸術時間」をコラムにしてご紹介します。
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エミール・クストリッツァ監督 映画「アンダーグラウンド」1995 年より。


圧倒的な映像体験


 私はどちらかといえば静かで淡々とした映画が好きだ。人々の心の動きの複雑さや奥行きを表す"時間"や"間"が、美しく印象的な空間シーンと呼応している雰囲気を好む。しかしここで紹介する旧ユーゴスラビアを舞台としたエミール・クストリッツァ監督による『アンダーグラウンド』は、そんな今までの自分の好みとは真逆のような映画でありながら、心を激しく揺さぶられ自分の心身の奥深くと向き合い、しばらくそれまでの日常生活に戻れないほどの衝撃と感動を受けた。
 ジプシー音楽の激しく騒々しいビートが映画の一部始終をリードし、映像はこれでもか!というぐらいその激しさに食らいついてゆく。そこには間のようなものは存在しない。映画全体が映像と音の饗宴で埋め尽くされている。ナチスドイツの占領下から内戦を経て一つの国が崩壊してゆく中、そんな動きとは切り離された広大な地下空間(アンダーグラウンド)で年もの間暮らしていた人々の偶像劇がコメディタッチで繰り広げられてゆくのだが、つかみどころのないインチキな人々や不遇ではあるけれども無邪気な人々など、一筋縄ではいかない滑稽な登場人物が次第になんとも人間的で魅力的に思えてくるから不思議だ。そしてラストシーンの美しさと切なさに出会うと、この映画の圧倒的な"大きさ"に打ちのめされている自分がいる。
 この映画の描くものは、私たちの民族、歴史、価値などと大きく異なっているように思う。鑑賞しはじめたときはその違和感に戸惑ったけれども、食わず嫌いはいけないと辛抱して鑑賞した結果、こんな得難い感動を手に入れることができたのだ。
 自身の価値観とぴったり合った予定調和な芸術体験も大切で楽しいが、実は真の芸術の魅力と素晴らしさとは他者を受け入れ、鑑賞前と鑑賞後では自身の内面に眠っていたもう一つの自分に気付けることなのではないだろうか。
 国とは何か。イデオロギーとは何か。戦争とは何か。他者とは何か。そして自分とは何か︱。
 どんな時代でも芸術が私たちに問いかけることはあまりにも大きい。