ひみつのアトリエ

この村に生息する本学教員は皆個性豊かな表現者であり研究者です。彼らにとって大切な「ひみつのアトリエ」を紹介します。普段なかなか見ることのできない先生方の素顔、意外な一面が見られるかもしれません。また、みなさんにとって何かしらのヒントが見つかるかもしれませんね。
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西村充

陶芸コース


 大学を卒業後、2年間副手として研究室に残り、京都市工業試験場陶磁器本科で1年間釉薬の勉強をした後、実家の裏庭にブロックを積んだだけの壁にトタンの屋根というとても質素なアトリエというか作業場を建てたのは26歳の時でした。自分で建てたので隙間だらけで夏場は蚊に悩まされながら制作をしていました。六畳の畳の部屋も仕事場にしましたが、土の湿気で畳に黴が生えてしまい、結局、床をぬいて土間にしてしまいました。しかし、初めて持った窯、まっさらな自分だけの電気窯が嬉しくて、一晩中、窯を眺めていたのを憶えています。その頃は、初窯で左馬を焼くという事も知らず、あぶりも充分にせず、いきなり本焼をして窯にひびがはいり青くなったのもよく憶えています。電動ロクロ、コンプレッサー、ポットミル、土練機と徐々に機材を揃えていき陶芸工房らしくなってきた時、滋賀県立陶芸の森に勤めることになり滋賀県の信楽に引越し、信楽に古い民家を借りて土間を改装して仕事場をつくりました。土地は400坪あり庭も建物も広かったのですが、かなり年代物のぼろぼろの建物で床が抜けていたのでジャッキアップして梁を水平にしてから床を貼り直し、トイレは屋外で使える状態ではなかったので便器とタンクのセットを購入してきて屋内の押し入れの中に自力でトイレを作りました。とにかくお金が無かったので自分で作れそうな物は何でも作りました。業者さんに頼んだのはガス工事だけだったと思います。その分思い入れのあった住居兼仕事場でしたが、滋賀県立陶芸の森を退職したので京都に戻ってきて実家を改装して新たな仕事場を作りました。現在もその仕事場を使っています。主に料理屋さんの器を作っていたので急な注文にも応えられるようにガス窯も購入しました。ガス窯の小屋を作るために大きい桜の木を切ったのは後悔しています。他の先生の「ひみつのアトリエ」のコラムで整理整頓されとてもきれいなアトリエを拝見すると散らし放題の自分の仕事場を恥ずかしく思います。まだまだこの仕事場にお世話になるのできれいに掃除し、こういった仕事場を持てたことに感謝して制作をしていきたいと思います。