芸術時間

芸術とは美術館の中にあるものだけではありません。実は我々の身近な生活空間にもいくつも潜んでいるものでして、この村の住人は常にそれを探求しています。ここでは本学教員がそれぞれ見つけた「芸術時間」をコラムにしてご紹介します。
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延暦寺 浄土院


比叡山浄土院 清浄ということ


 令和元年十月二十七日、二十八日の二日間、比叡山で藝術学舎の「比叡山延暦寺の修行と信仰」を開講しました。
 この講座では比叡山の難行を遂げられた方々から直接お話を伺う機会を設けました。 そのお一人として、十二年籠山行を満行された宮本祖豊様にお出でいただくことができました。この行は開祖、最澄が作った十二年間比叡山の結界から外に出ることなく修行するという制度に基づいたものです。最澄の御廟である浄土院で十二年間、最澄にお仕えするという「侍真職」を務めるものですが、聖地としての浄土院を美しく保つ掃除を欠かすことがないため、比叡山では、ここでの修行を「掃除地獄」と称しています。 この侍真となるためには、まず「好相行」を終えなければならないのですが、これは浄土院のお堂で一仏一仏を唱えながら一日に三千回の五体投地礼をし、横になって眠ることのないまま、眼前に仏が立ち現れるまで続けられるというものです。この行に、宮本師は二回の中断を挟んで三年をかけられたというのです。死を目前にするまで体力を失い瞳孔も開いていたという二度目の中断の後、一か月ほど経ったある日、ついに光り輝く仏様が現出したということを、宮本師は淡々と語られます。
 仏の教えを身近なところで実践する例として、入社試験の課題として「母親の足を洗う」という機会を持った若者が、初めて母の足の裏の荒れに、そして苦労に気づいたことを話されだした頃から、私自身の何かが切れて、涙が止まらなくなっていました。
 法話が終わり、ご自身で白板の字を消されていた宮本師に、私は司会者でありながら涙声のまま「最後にひとつお伺いしても・・宮本様のお母様は?」とお尋ねしました。「籠山行を終える一年前に亡くなりました。私は親不孝者で・・・」とのお答えに、私はついに嗚咽が止まらないという体たらくとなってしまいました。
 午後に訪ねた浄土院は、白砂も清らかに静寂の中にありました。
 このあと抜けるような快晴の青空に、不思議な七色の幻日が現れていたと、受講生のお一人からお教えいただきました。
 清らかで厳かで幸せな時間を皆様からいただいた二日間の講座でした。